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しばらく前から誰かに見られているような気はしていたが、まさかその視線の持ち主が天下の生徒会長だとは思ってもいなかった。成績も家柄もついでに顔面のつくりまで良く学内一大規模な親衛隊を持つその男は、榛名にとって別世界の住人だったからだ。しかし今、榛名が勝手に半ば私物化している、現在使われていない地学第三準備室の床に組み敷いて見下ろす生徒会長は、どこにでもいるただの男子生徒に見えた。顔は確かにこれでもかというほどに整ってはいる。だが頬を朱く染め瞳を潤ませぷるぷると震えているその様子は、こいつもやっぱり同じ年の高校生なんだなあと思わせるに十分な姿だった。

内心面白くなった榛名は、見下ろした頬についと掌をあてた。熱く火照ったその皮膚は驚くほど滑らかで、自分のかさついた肌とは全く感触が違う。興味をそそられその手を首筋に滑らせると、会長はぴくりと肩を震わせ、榛名の視線を避けるように手とは逆の方向に顔を向けてしまった。

しかしそれはそれで好都合でもあった。露わになり触りやすくなった首筋を指先で撫で下ろし、そのままシャツの襟元に忍び込ませて肩をつるりと撫でる。再び身体をぴくりと揺らした会長は、驚いたような、かつ泣きそうな顔でおずおずと視線を寄越した。やけに艶やかな赤い唇がぱくぱくと開いたり閉じたりする。だが、そこからは何の言葉も出てこなかった。

困ったような表情から見るに、本人も何を言えばいいのか分かっていないのだろう。おそらく聞きたいことは多々あるはずなのだ。例えば視線の持ち主が会長であることに榛名が気づいた理由であるとか、もしくは榛名が今こうして会長を押し倒して跨っている理由であるとか。

もしそれらの質問が来たらどう返事をしようか、と考えながら、榛名はしばらく会長が何か喋るのを待っていた。逆にこちらから聞きたいこともあったのだ。自分を見ていた理由や、人の寄りつかないこの部屋までわざわざ追いかけてきた理由、それから今現在こうして押し倒されているにも関わらず全く抵抗しようとしない理由も。しかしじっと見つめているとついにその口は諦めたように閉じられ、ついでに視線も俯けられてしまう。待ちくたびれた榛名は彼の声を聞くのを諦め、おもむろに自分のネクタイを緩めた。

しゅるりと布が滑る音に、会長がぎょっとしたように視線を跳ね上げる。その視線を捉えた榛名は、黙ったまま会長の唇に噛み付いた。





「くっ……、ふ、うっ……」

会長は自らの右腕に歯を立て、必死に声を堪えている。ちらりと視線をやると、その手に赤いものが滲んでいるのが見えた。声出せばいいのに、と榛名は思う。

「っ、ふ、あっ……!」

角度が良かったのか、不意の一突きに押し殺せなかったらしい喘ぎ声がもれた。よしよしその調子、となんだか嬉しくなった榛名は、そこばかりを狙って突き上げた。

「くっ、ふ、ぅ……っ」

しかし艶っぽい声が聞こえたのは最初の一度きりで、それ以降はまた苦しそうに堪える吐息が聞こえるばかりである。見下ろした眉間にも、深い皺がぎゅうと寄せられている。

「……」

呼びかけようとした榛名は、自分が会長の名前を知らないことに気がついた。会長はいつでも会長であり、榛名の知る限りでは学園の誰もが彼のことを会長と呼ぶのだ。さすがに友人達は違うのかもしれないが、クラスも同じになったことがない榛名は会長が名前で呼ばれているのを耳にした覚えがない。仕方なく「なあ」と声をかけると、きつく閉じられていた会長のまぶたがうっすらと開いた。

「なんで声出さねえの」

榛名の問いに、会長はぱちぱちと目を瞬かせた。うろうろと視線が動き、そして再び俯けられる。だんまりか、と顔をしかめかけた時、しかし榛名の耳にか細く掠れた声が届いた。

「だっ、て、恥ずかしいし……」
「……まあ、そうだろうな」

確かに道理である。もし自分が逆の立場だったとしたら喘ぎ声を聞かれたいとは思わないだろう。しかし今の立場に戻って考えて見ると、やはり会長の声を聞きたい。

「声出せよ」
「や、やだ……」
「聞かせろ」
「やだ、って、ふ、ぁ!」

焦れて会長が口を開いたタイミングで腰を打ちつけると、ようやく可愛らしく上ずった声が飛び出た。その不意打ちに会長が恨みがましい視線をくれるが、榛名は意に介さなかった。元々色々なことを力ずくで思い通りにしている人種なのである。実力行使とばかりに会長の口に指を2本突っ込んでこじ開け、そのまま奥を突き上げる。

「あ、あっ、んぁ、あ、だめ……!」

律動に合わせて、閉じられなくなった会長の口からはひっきりなしに甘ったるい喘ぎ声が漏れる。恥ずかしそうにきつく目を閉じた会長の顔を満足気に見下ろした榛名は、こじ開けた唇の隙間からちらちらと覗く舌に自らのそれを這わせた。

「ふっ! んっ!? や、あっ……?」

驚いたように再びぱちりと開いた目を、至近距離からまじまじと見つめ返す。今や溶けてしまいそうなくらいに潤んでいる大きな黒目には、榛名自身の顔がやや歪んで映っている。口を塞いでしまっては元も子もないので引きずり出した舌を空中で舐めたりしゃぶったり甘噛みを繰り返したりしていれば、その目は徐々にぼんやりと焦点を失った。鼻にかかった甘い声を断続的に上げながら、榛名の与えるキスをうっとりと享受している会長のその様は、榛名の征服欲を存分に刺激した。





隔週月曜の朝には全校集会が行われる。校長の長いだけで何の内容もない話、生活指導担当の教師からの注意、その他諸々の連絡事項。何の面白みもないのでしれっとサボりを決め込むことの多い榛名だったが、ある時ふと思い立って出席した。どうやらなんらかの連絡事項がないかぎり生徒会が前に立つということはないようだったが、しかし奇遇にもその日の最後には生徒会長が壇上に上がった。生徒達からの歓声を涼しげに受け止めた彼は、次の月に行われる球技大会の話を始める。それを聞くともなしに聞きながら、榛名は小さく首を傾げた。
講堂に響きわたるマイク越しの声は上ずってもいないし甘ったるくもない。それから表情も、恥ずかしがったりうっとりしていたりもしない。完璧超人の異名にふさわしく堂々とした今の会長と、ここ何日か地学第三準備室で見た会長とは、全くの別人のようだった。





あの日以来、会長は平日の放課後には毎日地学第三準備室を訪れる。扉の前で入室を躊躇うかのようにうろうろする様子や扉の隙間から覗きこみ榛名の在室を確認しようとする姿は、なんだか犬のようで微笑ましい。
会長はきっと、その姿がすりガラス越しに丸見えだということには気づいていないのだろう。

「アンタさあ、本当に会長?」

事後、煙草をふかしながら尋ねた榛名の言葉に、会長は不思議そうな顔をした。下は裸で上はシャツのみという格好は榛名の好みであるが、出すものを出したこのタイミングではさすがにそれほど心を揺さぶられはしない。最中に剥がして投げ捨てたはずの会長の下着を視界の端で探しながら、重ねて問う。

「双子の弟とかじゃねえよな?」
「違うけど……」

不思議そうな表情に変化はない。それにしても今の返答だって、会長のイメージを大きく外れている。この学園の生徒達が知っている生徒会長は、間違ってもこんな風に頼りなさげにおどおどと「違うけど……」だなんて言ったりはしないのだ。しかもようやく見つけた会長の下着は、セット売りでワゴンに積まれていそうな青い縦縞のトランクス。普通すぎて逆に妙だ。
しかし、榛名も言うほどこれまで会長に興味を持ち観察していたわけではない。だから、まあそんなもんだろうな、と片付けられなくもなかった。

「……榛名?」

が、会長は未だ納得していないように目を瞬かせている。突然奇妙な質問を投げられそのまま放置されたらそりゃあまあそうだろうなあ、と思った榛名は、面倒ながらももう一度口を開いた。

「集会ん時のアンタと全然違うから」
「ああ……」
「どっちが演技だよ」

ついでに尋ねたのは単純な好奇心からだ。しかし一体それをどうとったのか、榛名の問いに会長はふにゃりと眉を下げ、視線を俯けた。

「……榛名といるのに、取り繕ったりなんかできない」

つまり、人前では取り繕っているということなのだろうか。ふうん、と頷きかけた榛名だったが、しかしなにやら爆弾発言をされたような気もする。視線を戻せば、会長は今度はどこか必死さを漂わせた表情で真っ直ぐな視線をくれていた。

「榛名といたら、き、緊張するし、ドキドキするし、」
「……は」
「あと、ときめいたりもするし……」

泣きそうな顔できゅっと唇を噛む会長を見つめ返しながら、榛名は手探りで煙草を灰皿に押し付けた。棚にもたれるように半分寝かせていた体を起こすと、正面にいる会長の肩がかすかにこわばる。自己申告の通り緊張しているのだろうか。足を崩して床に座り込んでいたその体を押し倒すと、不安と期待の入り混じったような瞳に見上げられた。

「つまりどういうことだよ」

一旦締め直したネクタイをもう一度緩めながら問いかける。その手元をぼんやりと眺めていた会長の視線は、榛名の言葉にはっとしたように戻ってきた。

「わ、分かるだろ」
「分かんねえよ」

本当はわざわざ言われなくてもとっくに分かっている。自分を見ていた理由も、この部屋まで追いかけてきた理由も、押し倒しても抵抗しない理由も。だがそれでも尋ねたのは、そこをあえて言葉にさせたいからだ。何より、こうして恥ずかしがる会長の顔を見られるのはおそらく自分だけなのだから。
しかしだんまりを決め込もうとしているのか、会長の唇はきつく結ばれている。その意地が可愛く思えて、榛名は小さく笑った。その途端、会長の大きな目はますます大きく見開かれた。

「笑った……!」
「は?」
「はじめて見た……」
「あー」

そうだっけ、と首を捻るが、一方でさもありなんとも思った。元々表情筋は豊かな方ではないし、しかも会長とはやることをやってばかりでろくに話もしていない。榛名はその現状に別段不満も感じていなかったのだが、おそらく会長には何か思うところがあったのだろう。驚いたようにぽかんとしていた会長の顔が、みるみるうちに嬉しそうにとろけていく。ふにゃふにゃな笑顔のままおずおずと伸ばされた両手が、そっと榛名の頬を包み込んだ。

「榛名……」
「ああ」

顔を撫でる手に抵抗しなかったことに味をしめたのか、その手はさらに首筋に回りこんできた。そのままぎゅうと抱きつかれ、肩に額がすり寄せられる。浮いた背中に腕を回しなんとなく撫でてやれば、会長の囁き声が2文字、首元に落ちてきた。

「……ふうん」

言われなくても分かってはいたが、改めて言葉にされると満足感がこみ上げる。しがみついてくる体をもう一度組み敷いた榛名は、俺もって言ってやったらどんな顔すんのかなあコイツ、と考えながら、会長の首筋に唇を寄せた。


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