Shangri-La | ナノ








a.

切っ先が目の前を掠めた。
頬を瞬間的な熱が真一文字に走る。
後退、沈下する視界のなかで驚いて見開かれた眸と、動いた前髪が収斂する様がストップモーションのように映る。
カシャン。
尻ついたのをほぼ同時に、彼の手から離れて飛んでいった重い金属が地面を叩いた。










「seacret cm」










b.

「面堂さん、そのお怪我どうなさったの?」

面堂終太郎の頭上から声をかけたのは女子数名の団体だった。
顔をあげた終太郎は曖昧に笑って頬の傷を指でなぞった。
「武芸の稽古をしていたらうっかり怪我をしてしまったんです」
「大丈夫?」
「綺麗なお顔が……おいたわしいわ」
「すぐ治るので大丈夫ですよ」
ご心配ありがとうございます――――と続けようとした言葉を遮って、遅刻ギリギリで教室に滑り込んだ隣の席の男が首を出した。
「そーそー心配なんて全然しなくていいんだよ。ほらこうすればちょっとは見られる顔になるからね。キュキュキュっと」
どこから取り出したのかあたるの手に握られた太いマジックでその傷の下に二本、反対の頬には三本、並行な黒い線が引かれた。
「……」
鏡を見て呆然とする終太郎をよそに女子達はめいめい甲高い声であたるに食ってかかった。
「キャー何するのよっ」
「面堂さんの綺麗なお顔にっ!」
「……よくもやったな…」
据わった目であたるを睨みつけながら終太郎がのそりと立ち上がる。
「おーどういたしまして。まだ見られる顔になったな。これもつけたほうがいいんじゃない」
これもどこから持ち出したのか、あたるは終太郎の頭上に左右に二つ黒い三角形の物体をちょこんと置いた。
「もう、面堂さんにいたずらするのよしなさいよお!」
非難しようと終太郎とあたるの間に入った女子達を制して、
「はっはっは……いいんですよみなさん。僕はこの程度で怒るような懐の狭い人間ではありませんからね」
終太郎は前歯を光らせて笑った。が、「なあ諸星?」と一歩踏み出した彼の眼前にはあたるに白羽取りされた真剣が輝いている。
「全くもってその通りだな、お前は心が広いよ面堂」
そして同じく微笑むあたるの手には大きな小槌が用意されていた。
「あいつら朝から元気だな」
「面堂はなんでコスプレしてんの?」
「さあ……?」
男子生徒は二人の丁々発止を慣れっこで遠巻きにし、
「面堂さん……可愛い」
「写メ撮っちゃお」
女子生徒の一部はひそやかに盛り上がっていたのだった。


















c.

頬を自分で触ったら、ヒリヒリと熱を孕んだ局所に液体の垂れる感覚を覚えた。
見上げても逆光で目が眩む。日陰の土のせいだ、地面についた手の平が湿るのは。

「ほんとに切れるんだ」
「……当たり前だ。面堂家に伝わる名刀だからな」

ふっと笑った気配がして空気が緩んだことにおぼえず安堵を抱いてしまう。だから油断するのだ。手が伸びて、頬に触れた。親指がゆっくりと傷を撫でた。傷口に染みるような痛みに眉を顰めて止めようとしたけれど、近付く時と同じ軽さで戻っていった手は彼の口元に運ばれて、赤くなった親指の先を舌がさらりと拭った。

「ほんとに切れると思わなかった」

反対の頬を手のひらが包む。今度はざらついたぬるい舌が、傷の上をなぞってゆく。閉じた視界が朱に染まる錯覚と、汗の匂いと、冷たい日陰の空気に、言葉どころか呼吸さえ奪われてしまう。右頬から耳を通って後頭部の髪を撫でたてのひらは、背中を落ちて、体を支えていた手を上から握った。
だから刃物は切るためのものなのだ――と言うことはしない。まるで彼自身に問いかけたようなその言葉の真意を覗き込むような愚かさは持ち合わせていないのだ。
だって自分だって、本当に切られてしまうなんて思いたくもなかったから。

「立てよ」

伸ばされた手を払いのけることだってできるのに、向こうからその気になってくれないと自分からは笑えない。立ち上がられると自分はいつだって逆光で彼の顔が見えないままだ。差し出されたてのひらだけ現実感をもって白く映る。たとえば戻れなくなるのだと明示されたとしても、彼の方から笑って開けてくれなければ、自分はいつまでもその手のひらのぬるさを真剣に受け止めてしまうだろう。それがどこまで攻撃的な思想を内側に握っていても。
手を伸ばした自分を見下ろして彼が笑った。
「好きだよ」
力を込めた手が湿っていたのは何のせいだっただろうか。「お前のこと、好きだ」
心の臓が底から震えて、喉から取り落しそうになる。頬がズキズキといたむ。日陰の裏庭には風すら通らない。グラウンドの声は別世界の物語のようだった。彼の足のずっと向こうの木のもとに咲いた白い花が小さく揺れていた。ああ、あの場所では風は吹いているのに。
切られても刻まれても干からびるまで搾り取られても自分はもう拒絶する術を知らない程には、逃げられないのだ。だってどうして逃げられるだろう。人を傷つけることのできる彼が日陰でこんなふうに泣くように笑うことを、ただひとり自分以外に誰も知らないのだから。















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