雪 | ナノ






「……歩くの、はやいって」

前を歩く面堂に声をかける。
返事はない。

「なー、面堂ー。はやいってばー」

努めてだらしなく言ってみる。
やっぱり返事はない。
ポケットのなかの冷えた手はすでに感覚がなくなっている。
……並んで歩かないと、手も繋げねぇじゃん。

吐いた息が白く染まって消えていくのを横目にながめた。
雪でも降れば風情あんのにな、なんて考えて、すぐにそんな自分に笑った。
風情なんて欲しくもない。















  













逡巡を振り切るように、駆け足で追いかけて隣に並ぶ。

「面堂ってば」
「……うるさい」
「お前が黙りすぎなんだよ」

前を向いたままで、目も向けようとしない面堂の横顔を伺う。
黒目の大きい瞳がまっすぐに前を見ている。
ずっと見てきた目だ、と思った。
意思が強くて、なのに繊細で、吸い込まれそうになるほど真っ直ぐな目だ。
その目がこれから先映していくものは、俺には一生触れる機会もないような、輝かしい遠くの世界のものなのだ。
こいつはどんな大人になるのだろうと、ひととき思いを未来に巡らせる。
制服を着て、廊下を走り回ったり退屈な授業を聞いたり放課後に街を歩いたりしていたのは本当についこの間までのことなのに、そういう一瞬一瞬を20年や30年経ったのちに懐かしく思い出している自分の姿がいやに鮮明に浮かんだ。

隣を歩く面堂の横顔をもう一度見遣る。
――きっと、「遠い昔」を懐かしく思い出すそのとき、隣にこいつはいないのだろう、と考えながら。
それは予感というより確信に近いものだった。
















頬を冷たい感覚が伝った。

「――あ、雨…」

面堂がぽつりと言って、初めてこちらを向いた。
何も言わない俺をしばらくじっと見て、困ったように笑った。

「泣くなよ、諸星」
「……泣いてねーよ」

地面が少しずつ、雨粒に侵されていく。

「ばかだな」



つま先をこちらに向けるアスファルトと靴底が擦れる音がしたと思ったら、避ける間もなく抱き寄せられた。
頬が触れた。ひどく冷たかった。

「死ぬわけでもないだろう」

暖かい吐息が耳を撫でる。
ばかはお前だよ、面堂。
涙がぽろぽろと面堂の肩に落ちた。
青いマフラーから覗く首筋は驚くほど白くて、よく慣れ親しんだ匂いがした。



これから何年もたって大人になって背も伸びて結婚して子供ができて、もし俺のことなんてきれいさっぱり忘れてしまったとしても、面堂はこの匂いをまとった俺が知ってる面堂でいるだろうか。
今と同じように困ったような顔で笑うだろうか。考え事をするときに一瞬まぶたを伏せるだろうか。制服を着ていなくても、背筋を伸ばして椅子に座っているだろうか。寒い日には鼻先を真っ赤にして、指先を冷やしているだろうか。

……それは優しいようでいて、背筋が凍りそうになるほど残酷な想像だ。




「死んでくれたほうが、まだマシだ…」



呟いた言葉を、面堂がどう汲みとったかは最後までわからなかった。ただ困ったように笑って、触れた熱がゆっくりと離れていった。
かわりにポケットの中の手を取られて、そのまま前進を促すようにその手を引かれる。
首筋の隙間に吹いた風は驚くほど冷たくて。
耳元に残ったかすかな呼吸の温度の名残なんてすぐに消えてしまいそうだった。



――――本当は離れたくなんてない。
だって、こんな日々がずっと続くものだと思ってたから。
こんなに唐突に、確実に、分岐点にたどり着くものだなんて知らなかったのだ。
俺の知らないところで、触れないところで、面堂が俺の知らない大人になってしまうなんて考えたくもなかった。
それなら一層いまの面堂のままで時間をとめて欲しいと思った。







雨の音が大きくなる。
視線の先の横顔、睫が雨粒に叩かれて小さく揺れていた。
こんな一瞬も、いつか先の未来で、思い出すたびにいたむ記憶として消し去りたいと願うようにさえなるのだろう。
分かりきっているのに、目が離せない。
喧騒の中駆け回った日々も、優しい時間も、指先の温度も、こんな夜があったことも、 あらゆる角度から見てきた一つ一つの表情も全部、忘れたくないのだ。

(ほんと、いやになる)



向こうから離されなければ、こちらから手を離すことなんてできやしない。
はやく離せよ、ばか。
よく見ると潤んだ瞳の横顔を焼き付けるように、滲む視界をゆっくりと閉じた。













(お題:忘れる約束をしよう)







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