アンバランス *


ねえ。


大量の書類に埋まっている波江がいるあたりから声が聞こえてきて、俺はパソコンの画面から視線をはずした。

「何か言った?」
「あなたを呼んだつもりだけど」
「ああ、やっぱり。何かあった?」
「字が読めないんだけど」
「…へ?」

波江がそんなことを言い出す日が来るなんて思わなかった。
というより、「字が読めない」とは一体どういうことだろうか。
文字通りだとすると波江はかなり重症だ、働かせ過ぎたのかもしれない。
どう責任をとればいいんだろう、なんて一人でぐるぐる考えていたら、そんな俺を書類の山ごしに見透かしているかのように波江の声がぴしゃりと切り捨てる。

「字が汚すぎて私でも読めないんだけど」
「あ、ああそういうことだよね」
一人で勝手にイタい想像をしていた自分がかなり恥ずかしくて、波江から俺が見えるはずもないのにパソコンのディスプレイに顔を隠そうとする。

「今週の水曜日までにチョコレートを一つ、の次の単語」
「ああ、それは「大黒屋まで」だよ」
「大黒屋なんて時代劇じゃあるまいし…」
「四木さんもなかなか楽しい人だよね」
「四木って…粟楠会の?」
「そうそう」

ふーん、とこれ以上は興味の無さそうな返事をしてくると、波江はまた書類の山に気配を消した。
必要以上に詮索しない、徹底した合理主義っぷりが可愛らしい。

波江と話をしている間にチャットはどんどん流れていて、九瑠璃と舞琉の暴走が目立つ。
急いで内緒モードから二人を牽制すると、「一旦落ちまーすっ☆」と、波江いわく「かなり気持ち悪い」甘楽口調でチャットを中断した。

「波江ー」
「何」
「ちょっと休憩しない?」
「一人で勝手にしてれば」
「そんな冷たくしないでさー」
「あなたのせいで忙しいのよ」
「まあまあ」
波江の返事も待たずに俺は席を立って、彼女が以前に買っておいてくれたアールグレイの紅茶を用意する。
わざわざ大きな缶を買ってきてくれるあたり、俺のこと考えてくれてるんだな、なんて自惚れるけど、それを波江に言ったらものすごい勢いで否定されたっけ。

波江の前にティーカップを差し出すと、目を丸くしてかなり驚いている。
「…珍しいこともあるのね」
「たまにはいいでしょ」

澄んだ液体に揺れながら映る俺と波江の表情の差がとても滑稽に見えて、唐突に波江の唇を塞いだら俺は頬をぶん殴られた。




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