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ある日会長が生徒会長親衛隊員の有志に突撃されたのは、昼食時の食堂でのことだった。広瀬様、と震える声で呼びかけられ視線を向ければ、親衛隊長や副隊長、他数人の見覚えのある隊員達が立っていた。

「あの、第三準備室の主とお付き合いされているという噂は本当でしょうか……」

代表して口を開いたのは今にも泣き出しそうに表情を歪めている隊長である。彼の言葉に首を傾げた会長は、毎日通い詰めている教室のプレートに地学第三準備室と刻まれていたことに思い至った。であるならば隊長の言う第三準備室の主というのはおそらく会長のよく知る人物、榛名智明のことなのだろう。
そこまで考え、そして返事をしようとした会長は、しかし開きかけた口をそのままに逡巡した。隊長は『お付き合い』をしているのか、と尋ねた。では自分と榛名は『お付き合い』をしているのだろうか。
会長は再び考えた。会いに行っても煩わしそうにする素ぶりはないし、それどころか抱いてさえくれる。しかし好きだと告げた時、榛名は小さく頷いただけで返事はしてくれなかった。ただいつも通り、体を重ねただけだ。体はくれるが、言葉も約束もくれない。

ようやく結論を出した会長は、自身の親衛隊員達に視線を戻した。皆、不安そうな、かつ泣きそうな表情で返答を待っている。彼らを見渡した拍子に、自分を待ってくれているらしい生徒会役員達の顔も見えた。神経質な副会長は時間を気にしてか騒ぎを嫌ってか眉を顰めている。噂と恋愛話好きの会計はニヤニヤしながら会長の返事を待っている。そして無口な書記は、いつも通りの無表情ながらも成り行きを見守っている。ついでに見渡せば、食堂全体がしんと静まり返っており、こちらの様子をうかがっているのが分かった。
会長は自問した。ここで自分が何か答えることで、榛名に何らかの迷惑がかかるだろうか。そして会長は自答した。いや、かからないだろう。付き合っているかと聞かれて頷くのならばともかく、事実はそれとは異なる。それにもし仮に小柄で非力な親衛隊員達が騒いだとしても、腕の立つ榛名ならばなんなく一蹴できるに違いない。
今度こそ結論が出た。質問を寄越した隊長に視線を合わせ、会長は首を横に振った。

「いや、付き合ってない」
「ほ、本当ですか!」
「ああ」

隊員達は皆嬉しそうに沸き立った。書記は小さく息を吐き出し、会計はニヤニヤしたまま「なーんだ」と呟いた。そして副会長は「早く行きましょう」と役員達を急かし、そして不意にぎょっとしたように目を見開いた。

「広瀬? あなた……」

そのどこか慌てたような声に、先を歩き出しかけていた会計と書記が振り向き、そして彼らも同様に呆気にとられたように表情を崩した。

「えっ! 会長!?」
「……!」

何だよその反応は、と会長は不思議に思う。次の瞬間、駆け寄ってきた副会長によって顔面にハンカチを押さえつけられた。

「顔を隠しなさいみっともない!」
「は?」
「なに、会長どうしたの急にー!」
「え?」
「ひっ、広瀬様!?」

皺一つないハンカチによって視界は遮られてしまったが、副会長、会計、隊員達と連鎖して食堂全体にざわめきが広がり出したのが分かった。言葉こそ発しなかったが、書記が近くでわたわたしている気配も感じる。一体何が起こっているのか分からずぽかんとしていた会長は、しかしそこでようやく状況を理解した。目元に押し当てられた副会長のハンカチが濡れていたからだった。
自分が泣いていることに気づいた会長は、そう気づいたことによって余計に涙を止められなくなった。熱くなった目頭からぽろぽろと零れ落ちる水滴が、パリッと糊のきいていたハンカチをじんわりと濡らしていく。

「ううっ……」

一つ大きくしゃくり上げると、突然強く腕を引かれた。手首を掴む指のごつごつした感触と冷たさからするに、冷え性に悩んでいる書記のものだろう。俯いてハンカチで目元を押さえたまま、会長は蜂の巣をつついたような騒ぎの食堂から連れ出された。





榛名が生徒会長親衛隊員の有志に突撃されたのは、同日放課後の3年C組の教室でのことだった。あの、と震える声で呼びかけられ視線を向ければ、全く見覚えのない小柄でひ弱そうな生徒達が数人立っていた。

「あ、あの……」
「なに」
「あ、あ……」

代表で口を開いた生徒は明らかに怯えている様子で二の句を継ごうとしない。しばし観察していたが待ちくたびれた榛名は、興味を失い立ち去ろうとした。

「あの!」

しかしその隣にいた生徒が意を決したように発した言葉に、榛名は再び彼らに視線を戻した。

「広瀬様を弄んでいるというのは本当ですか!」
「はあ?」

普段滅多に表情を動かさない榛名だが、この時ばかりは僅かに眉を寄せた。それは純粋な驚きからだったのだが、その表情の変化に目の前の生徒達は飛び上がらんばかりに驚いて震えだし、教室内の空気もピンと張り詰めた。しかし榛名は全く意に介さず、先の言葉を発した一人の生徒をまじまじと見つめ、そして尋ねたのだった。

「広瀬って誰」
「えっ……!」

あんまりと言えばあんまりな言葉である。逢瀬を重ねるようになって早一月が経とうというのに、榛名は未だ会長の名前を認識していなかったのだった。しかしその場に、それに突っ込める人物は存在しなかった。あんぐりと口を開けていた生徒は、榛名の悪びれない様子を見てもしや自分達の勘違いだったのかと疑いつつも、「生徒会長です……」と補足する。すると、榛名はやはり罪悪感も気まずさもかけらもない様子のまま、一つ頷いた。

「そんな名前だったのか」
「は、ひ、そ、それで……」
「会長が何か言ったのか」

榛名に見つめられた生徒は蛇に睨まれた蛙さながらに硬直しながらも、首をぶるぶると横に振った。

「な、な、な、なに、なにも、で、でも、あの、ひろ、せ、さま、あの」
「落ち着け」
「はっ、はひぃっ! あの、広瀬様は、泣い、て……」
「何で」
「それは、あの、その、僕たちが、あの、お、お、お昼に、昼、食、しょくどうで、おひるに」
「もういい」

可哀想なくらい怯えている生徒の言葉を待ちくたびれた榛名は、一方的に会話を打ち切った。そしてそのまま、ほとんど何も入っていない薄い鞄を片手に、悠々と教室を抜け出した。再び呼び止めようとする声は、今回はさすがになかった。最高潮に達していた教室の緊張は、榛名の姿が消えると共に一気にほどけた。




「お前さあ、俺に弄ばれてんのか」

その日も室内に入ってくる際の会長の犬のような仕草を堪能した後、榛名はおもむろに口を開いた。すっかり定位置になった位置に向かい合わせに座りこもうとしていた会長は、その言葉にはっと顔を上げた。その目はうっすらと赤く、どこか腫れぼったい。しかし泣いたとあらかじめ聞いていなければおそらく気付きもしないようなかすかな変化である。それは副会長の処置が的確だったためほとんど跡が残らなかったためであるが、しかしそうとは知らずともなんとなく面白くなかった。

「俺は弄ばれてるのか……?」

煙草を乱暴にもみ消していると、会長はぼんやりと尋ね返してきた。思わず眉根を寄せると、会長の視線が俯く。一つ舌打ちをすると、その視線はますます下がってしまった。

「ちげえよ。キャンキャンしたのがさっき俺んとこに来て、広瀬様を弄んでんのかと」
「えっ!」
「あれだろ、ファンクラブ? よく知らねえが」
「親衛隊? ごめん……何もされなかった?」
「別に何も。ぶるぶる震えてただけ」
「あ、そう……それなら良かった……」

おう、と話を終えかけた榛名は、しかしすんでのところで踏みとどまった。

「本題はそれじゃねえよ」
「え?」
「お前は俺に弄ばれてると思ってんのか」
「……」

一瞬黙った会長は、そこまでは思ってなかった、と躊躇いがちに答えた。

「どこまでは思ってたんだ」
「どこまでって言うか、俺の片思いだから、その……」

その言葉に、榛名はぴくりと眉を上げた。

「おい」

火をつけようとしていた2本目の煙草を投げ捨て、返す手でちょいと手招きをする。ぽかんとしたようにその手を目で追った会長は、次の瞬間ようやく理解したようににじり寄ってきた。

「おせえ」
「ご、ごめ」
「ん」

しかしおそるおそるといったその動きに焦れた榛名は、ため息をころして両手を広げた。目を見開いて固まった会長が、次の瞬間腕の中に飛びこんでくる。目の前のさらさらとした黒髪に鼻先を埋めるように抱きしめれば、いつものように額をすり寄せられた。

「お前さあ、言わなきゃ分かんねえの」

呆れたような呟きに、会長はぐすんと鼻を鳴らした。胸元から、分かんない、とくぐもった返事が聞こえる。覚えがあるやり取りには苦笑するしかなかった。
ふ、とため息をついた榛名は、そして小さな声で囁いた。一月前に会長に言われた2文字を、そのまま返す。勢いよく顔を上げた会長は、この日2度目の、しかし真逆の意味での号泣をしたのだった。

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