境目 *
「暑いわ」
そう漏らす声は、白く眩い空に消える。
最後の鳴き納めとでも云うように、五月蝿い程に蝉が鳴いていた。
残暑の陽が照る暑い日の唯一の救いは、縁側に吹きつける風。
夕方まではまだまだ時間があるな、などと考えていたら、目の前に布切れがぶら下がってきた。
「あら、珍しいじゃない」
「よう」
女がそのうざったい前髪どうにかならないの、と挨拶代わりの文句を言えば、今日も暑いな、だなんて全く的外れなことを言う。
「暑くておかしくなりそうよ」
「同感だ」
口元だけで笑う隣の男を横目に、「何か飲むでしょ?」と立って問い掛ければ、男は何でもいいと答えた。
カラカラと涼しげな音に耳を澄ませて、その音色はまるで涼を掴み取ろうとしているよう。
紫の髪が白い肌にまとわりついて、邪魔だと云わんばかりに指で絡めるのを眺めていたら、不意に目が合った。
「ねえ」
「ん?」
グラスの水滴が痛いほど冷たくて、唇を離す。
「秋って、もう来てるのかな」
「お前時々おかしなこと言うよな」
「悪かったわね」
そういえば最近は晩に鈴虫が鳴いている。
思ったことが伝わったのか、「秋よね」と呟いて女は一人で納得していた。
「葉っぱが黄色くなってさ」
「その次は赤くなるだろ」
「そして真っ白になったら冬よ」
「冬、か」
寒くなる頃を頭に浮かべて、さっきよりも氷の溶けたグラスに再び手をやれば「おかわり要る?」の一言が飛んでくる。
「また来るわ」
突然さよならを言われた女は、特に引き留めるわけでもなく佇んでいる。
「今度は街が黄色くなった頃よ」
視界から消える影に一方的な約束を押し付ければ、まるで肯定のような風が下から吹き上げた。