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 車内にて。


二人の会話が再会されたのはいつも夏々都が中学に向かう道と反対方向の分岐路で曲がったな、とまつりが思った頃。
「しかし本当に『学園』に行くつもりだなんてね。聞いたときは、びっくりしちゃった」 
前を向いたまま、彼女が言い、まつりはそっと目を伏せるように零す。
「まぁね」
互いの感情は悟らせないというような暗黙の緊張の糸が微かに張っていた。



そう。学園────それが今回の『仕事先』。
一応名前は伏せておくけれど、ある学園に用があるのだ。
 事件のあった佳ノ宮家の屋敷が崩壊する前から存在していて、なによりまだ現存する佳ノ宮系列の場所であることから、まだ当時の情報が残されているかもしれなかった。
 



「あそこの理事長には確かめたいことが、幾つかある。それになんだか、中でおかしな動きがありそうだし」
「――――でも、いいの?」
 彼女は、座席越しにまつりの隣に居る彼を見つめている。
すやすやと寝息を立てていた。
彼が、疲れているみたいだけど、という意味なのだろう。
家で寝かせて来なくていいのか、と。
「うん。連れて行くよ」
まつりは心配をはね除けるようにまっすぐに答えた。
 夏々都は幼馴染だ。
線の細い黒髪の少年で、今は、まつりの膝枕で寝ている。
此処に来る途中に玄関先で寝てしまったのだが、まつりが担いで乗せた。
疲れているかもしれないけど、まつりは『前回』のことで、彼のご主人さまになるに当たって、『一人でお出かけしない』と誓約を書かされたので、夏々都を連れてかなくてはならなかった。
――――途中で寝たらずっとお姫様抱っこだからね。嫌がってもおろさないからね
――――う……ちょっと恥ずかしいけど。


 心は痛むが、まつりと彼を引きはがすともっと大変なことになってしまうので、割り切るしかない。まつりは努めて冷静に答える。
「疲れって言うか、事件の後遺症、常時覚醒状態の反動だな」
まつりはやや悲しそうに彼、を見つめた。



「その概要は以前私も研究所で耳にした。けど……でも意識が他者に販売されて、勝手に弄られ続けるって、意識なんて販売出来るの?」
彼女、は訝し気に、あるいは興味本位で訊ねる。

「うーん、出来るというか……やってるというか」
まつりは少し言いにくそうにしたが、やがて、特に表情を動かすことなく続けた。

「まず、販売の方は前例がある。『監視した言動を研究資料として常に保管する、あるいは実験に誘導して成果を奪う』というもので、某研究所が潰れた理由だ」

 これは、前に話したかもしれないね。まつりはやらなかったけど
とまつりは淡々と話す。

「それに、保管した動画をフィルム化してアニメにしたり、言動をそっくり揃えて『作品』としてアニメや漫画にして流通させ、大画面で晒し者にし続けた。彼が生れる方が先だったのに、さもその作品の方が彼の存在よりも先に生まれたかのように重ねた。2000年以降、そういう監督や脚本家、作家が多かったんだ。『なとなとに似てる』って話、よく聞くだろう」

彼女は戸惑っているのか、あるいは別のことを考えて居るのか、少し静かになった。

「意識の方は言葉にするとちょっとややこしいんだけど……」
まつりは寂しそうに言う。
「ほら、前に流行ったホラーでさ、人形に好きな人の髪とか爪とか入れて、その当人が壊れ出すのあったじゃん。……あんな感じというか。
自分に向けられてくる情報が多すぎて、ずっと前から意識に変調をきたしていた、みたいな。その、突然訳のわからないものが、視えるとか、聞こえるとか」
一瞬、『彼女』の目が見開かれる。
僅かな動揺。
けれど彼女はすぐにいつもの表情を取り繕った。
「え、その、それなら、まずお祓いに行った方がいいんじゃないの?」
「いや、膨大な記憶力自体は彼のものだ。それに……国際問題になってしまう」
言うと、彼女は静かになった。
まつりもあまりこのような事を言うのは良い気分がしなかったが、
事実、国同士の対立を煽ってしまうのもあってこの異常な人体実験は公にならないのだから。
「他者の概念を組み入れるのは古来よりずっと危険な呪いと判明しているにも関わらず、国が、禁止にしないしね」

 まつりは、彼には言っていないが、ある組織の一員で――――
まぁ、なんていうか……ただでさえ目を付けられていたところに、いろいろな事件に巻き込んでしまって、今は一緒に暮らしている。

「屋敷は滅んだけど、彼はまだ生きている。研究結果としての彼にも、うちは、向き合うべきだと思うんだ。 人の生命で他者が遊ぶということが何をもたらしたのか」
 
「何、って……」
 
「個人として魂に根付かない精神がどうなるかは、知ってるよね?」
だから、まつりが抑えているんだけれど、と言うと、彼女は数秒黙った。
微かな動揺が見える。
今は、あの事は触れなくて良いか、とまつりは話題を少し逸らした。





「それにそもそも、国全体がこの人体実験を秘密裏に推奨する危険性もある。当人の身体に本当に悪影響ということだ」

大事な事なので、此処で個人情報を他者が常に利用することで本人に与える影響、その危険性について一応軽く説明しておこう。
「まず、人が人として社会生活を送るには、個人が個人であるという認識の位置づけが本人に生まれなければならない。独立した自分だけの基本情報だね」

名前、生年月日、好きな物、やりたい事、思っている事などだ。
他者と自分には壁があり、それらの情報は『自分の内側にのみ向けられている状態である』という確証が存在するということを理解する必要がある。 
赤ちゃんは親や家族の世話を通してまずそれを得る、成長につれて、少しずつ他者とも関わり、自分がどういった存在か、認識を構成するんだけど──

「だけど幼少から常に、研究材料にされる身が『それ』を持つのは、自分の為の独立した情報を持つ個人である、と考えることは非常に高度で難しいんだ」




 外部に発表され、他人も持っている情報として認識される為、自分の内部に精神としての記録として、自己同一性の為の情報であるという位置づけで根付くことが無いからである。
 
「だから、自開症とでも言うのかな。あるいはカプグラ症候群──ミラー症候群と呼んだ人もいるね。自分がわからない、好意、嫌悪。自分に向けられる自分への認識が理解出来ない。だって、いつ、どんなときも情報が抜かれていて、誰も『この情報は君だけの情報だ』という確証を与えてこなかったから」

 膝の上で微かに身動ぎした横顔を見る。
(寝顔……可愛い……)
中学生になるというのに、まつりと同じく童顔で、あどけなさが残る横顔。


――――ん……? ぼくが怪我をしていると言う事はまつりも怪我をしていて、それで、手当てをしに来たのか?
『まつりは大丈夫。君を手当てしたいんだけど』
──……?
ぼくで実験したい?


――――……えっと、これ、何? 二つあるけど、まつりは両手で食べるのか?
『もー、片方は君のだよ!』

――――どういう事?
え、なっ、どういう事? どういう、事? なんで?なんで?
怖い!!

『怖い? じゃあこれで一緒に食べる? ほら、まつりが両方食べたことにしていいから。君の為じゃない、ね?』

──う、うん……

 何に対しても過剰な防衛本能と、記憶が働いているのが、今の彼の状態。しかし常にその状態で居ては身体に思いもよらない負担が掛かってしまう。
 これを留める為には、意識を特定のものに縛り付ける必要があった。  
好きな物、やりたい事、大事なヒト。

『それは君の傷。それは、君の怪我。それは、君の感覚だ。他の誰かは持っていない』
『この身体の、痛いのは、ぼくの怪我だから?』
『そう。その記憶も──今この時間、まつりと話していられるのだって、君だけだ』

 研究材料にしなかった情報。
それらの情報が自分の内側にのみ向けられている状態である、という確証が存在することで、人は他者との壁を認識し、個人という概念を理解し、    やっと自分が存在することを理解する。

『まつりが今、目の前に居るのは、ぼくと話しているから? それは、ぼくが存在していてまつりを認識しているという事だから?』

そう、君は存在する。
君は生まれたんだ。独自情報を持っている。自我を構成することも、意識を構成することも出来る。

「まつりはまつりだよ、他の誰かじゃない。他の人になんかならないから、だから……」
 だから――――……

「安心して良いんだよ」

202012110131─7/716:13‐2023年2月2日−2023年2月3日5時00分ー2023年7月2日14:50加筆