火藍が好きだと気付いたのは、ある日の夜中だった。なかなか寝付けずに何度か寝返りをうち、そしてふと、紫苑の母親のことばかりを考えている自分に気付く。隣に視線をやると、白髪の少年の寝顔が視界に入ってきた。力河の家で見た、創設メンバーの写真を思い出す。まだ幼さの残る彼女の顔は、とても目の前の少年に似ていた。いや、紫苑が彼女に似たと言うほうが正しいか。
 とにかくおれは、火藍に恋に似た感情を抱いていた。とは言っても、まだ見ぬその顔や体を想像して欲情するということは全くなく、小さなメモに並ぶ綺麗な字や、紫苑から聞いた話から母性を感じ、それに焦がれているというだけだ。多分、おれは母親という存在に憧れているのだろう。
「火藍、これはどうすればいい」
 そんな彼女は今、手が届くところにいる。まさか西ブロックでNO.6の破滅を望んでいたとき、こんなに和やかな日常を送れるだなんて思っていなかった。いや、そんな未来を夢みたこともあったが、それこそ夢のまた夢だと思っていた。だが、それは現実になった。おれはそのまま紫苑の家にお邪魔することになり、それと共に火藍の店の手伝いもするようになったのである。
「えぇっと、そこに積んであるものは左の棚に入れておいてもらえるかしら」
「わかった」
「ありがとうね、ネズミ。本当に助かるわ」
「そんな、おれのほうこそ、家に住まわせてもらって……感謝してもしきれない」
 そう言うと火藍は、にっこりと笑んだ。おれは火藍の笑顔が好きだ。火藍の笑顔は、人を安心させるような力があると思う。
「やだわ、感謝だなんて。わたしはネズミのこと、本当の息子のように思っているのに」
 息子――その単語にぎゅうっと心臓の奥が締めつけられるような気がした。そんな単語を聞くのは、12年前に親が死んで以来だ。穏和な生活を完膚なきまでに壊し、そのうえ愛する息子を危険に晒したこの男に、なぜこんなによくできるのか、全くわからない。理解できない。それでもこのあたたかさが心地良くてたまらないのだ。
「わたし、なにか気に障るようなこと言っちゃった?」
「え?」
「ネズミ、なんだか泣きそうよ」
 はっと火藍から視線を反らす。思考を顔に出さないのは得意なはずなのに、火藍には気付かれてしまう。さすがは紫苑の母親だ、敵う気がしない。
「……え、えっと、左の棚、だったよな」
「ええ、ありがとう。本当に助かるわ。ネズミがいてくれてよかった」
 ああもう、嬉しい。どうしてこの家の人は、こんなにおれの心を揺さぶるのが上手いのだろう。真っ直ぐに好意を示してくる。おれはそのたびに揺らぎ、戸惑い、そして喜んでしまう。ありがとうも、いてくれてよかったも、おれには馴染みのない言葉で、そして、どこかで言われることを望んでいた言葉でもある。
「火藍……礼を言うのは本当におれのほうなんだ。おれは……幼いころに親を亡くした。ずっと復讐のためだけに生きてきた。だから……こんな穏やかな生活、送れるなんて思ってもいなかったんだ。息子だなんてそんなの……おれには贅沢すぎる」
 棚に荷物を入れながら、おれは小さな声で言った。以前のように警戒心を持たなくてもよいのだとわかっているから、本当に少しずつだがおれは、心のうちにある感情を曝け出せるようになってきていた。それもこれも全部、火藍のお陰だと思っている。まだ全てを曝すのは、恥ずかしいのだが。
「全然贅沢なんかじゃないわ! 当たり前のことを、わたしはしているだけ」
 背中に、じんわりとしたあたたかさを感じた。間をおいて、火藍に抱きしめられたことに気付く。
「か、火藍」
「ずっと気を張って生きてきたのでしょう。わたし、知っているのよ。あの手紙の字、几帳面で、それで、すごく堅かったもの」
「堅い……?」
「そう。なんていうのかな、すごくこの人は頑張って生きているんだなって思ったの。でもね、もう頑張らなくていいじゃない。失ったものを取り戻すために生きましょうよ。もっと甘えていいの。寄り掛かっていいの。わたしにあなたを守らせて。愛させて」
 背中から伝わる体温に、一気に心拍数が上がる。初恋をした少女のように、心臓は早鐘を打って、耳は熱くずきずきした。それなのに、安心している自分がいる。嬉しくて、幸せで仕方のない自分がいる。
 ああ、おれはこの人のことがすごく好きだ。それはきっと限りなく恋に似ていて、そして恋なんかじゃない、なにか。
 愛しい体温に体を預け、そっと目を閉じる。暗闇の向こうに、ずっと昔に亡くした母親の顔が見えた気がした。

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