夜中に、シャーッと車が走る音で目を覚ました。
不愉快な音。
「……最近、よく、通るな」
がらんとした部屋を見渡して、ぼくは呟いた。
電気をつけて時計を見ると、まだ朝の2時すぎ。
眠れない……
ふと、いつのまにか隣に居ない『人』のことを思う。
あいつ、また寝たふりしてどこかに向かったらしい。
「やれやれ」
まあ、心当たりはあるんだけれど。
カンテラを片手に庭へ向かうとちょうど、タヌキらしい生き物の腹を割いているところだった。
昨晩の、ヒキガエルをわし掴みで火に投げ入れる遊びもなかなかのものだったがタヌキもなかなかすがすがしく凄惨につぶれていた。
「汚く、ないのか?」
ぼくは聞いた。
まつりは平然と答える。
「汚いよ。先週のオオカミよりマシだよ。あれはバラバラにするの大変だったからね」
ふうん。ぼくの感想は、まぁそのくらい。
「写真、たくさん撮っちゃった!」
「うん……」
「あれ? ななと、パジャマだね、風邪引くよ」
ご主人様の趣味。
生き物解体。
ぼくの趣味。
そんな、主人を、見守ること。
「すぐ戻れば、平気だ」
「人に慣れていたみたいだったからね。飼い主が居たら、写真を送りつけてあげようかな?」
――無邪気な、そいつは。
佳ノ宮まつりは、幸せそうに、ぼくに誉めて貰うと信じてるのか、えっへんと胸を張り、狼解体の話をした。
生き物を粗末にしたといって不快な気持ちになる人も居るんだという話を何度かしたはずだが、だから? とのことだし、
まぁぼくも、まつりがそれでいいなら咎めるつもりはない。
そもそもこいつは、むやみに殺すのが趣味なわけではなくて、そう、なんというか、その辺りが難しい。
「昔の貴族だって、鷹狩りとかしてたんだからね」
……はいはい
佳ノ宮まつりはお屋敷に住んでいたことがある。
貴族とかいうと、そっちを思い浮かべてしまうけれど、やはりそういった交流もあったのだろうか?
でも、まぁいろいろあって、今はぼくと普通に民家に暮らしている。
此処だってそうだ。
まつりは、佳ノ宮まつり。
性別年齢不詳。
幼馴染。
「狼の解体写真はね、喜んで貰えると思うな。すごくいい出来なんだよ」
にっこり笑ったそいつは、色素の薄い髪を揺らしながら、こちらに振り向いた。
はいはい……
『気分が悪い』とか言ってキレた人をぼくは知ってるが。
ああいう輩は宥めるの大変なんだぞ。
理解できないやつに送るな。
ぼくにだけ、見せてくれたらいいのに。少し妬いてしまう。
「そりゃすごいな、血で毛並みを汚さないのってわりと苦労するんだろ?」
「そうなんだよ。あと脂がね。ずいぶん経ってたからね……どうせ可燃ゴミになるなら、綺麗にバラしてあげたいじゃない」
「まぁ……」
刺身でも作るかのような手際で解体されていく狼。
ある意味、芸術と呼ぶ、やつもいるくらいのものらしい。
まつりは、生き物を大事に大事に壊す。そして眺める。
愛しそうに。
「なにか、あった?」
血のにおいがまだ濃く残る、土の上。
さっき、ここで、狸が死んだ。まつりの心は代わりに少し生き返るみたいに、いきいきする。だから、そいつは元気が無いときは大抵生き物をバラす。
「うふふふふ。あははははは!それがねそれがね死の真相、なんて、馬鹿げたことを言って、怒りに震えるって、笑っちゃう子が居てさ、だから、ちょっと、不愉快になっちゃった、生き物が死ぬなんか当たり前でしょ?」
「そうだな」
「まつりは悪くないでしょ」
「うん」
ぼくの基準は、佳ノ宮まつりだ。
それはずっと昔からそうで、今もそうだった。
――何よりも、誰よりも、優先できる存在。
――まつりがせっかく苦労してバラした狼。
の、その命についてしか見えていないというのは、そいつには、あまりに偽善的だったのだろう。
「それは、不愉快になるのも仕方ないな」
「でしょ? 写真代だって、いうなれば、まつりが写真に使ったわけじゃない、手間がたくさんかかったよ」
「でも、ぼくに、手間なら、かけてよ」
少し拗ねたくなってくる。
ぼくらは、恋人でも、友人でもない。
だけど、そう。
とても、どこか、似ているのかもしれないし、あまりにも異なっている。
だから、落ち着く。それくらい。
解体癖がなかなか治らないのは知ってるけど、今もぼくはそんな死体が羨ましい、複雑な想いを抱えていた。
――ゴミで捨てちまえよ、カエルも狸も!
なんて言えたなら、気が楽になりそうだが、さすがにそんな過激なことは言えない。
目に涙をためて座り込む悔しそうなそいつは、童顔もあってとても、幼く、か弱く見えた。
「ん。だいじょうぶ。この前も『年下には敬意を払わない!』とか言って逃げた恥ずかしいのがいたんだ。ななと以外、まつりに対して、まっとうな人間が、ここには、全く、完全に、いないからね」
「そりゃ光栄。先輩のぶんまで、ぼくは生きるよ」
「あははっ」
ぼくが肩を竦めると、そいつは愉快そうに笑った。
「みんなくだらないことしか言わないよね。命の重さがーとかいいながら人殺したりさ、歳がーとか言いながらいざとなると土壇場で惨めに逃げ回るし」
まつりの交遊関係は狭い。
エキセントリックなそいつに、付き合える人は、そういないから。
――――それと、もうひとつ理由がある。
まつりの屋敷の家族がある日惨殺される事件があった。
それから、どうにか助かったそいつは、しかし、衝撃によってときどき人物情報がふと抜け落ちてしまうことが増えてしまったのだ。
しかし他の友人たちのほとんどがそのときも、心配より、まつりを強く責めたらしい。
「後ろめたいことがあった」とか勝手なウワサを吹聴したり「冷たい」と本人に言い放ったり、陥れるチャンスとばかりに、喜んで手を叩いた。
人間関係は、いわば、記憶の蓄積でしかない。
そしてそれがなくなれば皆が敵に変わってしまうのである。
そんなわけで、まつりは記憶していたわずかなもの全てからも裏切られ、縁を切り、ぼくと暮らしている。
2018.5.3
「もう。良い子は寝ないとー。夜中だ」
しばらくして狸を燃やした後片付けをしたまつりは、ぼくを心配した。「手を洗うために中に入ろ」と言うのであとに続いた。
薄暗い玄関の明かりをつけると急に、帰宅したな、という気分になる。
「まつりが居なかったから、気になって」
今日のまつりは、ぶかぶかのジャンパーを着ていた。そいつはいつも腕が隠れるような大きな上着を着ている。目の前で、袖が揺れる。
「なにそれ、気持ちわる」
「……」
ん。
やっぱり、こうでなくちゃ。
「なんか嬉しそうだね?」
「別に」
ぼくたちは、恋なんかしない。きっとずっとそうだと思う。
恋をしなくても、誰かと愛し合わなくとも幸せになる未来があるなら、素晴らしいって思う。
洗面台のところでまつりが手を洗っている間、ぼくも手を洗うのを待ってそばについて居た。じゃー、と水の音がして、蛇口が捻られる。
「今日はもう遅いけど、休みの昼とかにさ。夏々都も外で遊ぼうよ、野球とかサッカーとか」
「二人じゃ、できないよ」
なんて。そもそも野球もサッカーもあまり知らないから、クラスメイトからあまり相手にされないのだけれど。
一部は、まるで誰も話しかけないことを明確に全体で指示をしあっているかのようで、異様なまでに無視されたりするから、そもそもな話だが。
「……まぁ、変に明かすと明かすで利用されてしまうから、逃げるしかないよね」
タオルを手渡すとまつりはふあ、と小さくあくびをしながら受け取った。保護問題で改名するという手も考えたけれど、偽装は怪しまれるだけだし、申請したところで認められなきゃ意味がない。
突然正面から向かっていって、個人情報だけ利用されてしまっては仕方ないのだ。
「しないと明言してくれるかもしれないだろ」
「『何もしてないのに言い掛かりだ!』 というからねぇ。そりゃ頷くしかない。
まっ、できるわけないけどさ」
まつりが退いたので、ぼくも手洗いうがいをする。
。
夜は短い。
2
起きたのは朝七時すぎだった。
まつりは相変わらず寝ぼけていて、布団にしがみついてしばらく起きられなさそうだったのでしばらくその寝顔を堪能してから起き上がった。
ベッドの横、特に中身のない本棚に目が行く。
本は、昔は読んでいたけれど今ではあまり読む気にならない。
いつの時代もそう、悪いことをしたわけではなくとも、迫害される人たちはいる。
それを知ってからはウンザリしてしまったのだ。
――何をしても無駄で、どんな努力も報われない、優しさも罵倒されて、敬意も覆されて、あらゆる世界から裏切られて、なんの希望もなく、生きる人が沢山いる事実の中で、真逆の綺麗事がメディアを飾る。
ただ、売るために。ただ、儲かるために。
嘘だってなんだって、咎められない。
「卍十字のマークの玩具を売ると処罰される、みたいなことはなさそうだ……」
迫害されるぼくたちの存在も、勝手に周りが火種にするくせにその責任を負うことはしない。無能が、さらに無能になり、またさらに無能になって、どんどん事態を悪化させる。
何人が死んだだろう。
例え直接じゃなくとも、間接的にでも、負えないものを無理矢理負う人たちが増やした罪で。
全く違う話のはずなのに、なんとなく『あの場所』を思い出した。何処でもなくて、何処にでもあるどこか。
5/311:46
今と昔は違う生活。
でも不思議となんとなく、感慨深い部分というか、奇妙な気持ちはあって未だに整理がつかないでいた。
まつりがまだ起きないので、机に向かい教科書の適当なページを開いていることにした。
……偶然にも、それが朝から少しヘビーな内容だったので、なんだかしんみりしてしまった。
「被爆二世問題」
軍人や軍属は国家補償。
被爆者は、社会保障。
国との身分関係がなかったというような話だった。
被爆者差別というのは、被爆者と知られると結婚を断られたり、結婚してもいつ倒れるかという気持ちと裏腹に、相談相手になれる人が居なかったり就職差別にあったりという現状を指していた。
少し前に大震災もあったことで、こういう話題に無縁とは言えない感情になってしまう。
幸いにもぼくらの地域は無事だったけれど、テレビ欄がしばらく真っ白になったときのことは思い出せる。
ぼくは被爆したわけではないけど、ある意味じゃ『内側』に言うわけにいかない問題があるわけで――――
世界も、国も、友達も、家族も裏切る。誰も守れない。
だから。
そういう人が「後ろめたいことがあるのか」なんて言われたら、どうすればいいのだろう。
周りは、どうしているんだろう。
そんなことを思いながら。
懐かしい日付を、頭のなかで辿っていた。
3
梅雨も近づく5月。
台所で、椅子に座りつつ。
目の前でホットケーキを焼いているまつりを眺める。
「もうすぐ柘榴が咲くね〜」
「そうだな」
「なんか、上の空だね?」
「そうだな。梅雨って言ったら、梅だな」
「どうした、連想ゲーム?」
朝から、なんだかしんみりしてしまっているぼくは少し、なんて返そうか迷った。
「いや、別に」
梅ちゃんのストーカー事件のときは携帯電話のメールの雰囲気とかで梅ちゃんを怪しんでいたっけ。
じゅー、と生地が焼ける音がする。ゴミを焼くときとは違う食べ物のにおいだった。
まつりが焼けた一つ目を、皿に移す。柔らかな湯気が立ち上る。
「虫歯はうつるらしいよ〜」
二つ目の準備をしながら、そいつは『げへへへ』とゲスい笑みを浮かべる。
「……、お前は、虫歯じゃないよな」
「ん?違う」
まつりはきょと、とぼくを見つめた。
「だって、ななと、へいきでしょ?」
昔から、こんな感じで↓(脳内参照)よくぼくの口腔内を確認しているが、今もまさにそれだった。
「脳内参照しても、見えないよ!」
「夜は元気だったのに、ななともなんかあった?」
「被爆者の、話を読んでただけ。家を売家にしたときに承諾していながら一方的に身辺調査して解約されたり、店に一方的に貼り紙されたり、結構悲惨なんだなって」
「まつりたちも、他人事じゃあないからね」
ぼくから離れて生地を流しながら、まつりは少しだけ寂しそうにした。
「素性は? 名前は? 本当に覚えてるのか? 本当にそれはきみなのか? みんなずかずか踏み込んで来るわりに結局何も言えずに逃げ回る。
一方的に傷つけられても相手について責めてはもらえない」
□
「最近、異変が起きてるみたいなんだ」
朝食。
サラダに絞ったレモンをかけながらぼくは呟いた。
焼き上がったホットケーキは、ふっくらしていて美味しい。
「異変?」
同じく、対面して食事を摂っているまつりが、きょとん、とぼくを見る。
「学校に置いてる私物が、誰かに探られているような気がして……とくにレポートとか、ノートなんだけどさ、最近よく自分で引き出しに入れた位置より数ミリずれてるんだよ」
ここ数日落ち着かない。不気味なのだ。
……だけど、犯人を捜そうにも、心当たりが無くて、何から疑えば良いのかわからなかった。
まつりがどうでもよさげに呟く。
「ふうん、ななとのファンじゃない?」
「いや、お前じゃないんだから……そんな」
自分で言ってて少し悲しくなる。
「そう? たまに同性の子から――」
「異性がいいかなぁ」
やっぱりなんだか悲しくなる。
「あ、梅ちゃん」
「……ぼくは、ご主人様一筋です」
「夏々都はいいこだねぇ」
にへら、とまつりが笑う。なんだこれ。
「リュージなんて、へそを曲げてしまって、大変だったんだよ」
「……あの人、わりと大人気ないよな」
この前も、ぼくが転んで、まつりに「しょうがないなぁ」と抱きかかえられていたのを通りすがりざまに妬んで
「だっこしてー!俺の事も!! ダコチテ!!!ねぇまつり様!!!」
と道端で駄々を捏ねだして面倒だった。
いい歳したおじさんがまつりと同じような言動をとっているというだけでもこう、寒気というか、吐き気を催すものなんだな、とぼくは新たな知見を得たのだけれど。
「おっさんが、何言ってんの? 恥ずかしくないの?」
と、まつりに残酷も切り捨てられていた。
で。
「ともかく、きみの私物に、異変が起きてると」
まつりに言われて、改めてうなずく。
「そうなんだよ! そりゃひとつひとつは、他人にとっちゃ大したものじゃないと思うよ。でも、なんていうか気味が悪いから先生にそれとなく確認したりするんだけど、知らないって」
「ふむ……カギは?」
「引き出しは基本ないけどロッカーには、簡単な鍵がかかってる。くろがねの。ただ、ロッカーに気になるノートを全部移動させて鍵かけた翌日も、なんか、少し変だったんだ。動いてたというか、少しプリント類の、傾き方が違ったというか……」
「カギかけてるのに、私物の向きが少し変わってる? カギってあれでしょ、一人ずつ別々」
「そう思うよ。廊下には一応カメラが設置されてると思うけど、あんなのどうにかなるだろうし、とにかく普通の生徒が故意に開けるには、意図的な手段が必要だよ」
「遅くまでいる先生とか、見回りに来る人は」
「宿直の先生を観察してたことがあった。その先生が出張してた日にも、関係なく起きた。ここ1ヶ月は続いてる」
「単なる警備の人、ってのは、動機が見当たらないよね。きみのことも知らないだろうし」
動機だけで見るなら、やはりクラスメイトや担任が気になるけれど、みんながみんなぼくに興味があるわけでもないし、部外者にしても、まず教室にこれといった来客は、ぼくの見ていた範囲では、無かった。
放課後は帰るとは、いっても……
「ためしにノートと引き出しの間に、テープを貼ってみたんだけど、それもあまり意味ないかなって感じ」
「おお。とりあえず釣り上げよう作戦だね、それで?」
「もう、なんにも釣れないかなって、諦めてたんだけどさ――」
ぼくは心の準備で少し間を置いてから改めて言う。
「ノートに、『なんで見るんですか、やめてください』って書いたんだよ、昨日」
「……」
まつりは、もしゃもしゃとサラダを食べている。
ちくしょう、かわいいな。
「で、他の教科書とかにも、いろいろと、挟んだんだ。
見ないでほしい、とか、
怪しそうな人の名前を適当に書いて挟んでみたり……」
「で?」
そして、放課後の話。
クラスで、急に体調を崩したって言って早退した人が二人出た。
「あと違うクラスで、暴力沙汰になってたみたいで……上の階から叫ぶ声が」
「でも誰も言い出さなかった?」
「言い出さなかった」
「それは、なんか、陰湿な話かもしれないね」
陰湿にカエルに火をつけ燃やしたり狼の解体を楽しむやつにしては楽しいのだろう。満面の笑みだった。
「陰湿じゃないよ、明るく燃やしてるもの」
聞こえていたらしい、訂正された。
「だんだんと崩れていくとこ、可愛いんだよね……」
それは、少し、わかる。
生き物が、生き物だったのだという、実感のような。
「猫虐待のニュース画像、正直、興奮した」
まつりは、逆に申し訳なさそうに、そして素直に口に出して苦笑いする。
いろんな死を見てきて、いろんな人を見てきて、記憶にも、世界からも、裏切られるそいつは、だけど、とても寂しい生き物だ。
「壁に血が、かかってて、毛並みが変質して、目が濁って、綺麗だったよ。ひどいって怒りの声が、全部戯言にしか見えなくて、あの写真、ずっと見てた」
申し訳なさそうで、苦しそうな顔。そいつなりには、分別がついているということでもある。
「だめだよね、でもまあ、あんなの」
わかる気がするからこそ、手は、染めちゃいけない。
ぼくたちは不安定な境界の間に居る。
「ぼくを……見てよ、ぼくは――」
何かに焦ってぼくはそう口にする。まつりは苦笑した。
「だって、きみを殺したら、もう、殺せないんだもの。それって、不毛でしょ」
そしてすぐに正気に戻る。
「それで、言い出さなかった人のことは、把握してるんだね」
「上の階は、実家がパン屋の先輩が居るよ。いきなり早退してるやつは、普段から元気そうな……風邪を引かなさそうなタイプの男」
朝御飯を食べながら、ぼくは思い出す。
「うん。二人、同級生で――美並と、八木かな」
思い出すときちょうど最近は少し、胸がずきんと痛む。
ヒリヒリと何かが痺れて見えない何かが嫌がっているようだった。
「学校は少し前も窃盗があったばかりだから……気をつけてくれても良さそうだけどね。ことなかれ主義というか、
『生徒を疑えない』みたいなのがまだ残ってる。泥棒って嫌いだな」
すべての『罪』の根底にある、犯罪の基本。
殺人も泥棒だと思う。
何かを気軽に頻繁に盗むことさえできるならそいつは人だって殺せる気がする。
「あのときは、みよし君だったね」
そういうと、まつりは、のんびりと背伸びをした。
――そうそう、これを説明してなかった。
まつりとぼくは、いろいろあった幼馴染みなだけではなくて、惨殺事件やそれに関わった人たちに関連する事件を辿っている。
いままでも少しずつ解決してきた。
不安になるときもあるけど、『あの』天才が集まるお屋敷にいただけあって、まつりはこういう面に関して賢いのだ。
だから、ぼくもぼくとして頑張れば、大丈夫な気がしてくるし協力できそうなことにはそうしてきた。
相手に寄りかかって持ち上げてれば、威張れるなんて考えは汚い。敬意なく利用してる行為だ。
きちんと自分の足で隣に居ること、そのために、強くなりたい。
あの事件関連以外でもたまに、日常に相談が持ち込まれたりする。
ママとも事件というのは、
ママともになった『ママ』が、他のお宅に遊びに行きながら金品をこっそり拝借していた一連の事件だった。
「いやがらせというか、きみがいじめられてる、って可能性はないの?」
まつりは特に躊躇わずに聞いた。
こういうとこ、好きだと思ったりする。
「どうだろう、ぼくがいじめられようが興味ないしね」
いじめだと思わなければいじめじゃない。これがぼくの信念のひとつだった。いじめは誰でもあるし仕方がない。ただルールとしていじめだと感じるものを見つけたときにそうなってるだけの偶然だ。
「窃盗とか不法侵入ならわかりやすく犯罪だろ? だからなんか怪しい正体のものだったりしたらと思うと一応、報告しとこうかなってさ」
「ふうん、わかったよ、彼らがきみを狙うこともあるからね。
うーん。一応おまわりさんが居るはずなんだけどなぁ」
「監視なんてわりとどうにかなっちゃうものだろ? 人なんだから。外を走る車と同じで、興味が無いひとにはみんな同じような車だよ」
「あぁ、ななと、車嫌いだったね。そんな文豪が居なかったっけ」
居ただろうか?
ぼくの乏しい知識では解りかねた。
狭いとこに閉じ込められてるみたいでなんだか、不安になるしそれにそれなりに丈夫でそれなりに走れば良い気がする。
ぼくはエレベーターや、乗り物という、極端な場面変更が苦手だった。
止まってるのに、移動していることに頭が混乱するのだ。
たぶん精神的なものだから、なれるまでは少しめまいがするだけで別に乗れないわけではない。
「車なんかなんだっていいよ」
12:52
兄。クズとだけ説明すれば大体説明が付く。兄のまた知り合いも……いやそんなことはどうでもいい。
ぼくが機嫌を損ねたと思ったのかまつりは慌てたようにフォローを入れる。
「あぁ、別に同じように見たってわけじゃないよ? きみはきみでしかないからね」
「そう、ぼくはぼくなんだ。何かと重なったりしないよ。重なるものなんかない。
隠してまで表に出るほどの感情自体を、そんなに持ってないからね」
唱えるように言いながら、インスタントコーヒーを入れる。
ぼんやりと、早退した人のことや先輩のことをできる限り思い返してみる。
「朝から様子が変だったけど、六時限目くらいで二人が保健室に行って来るといって報告が担任に回ったことをぼくらは教室で知らされた。
早退って放課後の話じゃないと思うけど、授業の後に学習タイムがあるから……」
小学、中学と、無かった実に謎な時間枠だが、まぁそういうものだ。授業後に一時間『任意』の勉強時間が組まれていた。
任意とはいえ大抵が残っていて宿題をしたり予習をしているので帰りづらい。ほぼ教わらない授業みたいなものだった。
「早退ね。なるほど、それには出なかったのか。でも朝から帰ったりはしないんだね。体調の問題か、単位かな」
「昼間はロッカーを開けるタイミングはなかったのかもしれない。最近は体育がどこかしらに入っていたけど、この日は無かったし。彼らがその移動の隙間で何か物色してたなら無理かも」
夜 2019.8/12
□
特には何事もなく、昼まで話したあと、再び食事の時間になっても、ぼくらは話をしていた。
他愛ないこと、事件のこと。
ちなみに、本日学校はお休み。
まつりがオムライスや食器を並べているのを、ぼくは手伝っていた。
オムライスには「なとなと」なんて書いてある。
書き間違えたのか、かかりすぎたのか、周りにちょっとこぼれていた。
ご飯を食べたあと、早めに風呂に入ることにした。この日は、少し昼から暑くなり始めて汗をかいたので昼とはいえさっぱりとしたい気分だったのだ。
シャツや服を抱えて浴室に向かいながら、ちらっと窓を見る。
お風呂に入るときに最近気になることがある。窓際からガタッと音が聞こえるのだ。
昨日もそうだった。
(窓の外に、何かが……?)
開けたときには居なかったりするのだけれど、気配に敏感になっているぼくは何回も続くと気になってしまう。まさかストーカーや暗殺者でも居たりして。そういえば前にまつりに聞いたときは「春の嵐みたいなもんだよ」と言っていたか。
「えーっと……なんていったっけな」
入る前にまつりが言っていた通りに着ていたシャツだけの姿になり、湯船に腰かける。
(なんか意味あるのか?)
なるべく色っぽくしなければならないそうだ。一人で。
一人で。いつまで座れば良いかわからず5分ほどで服を脱ぐ。
「なんか悲しいよな」
捜査も調査も巻き込まれも、極まってきた気がする。
ご主人様と一緒に入るわけには行かないのだが、まつりはなぜかぼくの方を心配していた。
「春の嵐が吹いてくるのはきみの方だから」とかなんとか。
実家がパン屋の先輩や、美並と、八木を思い出す。
何かに、勝手にロッカーを開けるようになった経緯があるはず。
だけど僕は、彼らとただの顔見知り以外に深い関係はないので困ったものだった。
心当たり、が浮かばないのだ。別に金塊を入れているわけでもないし……
「あっ。ひょっとして」
――無視するから?
有り得る話だ。
他人にほとんど興味のないぼくが、無視したからというのが、目立ちたがり屋な彼とかに癪だった?
「ななとー」
ドアを叩く音がする。まつりが呼んでいるらしい。
のぼせて居ないか心配しているのだろうか。
ぼくはすぐ上がると告げて考えるのをやめた。
「前にも無視して怒った子が居たよね」
台所のテーブルの上で二人ぶんのカフェオレを入れながら、まつりはのんびりした口調で言った。
「寿梅ちゃんの件、大田詩織や、二紙追信、君が興味を持たないって理由が自尊心の高い人は理解出来ないから……
逆に常に意識しているのだとすら勘違いしてしまう」
「いや、あれで逆鱗に触れないのは難しいよ」
大抵、他人から怒られる理由は興味がなくて距離を置いたり、関わりたくなくて距離を置いたりするのがほとんどな気がしてきた。
「ストーカーや、精神しょうがい者に一番やってはならないのは、無視することなんだよ」
まつりが専門家みたいな口調で言う。
そして「と、言うのは簡単なんだけどね……」とため息を吐いた。嫌われるようなことをあえて言いに行く、というのも逆鱗に触れてしまったりしたもので……
「とにかく、好きでいさせることさえ我慢すれば、まだ大人しい方だから、またあったときは夢を見させて置いたら?」
「考えとく……」
否定せず好きで居させさえすればいい、それが猛獣をおとなしくさせる唯一の道。好きで居させること、を我慢すること。
「うぅ……またつきまといだったときのために、
当たり障りない返事を練習した方がいいのかな」
マグカップを手に、リビングに向かう。
ソファで座って飲もうと思ったのだが、まつりも同じようにしてついて来た。
――最近、テレビではモデルハウスや物件を紹介する番組がやたらと増えていて、今日は5900万円の豪邸や、スポーツクラブの建物なんかが出ていた。
「テレビつけっぱなしにしないでって」
と、言ってみるも、効果はない。まつりはきょとんとしたまま、ソファで何処かからだしたメロンパンを頬張っている。
「こちらの市民会館のトイレなんですがー!」
リポーターがトイレのある方向をちらっと見る。
壁のあちこちにポスターが貼られているが、中でも気になるものがあった。
「マスクをして予防しましょう──世界マスク研究会──?」
口を突いて出たぼくの疑問に、
まつりは目を細めながら一瞥する。
「世界的にマスクを研究している会だね。どんなマスクに効果があって、マスクにできる素材は何か世界中からネタを仕入れているんだって」
すぐ隣には『保母手帳で、毎日貴方の子育てをサポートします』という、子育て記録帳?みたいなのが貼ってある。
タイトルの下に付いた記事では、ママさんでも保母さんでも無く、『その辺の学生の問川さん』そして『その辺のコピーライターの菱尾さん』に話を伺っている。
「略したらほぼ日だね」
まつりがきょとんとしたまま呟く。ほぼ日? 何の略称なのだろう。
ほぼ日本人とか、そういう感じの名前にも見える。知らないけど。
「……。なんでもあるな」
マスクの広告を改めて見る。
よくニュースサイトの見出しを利用してマスクの広告を貼っているみたいだ。やがて国がマスクになる、がテーマらしい。
今は夏だけれど、中学にもなれば勉強や部活で忙しい。そんな純粋だったころの夏休みは、もう記憶のなかにしかない。
夏休み、か……
「夏休み、があったんだよな……あのころは」ふと、思う。
夏休み。遊びに、研究に、工作。宿題は沢山あったけど、基本的に平和な時間。
まだ、世界を信じていたころだった。
「工作っていうと鉄骨入り生肉の義手を開発しようとして、毛細血管の複雑さで挫折したこともあったなあ」
隣にいる幼馴染は平然と冗談みたいなことを呟いている。
そんな細かいのを作る気だったのか。
いや、そもそも工作ってレベルじゃないぞ。
(というか生肉の義手って毛細血管が関係あるんだろうか。人肌に近づけたってことか?)
「なるべく、手って感じにしたかったけど……難しい」
「柔らかい素材を折り曲げて、戻してってやるのにはどうしても負荷が掛かるだろうからな」
「それでも夏場は腐臭がするっていうのは勉強になったよ」
まつりは、どうして義手なんて作ろうと思ったのだろう。
そいつ自身には腕があるし、ぼくを抱きかかえたりしているけれど、その腕は人肌らしい熱と柔らかさを感じる。
(だけど……)
まつりの方を見る。そいつはきょとん、と此方を向いた。
「いや……何でもない」
このときは、結局聞くことが叶わなかった。