廻廊
少女は、果て無き廊下を無我夢中で、走っていた。何者から逃げているかのように…。ただひたすらに…。
後ろを振り向きながら必死に逃げる少女。不意に何かに躓き、ひざをつく。そして、少女は恐る恐る、後ろを振り向いた。そこには、全てを飲み込むような大きな大きな影があった。恐怖に動けなくなっている少女を見下ろしていた影がズッと近寄る。
「いや―!こないで!」
少女は叫んだ。けれど、叫びは影に届かない…。止まることなく、狂ったように…。ズッと近づいていく。
「なんで・・。なんで、私だけ!?」
少女の頬につたう冷たいものを見るなり、影は、大きな口を開けた。
[・・・死んでしまえ!・・・お前なんて!]
[クスクス。何して泣かせようか?クスクス。]
[お前の居場所は、無いんだよ!]
[消えろ!!]
笑い声と共に聞こえてくる、衝撃。少女は、頭を抱えた…。
「やめて―!」
少女はその身を震わした。まるで、母に助けを請う、赤ん坊のように…。
「助けて・・・。誰か助けて・・・。誰でもいいから・・たすけてよ・・・。あの影を消してよ・・・・。」
弱々しい言葉の中に肉親を呼ぶものは無い。少女は誰も信じていないのだ。それで助けろと言うのだから、身勝手であるが、その環境を作り出したのは周りの人である。だから、少女は名を呼ばない。
「たすけて・・・おねがい・・・たすけて・・・。」
「なぜいつも助けを求める?名を呼ばないのに。」
頭上で聞きなれた声がした。顔を上げると・・、もう一人の少女が見下ろしていた。それは、恐怖に震える少女とそっくり…。少女そのものなのである。だか、現れた少女は暴れ狂う影の方を向き、恐れている様子は感じられない。
おびえる少女とは違う。強いまなざしを持つ少女…。
「どうして逃げる?立ち向かう事をしない?」
強くはっきりした口調は、恐怖から逃げる事しか知らない少女の心を刺激する。
「立ち向かわなければ、ここから出る事はできない。そればかりか、あの影に食われてしまう。それでのいいのか!」
「・・・そんなの・・・いやに決まっているわ・・・。」
対極的な二人の少女は言葉を交わした。
「では、立ち向かえ!あの影に。」
「そんなの無理よ・・・。私には・・・。お願い助けて・・。」
弱き少女は、強き少女に手を伸ばす。しかし、強き少女はその手をとることは無い。それどころか二人の少女が離れていく。…まるで、手の届かぬものがいっそう離れて行くかのように…。弱き少女は、また一人になる。…影は、すぐ傍まで来ている。気が狂いそうな言葉を発しながら…。『立ち向かえ!』弱き少女の心に残った、強き少女の言葉。『立ち向かえ!』繰り返される呪文のような言葉が弱き少女の足を影の方に歩ませた。
すると、影は動きを止めた。だが、少女が一瞬目を背けると影はまた動き出した。『立ち向かえ!』頭に響く言葉で、少女は再び影を見た。影も再び静止する…。『立ち向かえ!』強き 少女の呪文。『立ち向かえ!』弱き少女を勇気付ける強い言葉…。
「・・わ・・わたしだって・・。」
少女は、影に向かい声を出した。声の震えは取れないが、精一杯の声量で…。
「・・・私だって知ってるわよ。誰も私を助けてくれないって。だからいつも名を呼べないの。」
少女は、続けた。
「それでも、いつも誰かに手を差し伸べて欲しいの。・・・私は1人で震える事しか出来ないから。」
少女の目から熱いものが流れる。少女が口を開くたび影が小さくなっていく。だが、少女はその変化に気付かない。
「弱い私は、心の中で理想の私を創造する事しか出来なくて、いつも泣いてばかり、震えてばかり・・・。でも、」
手足が振るえ、涙が止まらない。次の瞬間、少女は何を思ったのか、ゆっくりと目を閉じた。影が少女を飲み込もうとした。
「・・・ない。・・わく・・。」
少女は、呟いた。逃げるようすは無い。
「・・・もう怖くない!もう逃げない!」
影は少女を飲み込んだ。・・・ところが、飲み込んだ瞬間、影は雫となった。まるで、涙のように…。影が消えた、その場所に少女が立っていた。頬には一滴の涙の跡が残されていた。
少女が目を覚ましたのは、それからすぐの事だった。少女は、心のストレスから昏睡状態になり、半年もの間、眠り続けていたのだった。少女は、泣き崩れている母親に手を置き、
「お母さん・・・私は大丈夫だよ。戻ってきたよ。だから泣かないで。」
と告げた。それは、少女が一年ぶりに母親にかける言葉だった。母親は、少女を強く抱きしめた。少女は、優しく抱きしめた。
そんな少女の瞳は、あの強き少女の瞳を映したかの様に輝き満ちていた…。もう少女が、あの闇という悪夢の廻廊に迷う事は無いだろう。立ち向う事で光という現実に戻るすべを知っているのだから…。
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