PRRRRR… 電子音と共にポケットで携帯電話が振動した。 「すみません、ちょっと失礼」 席を取り囲む女性方に一言断って、携帯電話を取り出しながら廊下に出る。 画面を開いた途端映し出された名前を見て、思わず眉根が寄る。 「……はい」 「よっ」 はー、聞こえてきた声に大袈裟なくらいに息をついて額を抱える。 「『よっ』じゃないだろう……一体何の用だ」 ばかみたいに軽い挨拶に、通話ボタンを押してしまったことを心底後悔した。 せっかく、隣のクラスの麗しい女性方と談笑を楽しんでいたというのに、それをどうして自ら中座してよりにもよってこんなやつと会話をするはめになるのか。 「用がなきゃ電話しちゃいけないのぉ?」 「可愛い子ぶるなっ、気色悪いっ!!」 つい荒げてしまった声に、行き交う移動教室中の生徒の何人かがこちらをぎょっとして見てきた。 決まり悪いのでとりあえず会話がもれないように電話もとを手で押さえて、壁に向く格好をとった。 「ひでーなーまったく」 「貴様が気色悪いことを抜かすからだ」 「冗談通じないと生きてくの苦労するぜ、面堂?」 「言ってろ。……と、いうか貴様、授業はどうした」 遅刻はしてもいつもはラムさんに連れられるようなかたちで授業にはでているのに、今日は1限から昼休みの現在に至るまで一度も隣の席に姿を見ていない。 「出てないけど? もしかして俺いた?」 「出てないのならいるはずがないだろう」 「よかったー」 「良、い、わ、け、ないだろう! 授業に出ろ! 学生の本分は学業だぞ!!」 はっ、と気が付くとまた通行人の痛い視線を背中や横顔に感じる。 目が合ってしまった女生徒に急いでにこやかに笑いかけたが、関わりたくないといった表情で露骨に走って逃げられた。 この僕がこんな屈辱を味わうとは……。 「ちっとは落ち着け。耳がキンキンするだろが」 うすら馬鹿にまで真っ当に諭される始末だ。 「………とにかく、今どこにいるんだ。次の授業は出ないと偉いことになると思うぞ」 もうすぐ始まる次の時限は厳しいことで有名な堅物先生の国語の授業だった。 学期末考査をあと2週間に控えて最近は更にピリピリしているともっぱらの噂だ。 「今? 屋上」 「ぉくじょうだとお?」 つい裏返った声をカラカラと笑われる。 電話越しの笑い声はノイズが混じるから、いつもの笑い声を想像しただけだったけれど。 「ここの上か?」 「そーだよ」 「一人で?」 「うん」 「……本当に何をやっているんだ、貴様は」 「何って、んー、ぼーっとしてる」 「馬鹿正直に答えるな」 「聞いといて何だよ。っつか、今日天気いーよな、快晴」 「貴様と爽やかに気候の話などする趣味はない!」 「ほんと、雲一つないんだよなー。来る夏を思わせる風もなかなか快適で」 話にならん。 ため息を一つついてから、腕時計を見る。 「……それは良かったな。あと5分で授業だから早く降りて来い」 大体、なんで学校まで来ておきながら階段を余分に上がってサボりに行くんだか。 馬鹿の考えることはさっぱり分からない。 ついでに、なんで自分に電話をかけてきたのか。 話し相手がおらずそんなに暇ならば教室に降りてくればいいものを。 最近の着信履歴がすっかりこいつの名前で埋められているのを見ると、心底うんざりする。 心底うんざりしながらも、携帯が鳴るとつい出てしまう自分の人の良さにまた辟易する。 無視してしまえばいいのに。なんとなく、つい、相手をしてしまう。 「断固拒否する」 「なにい?」 「こんないい天気なのにモルタルの箱に詰められて蛍光灯のもと黒板眺めるなんて狂気の沙汰じゃ」 「……その腐れ根性、目の前にいたら成敗しているものを」 「何だよ、じゃあお前が迎えに来りゃいーじゃん」 「僕が貴様を迎えに屋上までわざわざ出向く義理がどこにある」 「まあ、聞けよ。サボりのやつなんかいたらあのカタブツ怒って連帯責任とかいって全員に宿題出しまくるに決まってんじゃん。俺もう眠くなってきて誰かに連れてってもらわないとこのまま寝ちゃいそうなんだよね。もう今にも寝そう」 「なっ……」 小賢しい。 あの教師の性格を考えるに非常に的確な意見で、こんなことを言われたら勝手に寝ていろとは言えない。 ここで自分の手間やプライドを取ってクラス全員に迷惑をかけるとあっては男が廃るというものだ。 「――――分かった。今から行く」 きゃっ、あたる嬉しい!と気色悪い声を全部聞き終わらないうちに通話を切った。 また一つ、ため息。 何でこうなるのだ……。 「あ、面堂くん」 「電話大丈夫だった? もう授業始まるから私たち教室帰るね」 さっきまで僕の席で談話していた彼女らが自分の教室に帰るために廊下に出てきたところだった。 ああ! こんな可憐な女性方との楽しいお話中だったというのに! 「せっかく来ていただいたのに、ゆっくりおはなしできずにすみません…急用だったものですから」 精一杯申し訳なさそうな顔をつくる。実際申し訳なくて仕方ない! 「そんなのいいの。隣のクラスだし、また来るから」 笑顔で手を振り返しながら、その後姿が隣の教室に消えたのを見届けてまたため息をつく。 あと3分、か。 廊下の端の階段はギリギリで教室移動しようと駆け下りる生徒が喧しい。 そんななかで誰も近寄ろうとしない登り階段のほうに一歩踏み出す。 ……何をやってるんだ、僕は。 結局のせられて付き合って騒動に巻き込まれる。 分かっているのに、何故かいつも側にいる。 友達でもなんでもない、できれば関わりあいたくないくらいの人間のクズだというのに。 踊り場にあるはめ殺しの採光窓から昼下がりのあたたかい陽光がさしている。 確かに今日は天気がいいな。 かつん、かつんと足音が静かに響く。 こっちにくると、生徒の声もベールをかけたようにやんわりと遠くなる。 空気もどこかやわい感じで、そこらじゅうを光の粒子が舞っている。 こんな日に屋上にいたら、確かに眠くなりそうだ。 いつもいるだけで騒がしいあの馬鹿でも、空を眺めながら一人になりたくなるときなんてあるのだろうか。そんなときどんな顔をしているのだろうか。 想像できなかった。 もしかしたら人に見せない一面なんてものがヤツにもあるのかもしれない、なんて、少しだけ、本当に少しだけ興味がわいた。 踊り場を折れると「立ち入り禁止」と誰にでも分かるばかでかい文字の書かれた重そうな扉が見えてくる。 どこか気持ちが浮ついている自分に気が付く。 ……上までいったら、そのまままたのせられて僕まで授業をサボることになりそうだな。 急いで連れて戻ったって、どうせもう授業には遅刻だろう。 それでもいいか、なんて思うのは半分投げやりで、でもどこかワクワクしている。 (とりあえず、顔を見たらまず罵ってやる) はやる指先を制しながら、冷たいドアノブに手をかけた。 |