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街は人通りがせわしい。皆一様に浮き足立っている。
ショーウインドウも色味が近寄っていて、そこここに装飾が増える。明かりも増える。
とにかくキラキラしている、そんな12月。

「ね、次どこいこっか」
「どこでもー」
「んーじゃあ、ちょっと疲れたしカフェでも入って座ろ」

誘うようにさりげなく手に触れてきたから、その手を握ってこたえる。ふわりと彼女から漂うのは俺が昨日プレゼントした香水の香だ。
花が咲いたような笑顔でこちらを見てくるその顔を歩きながら眺めた。

「……なに? 無言で見ないでよ、こわいし」
「あー、いや……」

こころなしか、隣を歩く彼女もいつもよりキラキラしている、ような。


































そう狭い道でもないのに、とにかく人が多すぎて歩きにくい。

肩とか腕とか紙袋とか、少し動けば当然のように何かとぶつかる。

「痛っ」
「あ、すんません」

ふわふわした髪を揺らしてこちらを振り返ったのは可愛い感じのオンナのコだ。雰囲気にそぐわず随分嫌味な声で呟かれて、睨まれた。ん、そんなカオしてても、可愛い。とか思いつつ、すぐ横に青いマフラーの男が寄り添っているのを横目に確認してすかさず謝っておく。ふん、と鼻を鳴らしてそのまままた彼のほうを向いて、通り過ぎていった。こちらももう用はないので前を向いて歩く。足を止めることもない、本当に一瞬の視線と言葉のやりとり。こんなのさっきから何回目だろう。
振り返ったりなんてもちろんしない。気にすることなんてない、ただの普通の、出来事だった。











「可愛かったね、今の子」

しばらくの沈黙のあと、ぼそりと彼女が言った。
つい反応が遅れる。

「え、あー……そう?」
「気使わなくていいよ」


声のトーンが沈んでいる。何をどう勘違いしたのか、どうやらヤキモチを焼いているらしい。


「顔なんてもう覚えてねえよ、興味ねーもん」


意識していつも通りの軽い口調を作る。
実際、オンナのコの顔はもう何にも覚えてなかった。
……でも多分、高校生の自分だったら迷わず追いかけ回してたレベルだったとは思う。言わないけど。


「ほんとぉ? あんな可愛かったのに?」
「ほんとだって。さっきから何百人と擦れちがってると思ってんだよ。普通覚えてねーよ」
「そっかあ………でもー」
「なんだよしつこいなー」


付き合ってもうすぐ4か月、そろそろまためんどくなってくる頃かな、なんて思いながらなんとなく続いている。
もしかして本当に好きなのかも知れない――なんてうっすらと思っていた。



もしかして本当に綺麗さっぱり忘れられたのかもしれない、なんて。






「だってあたるいま、すごい顔して黙り込んでたんだもん」

ヒトメボレしちゃったのかと思ったよぉー、ふつー思うっしょって感じの顔だったもん。


すぐ隣でぼやく言葉がだんだん遠くなって、繋ぐ手の温度が現実味をなくしていく。















確かに、アイツだった。

ほんの一瞬、女の子の頭の向こうにちらりと見えた横顔だけで、すぐに分かった。
――分かってしまった、自分が嫌だった。



(もう会うことなんて無いと思ってたのになあ…)

弱り切ったように首筋を押さえる。
青いマフラーと白い肌のコントラストを思い出して、むず痒くなってきた胸の奥から大きく息を吐き出した。その息が白く染まって後ろに流れていく。








(……なんも、変わってなかったな)

冷たささえ感じさせる凛とした横顔がふっと緩んで、彼女のほうを心配そうに見遣った顔。
俺のほうなんて見向きもしなかった。まあこちらこそ一瞬しか目は向けていないけれど。
輪郭が幼さを削ぎ落とした印象は受けたが、面影はあった。
というより、俺の知っているヤツのそのままだった。








寒い日に赤くなる鼻のあたまも、冷たくなる指先も、首筋に顔を寄せたときに甘く香る体温も、トーンを落とした喋り方も口癖も、全部全部、立体感さえもって鮮明に浮かび上がる。

こんなの思い出したくなんてなかったのに。










「あたる? ねぇどしたの? 心臓発作? 大丈夫?」
隣で喚いて腕をぶんぶん振ってくる振動で現実に引き戻される。

「……」
「なっなに? だから無言で見つめないでってば。っていうかほんと目死んでない? 大丈夫?」

本気で心配している彼女の顔をまじまじと見つめる。なんでこいつと付き合ったんだっけ。

1コ前の彼女は、おでこが綺麗で好みだった。2コ前の彼女は白い肌と真っ黒な瞳にひかれた。その前のコはたまに掠れるハスキーな声がなんとなく好みだった。


(――――本だ、)
こいつは本だった。たまたま鞄をのぞいたとき中に入っていた文庫本の表紙に、見覚えがあった。書物なんて一切読まない俺が、どうして文庫本の表紙に覚えがあるのか。いつどこでダレが俺の隣でその本を読んでいたのかなんて、思い出したくもない。


肩にあるほくろ、考え込むとき口許に手をやる癖、シャーペンを持つ指先……いつも、“なんとなくドキッとする”のはささいな仕種や特徴だった。
それは本当に“なんとなく”で、それの意味するものについて考えたことなんてなかった。……考えないようにしていた。







こんなに何年も経つのに、まだ忘れられていない自分自身に気付かされるのが嫌だったから。






「あたるってば。ほんと大丈夫? どっか痛いの? 実は心臓の持病とか系?」

死ぬの? 病院いく?と彼女がやたら大声で叫ぶから、すれ違う人々の注目の的だった。腕を揺すられる度に鼻先をくすぐる香水の匂いの甘さに眩暈を起こしそうになる。記憶なんてものじゃない、脳に体に染み付いたこの匂いを彼女にプレゼントした俺の真意は何処にあったのか。
――そんなの明白すぎて、今更断罪もしようがない。



「……好きだよ、」
「…………はあ? 何が?」
「お前のこと」
「………………はああ?!」

突然なに言ってんの?! 意味わかんなすぎ! え、ほんと体調っていうか頭の調子やばいんじゃないの?! 本当病院いったほうがいいって、本当! やばい、死ぬよあたる!

面くらうやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にして叫び続ける彼女に
「ほら、カフェ行くんだろ」
と言ってその肩をもつ。

近付いたうなじから立ちこめる甘さに、胸がどうしようもなく苦しくなる。

「もー、なに、ほんとあたる、おかしい……」
「おかしくない。」
「明らかおかしいよおー。病院いったほうがいいってば」
「行かん」
「死なない?」
「死なん」


神妙ぶって上目にこちらを見ていた彼女がふふっ、と笑ったのを皮切りに、2人で笑い出す。
笑い出すと徐々に笑いの波は大きくなって、もう意味も分からず2人で笑う。

ほんと、意味わかんなーい、なにコレー。あたる、本当病院行くー? 行かねーって。クリスマスに病院デートとかーウケルー。だから行かねーって。本当死ななーい? 大丈夫ー? 死なねーって。ふざけんなよ。あたるこーわーいー。



笑いあってふざけながら、人のごった返す緩い坂道を登っていく。





あー、できるもんなら今すぐ死にたいね。

笑いながら胸の痛みはなかなかいつまでも消えなくて、心のなかで呟いた。
だって忘れるよりはよほど、死んでしまうほうが楽そうだ。


泣きたかった。














(お題:記憶に殉死)






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