▼ 02

俺の在籍する1年D組の座席は、廊下側一番前から順に出席番号順に並んでいる。俺の席はといえば廊下側の一番後ろで、4月から一度も席替えがないので変わり映えはしないが出入りしやすい点は気に入っていた。
その点は昼飯に行くときに声をかけてくれる上野や安田にも好評だったが、その日は珍しくいつもの教室後方の扉から、安田が放課後にも顔を出した。

「大谷今夜空いてる?」

そう言った安田は若干深刻そうな顔をしていて、一体何事かと思えばどうやら上野が付き合っていた部活の先輩と破局してしまったらしい。

「で、慰めがてらちょっと酒でもどうかと」
「いいけど俺飲めないよ」
「じゃあなんかジュースも用意しとくよ」

後で適当に俺の部屋に来てと安田が引っ込んだ後、隣の席で小島が悩まし気なため息をついた。

「やっぱりかっこいいなあ安田くん」
「本当に好きだね、安田の顔が」

正直安田や上野に対してかっこいいとかよくないとかそういう目線で見たことがなかったのでピンとこなかったが、小島に言わせれば、

「大谷は目が肥えすぎ」

とのことだった。

「まあ彼氏がアレじゃ仕方ないけどさあ。あーいいなあ」
「うーんまあ……」
「まさかあの人のこともかっこいいとか思ってないの?」
「いやそれはさすがに思ってる」

帰る場所が同じなので自然と並んで歩きながらの会話だったので、さすがに固有名詞が出せずに曖昧な会話だったが、もちろん内容は先輩の話だ。俺が先輩と知り合った当初からものすごいイケメンだと思っていたのは事実だったが、小島は驚いたように目を丸くした。

「え? 思ってるの?」
「思ってるけど……」
「へえ、いやなんか意外だった。大谷もそういうこと思うんだね。なんか勝手に顔で選ばないタイプというか、あんまりそういうの気にしないのかと思ってた」
「いや別に顔で選んだわけではないけど、でもあの人みて思わない人いないだろ」

思い出したのは、夏休みに先輩と顔を合わせた姉3人の反応だった。亜衣ちゃんと美衣姉はともかく、麻衣ちゃんでさえ驚いていた。だから先輩が格好いいのは普遍的な事実だと思っていたが、いやもしかしたら単に大谷家の好みのタイプというだけかもしれない可能性もあるが、しかし小島は「そりゃまあ確かにそうなんだけど」と肯定してくれた。

「でも最初の彼氏があの人だったら、次がめちゃくちゃハードル上がっちゃいそうだよね」
「次?」
「もし別れたらの話」
「あー……」

何と返事をすればいいか分からず口ごもると、小島は首を傾げた。

「絶対別れるはずないって思ってる?」
「絶対、とは、まあ……」
「大谷付き合うの初めてだっけ。だったらそんな想像できないかもしれないけどさあ。僕も最初の彼氏の時一生一緒この人と一緒にいると思ってたし」

想像ができないわけではなかった。夏休みにしたばかりだった。
だが黙っていると、小島は優しい顔で続けた。

「でもあんま期待しすぎない方がいいかもよ。高校生のカップルなんて別れちゃう方が多いんだし。ましてや男同士だとやっぱりちょっと適当になっちゃったりもするし」
「そうなの?」
「浮気したりころころ相手変わったりとかよくいるし、そうじゃなくてもやっぱり女の子相手よりも雑になっちゃったりもするし。同性故の悪い意味での甘えというかさ、だから大谷の彼氏がどうこうってわけじゃなくて、あんまりうまくいかないケースも多いから」
「ふーん……」
「でもまあ、単に僕の男運とか周りが悪いだけなのかもしれないけどね」
「うーん……どうなの、彼氏とはその後」
「別に変わりないけど。でももし別れたらまた話聞いてよ」
「それはいいけど」

ちょうど部屋に着いたので、お互いの個室の前で小島とは別れた。
適当な部屋着に着替えながら、小島の話を少し考えた。
確かに誰と誰が付き合いだしただとか別れただとかは、よく聞く話ではあった。とは言え人からのまた聞きの噂話のようなものばかりではあったが、だがそう交友範囲が広いわけではない俺がよく聞くくらいだから、実際はそれ以上にありふれた話なのだろう。
だとしたらやっぱり俺は、もしかしたら甘く考えすぎているのかもしれなかった。

デスクの一番上の引き出し、学校に行く時は外して大事にしまいこんでいる指輪を取り出し、そっと指にはめてみた。
先輩に電話をしたくなった。小島に聞いた話をして、そんなことないよと言ってほしかった。
でも今日も放課後は会議があって忙しいと言っていたし、さすがに一人で勝手に不安になって忙しいところを邪魔するわけにはいかなかった。
外した指輪をチェーンに通し、首にかけて服の中にしまいこみ、適当に身支度を整えて部屋を出た。





安田の部屋で夕飯がてら、安田と上野は酒、俺はジュースを飲み始めて数時間後。夜もふける頃になると上野はすっかり出来上がり、ひたすら愚痴を並べていた。

「なんか違ったんだって。なんか違うって何? 何が違うの? 分かんねえよそんな曖昧なこと言われたって改善しようがねえしさあ」
「うん、そうだな」
「最後には他に好きな人ができたって言ってさあ、もう次の男作ってんの。つうかもう同時進行だよ絶対。ひどくねえ?」
「うんうん、ひどいな」

相槌をうちながら、空いたグラスに酒を注ぐ。ちなみに同じ話が何度もループしていて、そもそもだいぶ早い段階で既に出来上がっていたのでそろそろ水に移行した方がいいのかもしれなかったが、もっと飲ませろとうるさかったので好きにさせることにしていた。

「大体自分から告ってきたのにさあ、その気にさせるだけさせといて呆気なくポイだよ。部活一緒だからこれからも顔合わせなきゃいけないしさ、どんな顔して会えばいいの?」

ぐすんと鼻をすする音がして、驚いて見ると上野は目を真っ赤にしてついに泣き出してしまっていた。

「おい、泣くなよ」
「だって……俺ばっかりまだ好きでさあ、どうやったら忘れられんの?」
「うーん」

その答えは生憎持ち合わせていなかったので困って安田を見ると、安田は上野の背中をぽんぽんと撫でた。

「大丈夫だよ。飲んで忘れろ」
「うん……安田も飲んでる?」
「飲んでる飲んでる」
「大谷は? 飲んでねえだろ」
「ごめん俺飲めないから」
「はあ? 俺の酒が飲めないってか!」

いつの間にか完全に悪酔いしてしまったらしい上野は、俺に自分のグラスをぐいぐいと押しつけてきた。受け取るだけ受け取って、そっとテーブルに戻す。

「いや置くな! 飲め!」
「こら上野。飲めないやつに絡むな」
「だってさあ、何で俺ばっか酔ってんだよー寂しいじゃん」
「あー分かった分かった、一口だけな」
「おい大谷、無理すんな」
「いいよ、一口くらい」

ついにおいおいと泣き始めてしまった上野がなんだかかわいそうになってしまったのでグラスに手を伸ばす。意を決して一口飲むと、途端に喉がやけるような感覚がした。

「さすが大谷! 優しい! うまいだろそれ」
「いやまずいな……、よく飲めるねこんなの」
「大丈夫大丈夫うまくなるって! もう一口いこう!」
「うん……」

大谷やめとけって、と安田が止めに入ってくれた時には既に遅く、あおったグラスは上野の手で押さえられてしまっていた。
勢いにまかせて飲み干してしまった瞬間、ぐらりと視界が回った。
後ろに倒れこみそうになったところを、誰かの、多分安田の手に支えられる感触があった。

「あーほら言わんこっちゃない! 無理矢理飲ませんなよ!」
「げっ、大谷大丈夫? ごめんごめん! マジで弱いんだなあ」
「もー本当に良くねえぞこういうの。どうする、ちょっと寝かせる?」
「あ、じゃあお詫びに膝枕します」
「それは嫌だろ普通に」

頭上で2人が何やら話しているのが聞こえたが、もうよく分からなかった。床に横たえられ、頭がごつんと固い何かにぶつかる。あまりにも寝心地が悪かったが、文句を言う気力はなかった。ぐらぐら視界が揺れるので気持ちが悪くなって、目を閉じる。せめて頭の置き場所をずらして少しでもいい所を探すと、枕がもぞもぞと動いた。

「大谷、そこであんま頭動かさないで。危ねえよ」
「おい変なこと考えんなよ。反省しろ」
「してるしてる。本当にごめんな、吐きそう?」
「いや大丈夫……」

もちろん気分は悪かったが、吐き気はなかった。ただただ息がしにくい。

「煙草吸いてえ……この部屋禁煙……?」
「え、大谷吸う人なの? 知らんかった、意外だなあ」
「別にいいけど、でも酒回りそうじゃない?」
「うん……ううん……」

しかし手を動かす気力はもうなかった。代わりにどちらかの手が俺のポケットを探る。

「火つけてやろうか」
「うん……」

ライターをする音がして、火がついた煙草が口に押し込まれた。反射的に一口吸い込み、なんとか手を伸ばして受け取る。灰皿代わりの何かを探すために無理矢理体を起こそうとしたところ、また視界がぐらりと揺れた。経験がなかったので知らなかったが、酒が回りそうとの言葉は正しかったらしい。

「あーやべ……」
「吐く? 大丈夫? 寝とけって」

背中をさすられ、もう一度頭を落とす。多分上野の太腿の上だった。硬いはずだった。

「弱ってんなあ。いや俺のせいだけど」
「大丈夫? 一回本格的に寝る? 泊まってってもいいよ」
「いや、もう帰る……」
「待て待て、その状態じゃ帰れないだろ」
「迎え呼ぶ? 同じ部屋のさ、小島くんだっけ。あのちっちゃくてかわいい人」
「でも連絡先分かんないな。というかあの人が大谷支えて帰るの大変だろ。俺達で送った方がよくない?」
「そうだな。でもちょっと待って俺もまだ酒回ってる」
「俺一人で行けるかな。そもそも大谷部屋どこ?」
「うーん、分かんない。俺の部屋どこ?」
「いや俺に聞かれても。やっぱり小島くんに聞くか。大谷携帯どこ?」
「さっきポケット入ってたな。連絡していい?」
「連絡するなら先輩がいい……」

言い訳をすれば、酔っていたのだった。
俺の言葉に頭上で2人が顔を見合わせる気配がした。

「先輩って誰?」
「先輩は先輩だよ」
「何の? てかなに、彼氏?」
「うん……」
「うん!? えっマジ? 大谷彼氏できたの?」
「うん」
「うわーマジかよ、え、誰どの人? 登録してる?」
「え、ちょっと待って大谷の履歴めっちゃ女の子の名前入ってるんだけど」
「えーハハ、本当だ。亜衣ちゃん麻衣ちゃん? 呼び名で登録する派なんだな」
「俺は? あ、上野は上野だ。確かにそうだけど」
「はーい、上野でーす。あ、これじゃね、先輩ってのがいるよ」
「誰なんだよ。電話していいの?」
「あ、じゃあ俺かけるよ。俺が潰しちゃったし」
「怖い人が出たらどうする?」
「ええ、こえーなそれ。ねえ大谷この人でいいの? 合ってる?」
「うん……」
「怖い人じゃない?」

頭の中がふわふわしていた。半分夢見心地というか、なんだか楽しい気分になってきた。

「こわくねーよ。優しいよ」
「優しいんだ。というかいつの間に彼氏できたの?」
「うーん、いつだっけ?」
「言ってよ俺達にも。水くさいなあ」
「相手誰なの? 何年の人?」
「3年……」
「へえ、どこが好きなの?」
「かっこいいし、優しいし、かっこいいし……」
「ハハハ、どんだけかっこいいんだよ。ノロケる大谷とか貴重だな」
「あーあ、いいなあ。お前もいつの間にか幸せになってんのか」
「先輩来る? 会いたいなー」
「えーこんなこと言う? めちゃくちゃ酔っちゃったな」
「はいはい、連絡するから。待ってなさい」
「うん……」

頷いて目を閉じると、夢うつつの中、上野がやたら改まった声で電話をかけているのが聞こえた。

「ーーあ、もしもし。すいません俺大谷の友人の上野といいますが。はい、実はちょっとあの、大谷に酒飲ませて潰しちゃって。すいません。いや、大丈夫です本当にすいません。それで送ろうかと思ったんですけど部屋番号が分からなくて、同室者に連絡しようとしたら大谷に先輩に連絡してほしいって言われてですね、え、はい。代われるかな。大谷話せる?」
「ん……?」

不意に耳に硬いものがあたって身じろぐと、耳元で先輩の声がした。

『宏樹? 大丈夫?』
「うん……」
『酔っちゃったの?』
「ううん、酔ってない」
『酔ってるな。どうしようか、俺が迎えに行ってもいいの?』
「来てくれるんですか?」
『いや宏樹がいいなら行くけど。誰といるの?』
「上野と安田です」
『外部生の友達だっけ。俺と付き合ってるってバレても大丈夫?』
「大丈夫だと思うけど、でも小島に怒られちゃうかも」
『はは、そうだな。小島くんに迎えに来てもらう?』
「でも会いたいなあ……」
『……うん。俺も』
「ねえ、先輩」
「ん?」
何か話したいことがあったような気がしたけれど、思い出せなかった。
けれど黙っていたら先輩が耳元ですきだよなんて言うから、ものすごく幸せな気持ちになった。
半分うとうとしながら、今日はいい夢が見れそうだなあなんて思った。





肩をたたかれ目を開けると、目の前に小島がいた。いつもの寝る時の格好で、可愛らしい上下ピンクのパジャマにやたらとツルツルした帽子をかぶったままの小島は、なんだか機嫌が悪そうに眼をつり上げて俺の前にしゃがみこんでいた。

「あれ? 小島だ」
「あれじゃねーよ。僕もう寝てたんだけど」
「先輩は?」
「先輩?」
「さっき電話で話したんだけど……あれ夢?」
「ああ、いや夢じゃないけどさあ。呼べるわけないでしょバカじゃないの」
「なんで小島がここにいんの?」
「酔っぱらいをわざわざ迎えに来た僕に対する謝罪は?」
「迎えに来てくれたの? うわーありがとう」

楽しい気分のまま抱き着くと、小島は俺を支えきれずに尻もちをつき、そして俺の頭をぺしんと叩いた。

「もう禁酒禁煙。はい、言って」
「禁酒……禁煙はやだなあ」
「はあもう。まだ酔ってんの? 早く帰ろ」
「うん、帰ります」

手を引かれて立ち上がると、笑っている安田と上野と目が合った。

「ごめんな、小島くん。来てくれてありがとう。ご迷惑おかけしました」
「いやこちらこそ。大谷は叱っときます」
「えーやだな。怒んないでよ」
「やだじゃねーよ」
「俺もごめん。ありがとう。次からはちゃんと飲ませないようにします」
「いえいえ、安田くんの頼みならお安い御用です」
「何それ。ねえ小島さあ、安田にデレデレしすぎじゃない?」
「は? 大谷なに僕の彼女みたいなこと言ってんの?」

もう一度頭をはたかれ、2人の笑い声をバックに安田の部屋から連れ出された。
ふらふらしていたので途中で手を引かれつつようやく部屋につくと、そのままベッドに放り込まれた。

「小島ー」
「なに」
「ありがとう」

まだまだ楽しい俺とは対照的に、小島は疲れたような顔をして大きなため息をついた。

「もういいよ別に。僕も世話になったことあるし。またなりそうだし」
「小島は優しいなあ」
「大谷は手がかかるね」
「うん。今日一緒に寝てくれる?」
「そこまで手をかける気はないから。さっさと寝て」

布団をかぶせられると、楽しい気持ちのまま三秒で眠りについた。

翌朝目が覚めた俺が小島に平謝りしたのはもちろん言うまでもない。

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