そよ風が頬を撫でる涼しい一夜。
連日の日中の暑さに耐えかねた半兵衛と椿は、手燭を片手に夜の散歩を楽しんでいた。


「椿見て見て、蛍だ!」

小川に近くなるにつれ、点々と浮かび上がる無数の光に、半兵衛が歓声をあげる。

「わー、すごい……! 綺麗ですね」


ぼんやりとした幻想的な明るさに、半兵衛は蛍のいる草むらにそっと近付くと、手燭を足元に置き、その場にしゃがみこんだ。

「これなら灯なんかいらないね」

「あ、半兵衛様! あっちにたくさんいますよ?」

少し奥の川辺を指差した椿は、おもむろにその方向に駆け出した。

「本当? ってちょっと椿、走ったら危ない!」


椿が向かう先は、大小様々な小石が転がっていて、非常に足場が悪い。
追いついた半兵衛が腕を掴むが、時すでに遅し。
つまづいた椿に半兵衛が覆い被さる形で、二人は豪快な水音を立て川に落ちた。


すぐさま半兵衛が起き上がり、椿の手を引く。

「椿!?」

「……ご、ごめんなさい半兵衛様! 大丈夫ですか!?」

「俺より自分の心配しなよ! 怪我してない?」

「わ、私は大丈夫です」


膝ほどの浅い川だったために、二人共目立った怪我はしていないようだ。
ただ、椿は全身ずぶ濡れだが。

川辺から離れた後、半兵衛は安堵して胸を撫で下ろした。

「いくら明るいって言っても夜なんだから、足元気を付けないと」

「ごめんなさい……」

「うん、わかればよろしい。俺もごめんね、助けらんなくて」

俺がもうちょっとあそこで踏ん張れればなー、と落ち込む半兵衛に、椿は顔の前で手を振る。

「いえ、とんでもないです。私が悪……っくし!」

くしゃみに言葉を遮られ、椿はばつが悪そうに押し黙った。


「早く帰ろ。風邪引いちゃうよ」

「は、はい」


「ほら、手」

半兵衛は置きっぱなしだった手燭を拾い上げ、もう片方の手を椿に差し伸べる。

「手?」

「また転ばれたら困るから、繋いであげる」


「……あ、ありがとうございます……」

ゆっくりと重ねられた椿の手を、半兵衛がしっかりと握る。
それに反応して、椿の肩が小さく跳ねた。


「……椿?」

「は、はい?」

「そんな緊張しないでよー。俺までドキドキしてくるじゃん」

明るく笑い飛ばす半兵衛に、椿は自然と強ばっていた体の力を抜き、照れ笑いを浮かべる。


「そうですよね。すみません、こういうことって慣れてなくて」

「ま、慣れてたら困るけどね」

「え?」

半兵衛はにこっと笑った。

「それより、帰ったら即刻湯殿だね! 俺も結構濡れちゃったからさ」

「あ、そうですね。このまま寝るわけにもいかないですし……」

ポタポタと水滴が落ちる髪を摘む。濡れた着物に、夜風がしみる。


不意に半兵衛が「あ!」と声を出し、椿に振り向いた。


「じゃあ一緒に入ろっか!」

半兵衛の可愛らしい笑顔に負けず劣らず、椿もにっこりと笑う。


「それはご遠慮します」


2011/08/18


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