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庭に行くと、佳ノ宮まつりはシャボン玉で遊んでいた。
白いワンピース姿。
ふわりと浮かぶ丸い虹色。小さな階段に腰かけて、楽しそうにしている。やがて、気配に気づいたのか、少し首をかしげて、いらっしゃいと笑った。
まつりが、二本目のストローを手にして、ぼくの持っていた容器にそれを浸ける。 ふー、と優しい吐息のあと、また、きれいなまんまるが、沢山浮かんだ。
「まあ人生、いろいろあるね」
「なに、今から悟ってるんだよ」
「ん? うふふ」
まつりは笑う。
悲しそうに、楽しそうに、なにかを堪えるように。
常に甘えられない立場に居たそいつは、だけどまだ子どもなんだ。
空に消えていくシャボン玉を見ながら、ひしひしと、そいつの痛みを感じる。わかりきることは出来ないけれど、でも。
「それが嘘だって、わかっていてもさ。信じたい嘘って、あるんだよ」
まつりは、笑う。
寂しそうに。
苦しそうに。
痛みを、堪えるように。
「そして、信じてしまうからこそ」
壊してしまう。
もし本当にそうだというのなら。もしも、本気で、そうなのなら――――それはあまりにも非情で哀しいジレンマだ。
「んーっ」
という、間抜けな声で、目をさます。
目の前に、まつりが居る。
「なにしてるんだ?」
唇をつまんでやると、そのままの体勢で、そいつは言う。
「人工呼吸するしかないと判断した」
「判断すんな」
息あるだろ、どう見ても。
「ななとが元気無いから心配してるんだよ」
まつりに呼ばれるのは、好きだ。もう一度呼んでもらいたくて無視すると、ぐい、と顔の向きを変えさせられ、無理矢理向かされた。
「な、に……」
「無防備に寝てないでください」
「ん。大丈夫」
「そうかな?」
手首を掴まれ、これはなにかと聞かれる。
血が滲んでいた。
あまり、痛くない。
「あ、どっかで切ったのかもな」
淡々と呟くぼくに、呆れたように、まつりが席を離れ、やがて救急セットを持ち出してくる。
「最近のきみは不安定だ、まるで昔に戻ったみたいに」
台所の椅子のひとつに座りながら、ぼくは、きょろっと、辺りを見渡す。昔、ここにリュージさんたちも来たっけ。
「……ぼくは誰に対しても、生きて、欲しい、んだ」
呟く。
まつりは黙って、包帯を広げて長さを確認している。
「だから……エリさんのときだって、他の事件の人だって。
ぼくが話しかけなければ、そのひとの代わりに壊されていれば、生きていてくれたのかって」
「前にも言ったが。
彼女のときも、原因はきみだけではなかったはずだよ。そもそも、一人で問題を抱え込む状態にあったことがパニックに繋がったのだろう……まつりも手が出せる状態ではなかったし、きみもきみで手一杯な状態だった」
わかっていても。
それでもね。
「ぼくのせいじゃないか、って」
「すべてきみのせいだったならきみを怒れば済む話だ。それこそ人によっては美味しい状況だろうし、だったら尚更に生きていただろう。
彼女はきみを責めていた? まつりや、他の、きみが知る人は、きみが悪いと言い切ったかな」
首を横に振る。
「でも、ぼくが悪くなくちゃ、ならなかった。そういう風に組み上げられていた。仕立てられていた。そこから逆らったのは、ぼくだ」
「その組み上げられていること自体が、異常だと思わないか」
まつりが包帯をぼくの腕に合わせて確認しながら言う。なぜか、とても怖い目をしていた。
「そこでもし、きみが死んでいたら、何事もなく世界は回る予定だったの? おかしくない?」
「なに、怒ってるんだよ」
ガーゼを当てられながら、ぼくはきょとんとする。まつりは、なぜかイライラしている。うーん。あまりカリカリしたら、身体に悪い。
ぼくは戸惑ったままそいつを見上げる。
怖い目をしている。
それは凄まじい憎悪をはらんだ目。
「あの指輪のときも。組織が絡んでいたふしがあったが……」
屋敷の事件のとき、なにがあったか、ぼくは知らない。もしかして、それも関係するのだろうか。あの事件は、まつりがしばらく壊れたようになっていた、原因。
「あ、夏々都、怖かった? ごめんね、よしよし。泣かないで」
まつりが急にぎょっとしたようになり、ぼくを抱き締める。
「きみに怒っているんじゃないんだ。ただ、あんまりに、可笑しくってさ」
「おか、しい?」
「うん。可笑しい。まるで手慣れているじゃないか」
腕のなか。
昔は嫌だった体温。
なんだか、今日は安心する。すり、と顔を押し付ける。
「わわ、可愛っ……」
まつりが突然、機嫌よく声を上げる。意味のわからないやつだ。
「じゃ。ちゃんとご飯、食べようね?」
「やだ」
「あーん」
箸でつまんだ浅漬けを食べさせられる。
「……ん」
「しっかり食べないと大きくなれないぞ?」
「うん、おいしい」
「きゃー。ななとくんが、手からご飯を食べてくれる……!」
「ペットみたいに言うな……いや。ペットなのか、ぼくは」