息が苦しくなって、そいつにもたれかかる。
まつりは、よしよしと背中を擦っていた。
「大丈夫?」
「ん……、少し、休憩」
はあ、と息を吐いていると、まつりが心配そうにした。
「そうやって、気軽なことしたら、損しかしないじゃないか」
「そうかな。あの子怒られ慣れてないから可哀想だったんだよ」
言うと、まつりは複雑そうな感じに笑った。
「全く。そしたら、その子が怒られ慣れないよ?」
「……だって。いや、慣れたらだめじゃないか」
「きみも、慣れたらだめでは?」
「耐性があるのは、悪いこととは言えない」
「感情が、固定されてしまうのは、いいこととは言えない」
「……でも! 勝手だろ」
「夏々都」
まつりと目が合う。
淡い、茶色の目。
綺麗。
「きみは、いつもそうだ」
「だって、いつも、そうだから」
試験。出来すぎたと、呼び出されてカンニングかもしれないと注意を受けて。手を抜いたら、それはそれで、前回との差はなんだと注意を受けて。だからわざわざ残って勉強姿勢を見せて帰って、書きたくないノートを書くようになって。まつりから、遅いと怒られて。先生からも怒られて。
もういやだ、なにもしたくない。
なにしたって、なんだかんだ理由をつけて怒る。
ぼくはそのとき自棄になってきて、泣きたくなって。
何をしても、怒られて。まつりは呆れていて。
ほとんど教科書を読まなくなって。ノートも適当に書くようになって。わすれた人が居たら庇って、それくらいしか出来なくなって。そしたらそれも怒られる。
「……いつも、何をしても言われるんだから。ちゃんと、わかる理由で注意を受ける方が、マシなんだよ」
それは、ぼくが分かりにくいから?
そう言われたらどうすればいいのだろう。
「どうせいつだって何をしたって誰かが潰しに来て、邪魔しに来て、叩かれる。箱の中にいたときと同じ。なにもできないんじゃない、させないようにと長い間取り上げられてたのに、それでまた怒られる」
なにをしても。
なーんの意味もない。
そんな毎日。
「マシならそうしてもいいけど、なるべく控えてよ」
「なんで、そんなこと言われ――」
まっすぐに見つめられ、言葉が出なくなる。
「な、んだよ」
「きみが、迫害を受けて庭にいて、まつりのところに訪ねに来る、あの頃も。――誰もきみを信じてくれなかったね」
「……ああ」
「だから、諦めて、しまってるんだね」
「そうだよ?」
笑う。笑いが止まらなくなった。
「あははは! はははっ!だから今更さぁ。あの程度のことで、かわいそうとか言われたくないんだよね? すごくイライラするよ――この程度がカワイソウだったら、昔とっくに自殺してるよ。バカにされてるみたいでさ。不愉快だった」
「夏々都」
まつりが、こっちを見てる。ぼくは、ただ笑った。かつてのまつりも、こんな気持ちだっただろうか。いや。比べても無駄か。
「諦めてもいいけど、投げ出したら、ダメだよ」
「なにを、言って」
「希望を持つのは、大変だけど。それでも。きみはあの屋敷まで来てくれた。最初は家庭への反発みたいなものだったかもしれないけど、でも確かに自分の意思を持って、会いに来た」
「……そ、れは」
「昔、言ったよね。
世界を信じなくてもいい。他人を信じなくてもいい。信じたふりをしろ。偽ってでも、笑え。
周りに合わせるふりをしろ」
それでも、世界は広い。心は自由だ。
「そしてきみも言った。周りと合わないよと言ったまつりに」
まつり、どこかに、ぼくらのような人が、いるかもしれないね。
だから。
二人で、いろんな世界を、見にいこう。
「覚えてる」
「まつりは、そう教えてくれたきみのことを、愛している」
「ぼくは――」
それを、信じさせてくれた、まつりが。
囚われたように、屋敷から出られない。
だけど、その中でも、幸せそうに。
自分の世界を、築いていた、そいつのことが。
「っ……」
胸が痛い。
前からだ。
あの小旅行に行ったときから。たまに、これが起きる。
あ。
「心臓に悪いって」
「ん? 心臓がどした」
まさか……
重大なことに、気付いてしまった。胸が痛いのは、まつりのことについて考えるときだけなのだ。これは、病気だとあいつも言っていなかったか。
「お前、何か菌でも移した?」
「え、いきなり失礼な」
まつりが、ぎょっとする。
「胸が痛いんだけど」
「ほうほう、検査を――っ、痛あっ!」
思わず頭に手刀を食らわせてしまった。
「あ、悪い」
「いきなり、どうしたの?」
「わかんない! まつりが病気だと言ってた」
「ふうん?」
そいつは、面白いものを見るようにぼくをニヤニヤと眺めてから、起き上がった。
そして改めて被さってくる。図が、押し倒されてるみたいだ。
「え、なに」
「んー? 治療してあげようかなって」
思わず後ずさる。
「……い、いらない」
「いいのー? ずっと痛いかもよ?」
まつりは楽しそうだ。しかしそんなこと、言われても、なんだか怖い。びく、と硬直する。
と、そのとき。
ぼくを殴り付けてた誰かと、影が――重なった。
「や、だ!」
正面から対峙するのは、苦手。だって。
重なるから。
そう。ぼくは、だから、まつりに自分から触れない。
重なるから。
首をしめてあげる、とか、今から、この刃を、当ててあげる、とか。
にやにやした笑顔を向けて――――
「いや、来ないで! 来ないで……っ」
息が詰まりそうになる。怖い、怖い、怖い。
首を横に振って、がたがた震える。
「め、んなさい、ごめんなさい……」
まつりは、一度、はっとしたように目を見開くと、ぼくから離れた。
「謝らないで」
そして、体制を低くして、上から被さるような状態をやめた。目線を合わせるように寝転んで、それから、心配そうにぼくを見た。
「そっか。高いところから遠巻きに見られているのが。威圧感があったんだね?」
ぼくは、答えない。
あれは、他人が距離を取りながら、危害を与える機会を狙う姿勢だ。
そうか。だから怖かったのだ。
「……ごめんごめん、気がつかなかった」
「まつり――」
同じ位置に寝転んで、近づいてきたまつりに抱き締められる。
「まつり、まつり、まつり……」
「んー?」
なんだか安心した。
すり、と胸元に顔を押し付けていると、猫みたいだなあと笑われる。
「かわいい」
「知らない、人になった、みたいで――」
「うふふ、そうだね」
「こわ、い」
「ん、わかった。気をつけるね」
ああ、良かった。
うとうとしていると、ゆっくりと撫でてくれる。背中にしがみつくと、もう平気? と囁かれる。
こくんと頷いて、まつりにひっつく。
温かい。怖くない。