時計、抹茶、消しゴム

街外れの廃墟。
周辺一帯を雑木林に囲まれているその廃墟には、いつも、薄らぼんやりとした明かりが灯っているという。
其処には、簡単なまじないの紹介や大掛かりなまじないの代行を生業とするまじない師が居る……というのが、専らの噂であった。

≪まじない師≫
 まじない師はいつも、助手に点てさせた抹茶を啜っている。飲み干せば次。次、その次……と、一日の仕事を終え眠りにつくまで延々と茶を啜り続ける。
 「……蘭子、茶を」
 「はい、蓮乃様」
 蘭子と呼ばれた少女――年の頃は十代暮れ……といった風に見える和服姿の少女だ。艶のある黒髪におかっぱ頭という古風な髪形が、和服によく映えている――は、すぐさま新しい茶を点てる。それが彼女の、助手として何にも代えられない大切な仕事であるからだ。まじない師蓮乃は大の茶好きであり、現在では蘭子の点てた茶しか受け付けないというのだから、致し方無いことであろう。
 蓮乃は部屋の隅に置かれた大きな柱時計を見遣る。童謡で謡われていそうなアンティーク調のそれは、燈籠の灯かりに照らされて異様なまでの存在感を放っていた。
 「そろそろ店を仕舞う時間かねえ。ようやくゆっくり蘭子の茶が飲めるわ」
 「あ、あの……!」
 早くも脱力した蓮乃の喜びを裏切る様に、入り口の方から声が掛かる。内側からでは顔が見えづらい。そういう部屋の作りになって居るのだ。仕事を請け負う者として顔を見せるのは当然のことであるが、仕事を依頼する人間の顔を見ることに意味は無い。興味も無い。それがまじない師蓮乃の価値観である。故に、辛うじて見えているシルエットだけを確認する。やって来たのは、制服姿の女子高生と言った外見をしている。
 「何よ、また若いの?シケてるわねえ」
 客を迎える言葉がこれである。
 開口一番に不満を漏らされて客人――此処では便宜上、少女Aと呼称することにしよう――は明らかに狼狽えて居る。無理もない。この廃墟に足を踏み入れた時点で安定性を欠くのだ、ヒトは。ただでさえ此処はヒトが訪れる場所として、何よりヒトが住まう場所としては異質なのだ。ヒトにはそう”視える”。まるで異世界にでも放り出された様に感じるのがヒトとしての正しい感性なのだと言えるだろう。
 「……まぁ、用件は?」
 コトに慣れた蓮乃は短く先を促す。少女Aははっと我に返り、話を切り出した。依頼は<恋が叶うおまじないを教えて欲しい>とのことで。”好きな人”について、少女Aがどれだけその想い人に恋い焦がれて居るか、ライバルが多く自分に勝算が薄いことなど、蓮乃が訊ねても居ない様な恋愛のあれこれを詳細に語り出す。
 「ふぅん。じゃ、これ」
この手合いは一度満足の行くまで話をさせてやるより他に無いと悟っていた蓮乃は、話が途切れた一瞬のタイミングを逃さずに”それ”を少女Aに投げて寄越す。少女Aは慌ててそれをキャッチし、怪訝そうに首を傾げた。
 「……消しゴム?」
 「そう、旧いまじない。昔からよく言うじゃない?『消しゴムに好きな人の名前を書いて、誰にも見られることなく使い切ることが出来たら願いが叶う』どう、簡単でしょう?」
 「……もっと、すぐ出来て即効性のあるおまじないは無いんですか?」
 不満気に口を尖らせて少女は零す。それも詮無いことだろう、少女Aはこんなポピュラーな、いわば何処にでもある様なまじないを求めて此処を訪れた訳では無いのだから。
 「無いことも無いけれど……大掛かりなまじないになるわ。それに高く付くわよ。魂を売り渡すような覚悟が貴女に、そして、そんな価値がその”好きな人”とやらに、本当にあるのかしらね」
 「魂って……」
 闇を融かした様な蓮乃の声に、少女Aは怯えの色を見せた。
 「恋に近道なんて無い、ということね。……まぁやるだけやって御覧なさいな。今回はサービスしておくわ」
 これ以上此処に居るのは危険、そう判断したのだろう。少女Aは渋々頷き、投げ渡された消しゴムを握り締めて足早に去って行く。それを確認した蓮乃は『っはあ、やっと行った……!』と零して盛大に溜息を吐いた。腰掛けて居た椅子に盛大に体を預け、ともすれば少しだらしなくも見える様な姿で寛ぎ始めた蓮乃に『お疲れ様です、蓮乃様』という蘭子の声。それに片手を上げて応えた蓮乃は、天井の不可思議な模様を眺めながら誰にともなくぼやく。
 「”恋に近道なんて無い”。まじないなんかに頼るより自分を磨けばいい。そうしてなけなしの勇気を振り絞った方が、余程生産性があるのにね。全く……女も大概馬鹿な生き物よ」
 「蓮乃様、お茶を」
 蓮乃の独白を聴いているとも聴いていないとも無く、蘭子がたった今点てた茶を蓮乃に差し出す。『よいしょ』と年寄りの様な掛け声と共に姿勢を正した蓮乃は嬉しそうにその茶を受け取り、艶やかに微笑んだ。
 「ありがとう蘭子。さて、外の看板を下げて来て貰えるかしら。もう店を仕舞う時間だもの」
 蘭子は会釈をひとつ、部屋から出て行った。
 そしてまじない師はいつもの様に茶を啜る。
 「……美味しい」
End


[ 1/1 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -