「あれ、あたるじゃん」
前方から声がしたから携帯画面から目線をずらすと、そばかす顔がすぐ下からこちらを見上げていた。
「コースケ」
「なんだお前、最近よく消えると思ってたらこんなとこにいたの」
よいしょ、なんて爺くさく言いながらもずいぶん身軽に扉の脇の梯子を登る。許可もしてないのに隣に座ってふうと息をついた。
「で、何してんのあたる。授業終わっても帰らずに。」
「女の子とメール」
投げ出した膝に肘をついて頬杖をつきながら、携帯をカチカチやる。
へー、と間の抜けたコースケの声が隣やや後ろから聞こえてくる。
「お前、そんなマメにメールする甲斐性あったっけ」
コースケとは去年から同じクラスで、同類というかなんというかよくつるむ仲間だ。
「最近よく携帯見てるし電話増えたじゃん」
とはいえ意外と見てるもんだな、と思った。
とりあえず操作する親指は止めないまま、
「べつにー」
とだけ言うと
「返事になってねー」
と笑いを含んだ声が返ってきた。
こいつのこの軽さが好きでつるんでいる。
「で、お前は何の用があって屋上なんぞ来たのだ」
「あー、俺眠くてさー」
「はあ?」
コースケが語尾を伸ばしながらうだうだと語りはじめたのはこんなことだった。
5限の英語が何故かクラス挙げての大運動といった風情になったので(まあ日常茶飯事だが)、終わった後くたびれて寝たかったが、夜からアルバイト先に出向くまでに一旦帰っても寝る暇がない。机に突っ伏してそのまま寝てもいいのだがどうせなら柔らかいベッドでゆっくり眠ろうと思って保健室に行ったら、ドアに『立入厳禁』の貼紙。恐る恐る隙間から中を除くと、保健医とあの気味悪い顔の坊主が煙をあげている馬鹿でかい鍋を火にかけて囲んでいる。なにやら薬剤を調合しているようだった。部屋中に満ちている煙は紫やら茶色やらが混じった嫌な色で、わずかな隙間からだけでも、鼻が潰れそうな強烈な異臭が漂ってくる。これではとても安眠など無理だと悟ったので、瞼の異様な重力に堪えながら教室に戻った。勉学意欲が極度に低い我らがクラスでは帰りのHRが終わった途端教室から誰もいなくなるのは極めて当然のことであるから、そのときも誰かがいるなどとは微塵も想定せずに教室に足を踏み入れた。
「したら面堂の奴がいてさー」
「……へえ」
「なんか本読んでて途中で寝たっぽくて、机で寝てた」
「阿呆だな」
「馬鹿だよな」
「格好付けて小難しい本なぞ読むからだ!」
「あー、なんか表紙みたけど題名読めなかったもん」
「で、面堂がいたからわざわざ教室をやめて屋上まで来たのか?」
「まあ結果的にはそうなんだけど」
「面堂の一人や二人、蹴り飛ばして追い出せばいいだろ」
それがさー、と言葉が続く。
「本の表紙覗きこんだときに思ったんだけど、面堂ってすっげ肌白いよな」
ピクリ、と体内のどこかのセンサーが不穏に反応する。
「…まー、そう言われれば…」
「なんか指とか細くてびびった」
「……そーか?」
「睫毛めっちゃ長いし。寝息とか立てててなんか緊張した」
「…………何だよそれー」
笑顔がうまく作れなくて、口許が引きつる。しかしそんな俺の様子には全く気付かないこいつは興奮した様子で喋り続ける。
「いや、マジで。本当あいつ顔だけだけど、顔だけでもモテるのがよく分かったっつか。なんか色気あるし」
「……」
「なんか起こすのも躊躇わちゃってさー。同じ教室にいるだけでなんか緊張しそうで」
「へー……」
「女だったらマジタイプだったかもなー。あの最悪な性格も女だったら可愛いかも」
「…………」
「今度マジで女装とかさせてみよーぜ。割と細いしマジ意外と似合いそうな気が…………ってあたる? 何怒ってんの?」
「……………いや? 全然」
「や、めっちゃ目つき怖いんだけど。あ、気色悪い話して気分悪くなった? でもマジで、面堂って黙ってれば…」
「もーいいわっその話は!!」
帰る!
といって梯子も使わず扉の前まで飛び降りると、
「そんな怒んなくたっていーじゃねーかよー」
という声が追いかけてきた。断ち切るように暗い校舎内へ踏み込んで重い扉を閉める。
「―――あんの阿呆…っ!」
階段を駆け降りる。目指す先はもちろん自分の教室だ。
(俺以外の奴に簡単に無防備な顔なんて見せんなよ、馬鹿!)
(お題:それ俺のだから!)