「あ。ニュースって言えばさ」
と。唐突にルビーたんが言った。いつの間にか『世間話』の流れになっている。
「安田タカユキ、あれ、どうすんのかねぇ」
国際空港テロから何十年か経った今だけど、最近ではまた、『安田タカユキさん』の誘拐が起きて世間をにぎわせつつあった。
海外旅行に行ったきり、不通だったと思いきや数日後テロ組織に捕まった安田さんの身代金が、日本政府に要求される。
どうやらヤスカワタカユキの後も、ヤスは記号のようになっているらしいとのことで、テロ組織間でなにやらあったらしい。
「日本政府は身代金を払わないだろうと言われているしねー」
まつりが苦笑しながら言う。
ヤスダタカユキも勝手に関わりに行ったし、勝手に捕まっている。
それで日本を外交危機に晒しているのかと呆れる人も少なくないらしく、
テロップで何度も取り上げられた「不通」をもじって、「普通に病気」なんて言う人も居るくらいにミームが流行る状態だ。
しばらく旅行地域に制限がされるらしい。
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そういえば、『犯人はヤス』ってミームがあったな……
なんて考えていると、ふいに何者かがぼくの肩を叩く。
しばらく静かに端末を眺めていたはずのルビーたんがいつの間にか、ぼくを見つめていた。
「あのね、ちょっと思い出したんだけど、聞いて良い?」
「な、なんでしょう」
真っ赤な色の興奮作用なのか、まつりがあんな話をしていたからかいろんな事が脳裏に過ってやたらとドキドキしたが
彼女が言ったのは――――
「夏々都君って兄弟居るよね?」だった。
「……?」
それがなんだというのだろうか。どこで調べたんだろう。
まつりが話したのか?
紹介しろとか言われたら嫌だぞ。
どう答えよう。何も答えずにいるうちに、彼女は話を続けた。
「ちょうど知り合いがね、兄弟がいるんだ」
「はぁ」
「弟の方は溺愛されてて、兄の方はいじめられて学校に行くのも大変なんだって」
「はぁ」
げっ兄弟格差の話か。と悟った途端に心がずしっと重くなる。
「それで、なんとかしてあげたいなと思うけど、私もできることが無いし」
「た、大変ですね」
年上が虐められているというのは何だか、むず痒いというか、微妙な感情になるなと思う。
まぁとはいえ、ぼくも鬼じゃない。
「うーん……そうですね」
自分がいつも曝されている一般常識に照らして答えてみる。
――――死ぬわけじゃ無いし、まだまだ元気だし。それより、自分たちの方が、もう若く無い
――――そうだそうだ! こいつはまだ、若いんだから、やり直しがきく。
――――中年にもなるともうどこにも雇ってもらうのは厳しいんだ。
でも、お前は良いじゃないか、未来があって
──だから譲ってくれよ、な?
あちこちで言われた様々な言葉。
正義も正解もわからなかったけれど、代わりに
まつりのことをずっと思い出していた。
――――わかった。これから一緒に殴り込みに行きましょうか。
――――今から!?
――――甘いことを言ってる場合じゃないよ。誰かが生きるってことは、誰かが死ぬしかないんだよ?
――――だけど、彼らだって
――――もう、人生の大半生きたんなら良いじゃない。
ちょっと前までろくにお米も炊けなかった君と、沢山の道楽を覚え込んでいる彼らの未来が同じ重さとは思えない。
――――お米の話は忘れろ
「そんなの、痛くても、辛くても、通えばいいと思いますけどね。
痛い、けど死ぬわけじゃない、そう思えば大抵のことは乗り切れます。
若いんだから」
「そうね、それが一番なんだけどねぇー」
何を伝えたいのだろう? 言いたいことがわからない。
「嫌なら殴り込みに行けば良いんです!」
彼女は困惑気味な笑顔で唸った。どういう表情なんだろう。
「──なるほどねぇ、一理あるんだけど」
ねっとりと、憂鬱そうに彼女は言葉を繰り返す。
大体、ぼくから何を聞きだそうとしてるんだ?
「……なぜ、そんな話を?」
「あなたとは、仲良くなれると思うの。だから、ちょっと、あなたのことを知っておきたいと思って」
こんな嫌な質問で?
これで知ることが出来るのは、ただ、『分かり合えない、仲良くなれない人が居る』という悲しい事実だけなのに。
「学校だけじゃなく、家でも、弟ばかり、可愛がられるのって、どう? たった二人の兄弟なのに……冷たくない?」
弟、を強調しながら、なおも問いかけてくるのがなんか嫌だった。
「みんなそんなもんですよ……」
ぼくの兄弟は、本当は三人兄弟だったらしいが一人は若くして死んでしまったと聞いている。たった二人、という言葉がやけに重く感じるのはそのせいだろうか。
「ていうか、ちょっと大袈裟過ぎません? 居場所が無いなら居場所が無いなりにやるしか無いし、愛されないなら愛されないでちょっとは我慢し──」
「そうかもしれないけど、答えて!」
早口でまくしたてるように言われ、少し驚く。まつりはぼくの隣で少し眠そうにしていた。眠そうに、間からしゃべる。
「そんなこと夏々都に聞いたってだめだよ。本当に痛くても辛くても通ってたもん」
それはぼくの場合も、家にいても学校にいても大して環境が変わらないからだけれど、あえて言わなくたっていいだろう。
そして、家に居るより学校や外に居た方がまだ他人なだけマシだった。
「ななとは、嘆くことはあっても、嘆きながら頑張るし、痛いって叫びながら痛いのに進んでいたよ。言葉と行動が必ず一緒じゃなくて良いときもある」
……。
「引きこもらないくらい心が強かったからでしょう? 学校ではいじめられるし、家にいても弟が可愛がられるだけ。そんな酷い環境、自分なら、どう?」
「どうって……」
確かに、そんなの、ぼくに言われても普段両親家に居ないしなぁとしか思わない。
「可愛がられないとなんか問題なんですか?」
引きこもると弱い認定されるのが嫌なら、行きながら殴り掛かれば良いだけじゃないか。心が強いかどうかなんて気にする気力があるなら可愛がられるか気にする場合か。
まつりはなぜか少し、困ったような慌てたような顔になった。
ななと、と何か言いかけて、また口を閉じる。
「どうかしたのか?」
「何でもないよ」
少し、泣きそうな、寂しそうな目をしている。何か哀しいことでもあったんだろうか。
(2022年12月19日19時50分加筆)
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「なんでもないってことは無いだろ、まつりも、何か隠してるだろ」
ぼくは思わず強く糾弾する。朝、友人とお茶会に行くからと連れて来られたものの、二人はずっと何か隠してるような感じだ。
「……ふむ、そうだね」
そいつは、観察するようにじろじろとぼくを見た。
「なんだよ?」
「いやさ、覚えてるなら聞こうかと思うんだけど。クッションに日記、入れてた、よね」
────え?
「昔、小さいころに、一緒に屋敷から抜け出そうとしたときに、外に何を持っていくかを話し合ったことがある、みたい」
静寂。
どこかからハッピーバースデーが聞こえる。誰かの誕生日みたいだ。
HappyBirthdaytoYou
HappyBirthdaytoYou
HappyBirthdayDear...
「クッションに日記を……? ぼくがか? どうしてまつりがそんなことを」
ずき、と頭が揺れるような頭痛に苛まれて頭を抱える。
「う……うぅうぅ……」
痛い、苦しい。目が回りそうだ。鼓動が速くなる。
体温が急激に奪われていって背筋が冷えていくような感覚。
それなのに、手のひらは汗ばんでくる。
────お茶に変えておいたんだけど……
────うわーっ、食後のお薬が溶けちゃったんですか
────え、もう、おじいちゃん!
お薬入れてんのどっち?
────アスカ、お誕生日おめでとう!
────ハッピーバースデー、アスカ!
「そのときに、クッションを、持っていこうって――」
脳裏に記憶の残骸がうっすらと浮かび上がる。
柔らかい何かを手にしている。
何かのファスナーを開けて、何か、綿に混ざって……
目が回る。景色が回る。
ぐるぐると、自分を置いて周囲の風景が激しく回転しているような気がする。急激に吐きそうになって口を押さえる。
「ぐっ……」
昼に食べ過ぎたかもしれない。
「あぁ、悪い。ちょっと、トイレ」
雑に言い放つと、席を立つ。
まつりが、大丈夫か聞いてくるが答える場合じゃない。
背を向けて速足で、奥に見えてるトイレの看板の方向に向かって歩く。
(202012200122)(202012180207)