▼ 08

さて翌日からは、またバイト漬けの日々を再開した。来れる日だけでいいと言われていたからあまり呼ばれないのかなと思っていたのだが、健一さんはとにかくサーフィンを優先したいようで、先輩の誕生日プレゼント用にもう一稼ぎしたい俺と利害が一致していた。掃除をして、メールの返信をして、発送作業をして、午前中のうちに一日分の仕事を済ませてしまったところでお客さんが来た。といっても美衣姉ちゃんだった。
遊びに来ちゃった、と冗談混じりにシナを作られても、実の姉相手では全く嬉しくない。嫌な顔をした俺にむくれた美衣姉は、「なんか飲ませて」とカウンターに腰を下ろした。

「コーヒーか紅茶ならあるよ」
「タピオカは?」
「水もある」
「フラペチーノは?」
「あるわけがない」

インスタントコーヒーよりは西園寺さん直伝の紅茶の方がマシだろうと準備をしながら何しに来たのと尋ねると、美衣姉は携帯をいじりながら「いやもうヒマでヒマで」とぼやいた。

「皆部活バイトデートでつかまんないんだよね。ヒロくん暇?」
「仕事中」
「海いこーよ」
「姉弟で? やだよ。彼氏は?」
「里帰り」
「ああ」

もうそんな時期だった。いつの間にかお盆が近づいている。うちは親戚が大集合する母方の祖父母の家が県内なので里帰りというほどではないが、叔母の家族も加わるためチビ達の数はこの前よりさらに増える。子守役には頭の痛いイベントだった。
美衣姉も同じことを考えていたのだろう。でっかいため息を一つ。

「ばーちゃんの家行きたくないなあ。サボっていい?」
「そんな。学校じゃないんだから」
「しかもお母さんに髪黒くしてこいって言われちゃった」

と指先でくるくる触っている美衣姉の髪は、茶色とピンクの二色。どこに遊びに行くわけでもないのに化粧もバッチリ、服装も弟の俺から見ても露出過多で、実の姉でなくクラスメイトだったら一切関わることのなさそうな人種なのである。

「あ、じゃあ商店街の店行ってラビ夫もらってきてよ」
「えー? あの変なクマまだ集めてんの?」
「クマじゃねーよ」

完成した紅茶を出したところで、珍しくもう一組お客さんが来た。といっても、

「宏樹! あの原チャどこで買ったんだよ、ラビ夫マークじゃん!」

目を輝かせながら入ってきたのは慎二さんだった。つくづく身内しか来ない店だ。
例によって西園寺さんを伴っている慎二さんは、俺の前で全然似合わないティーカップを傾けているギャル、つまり美衣姉ちゃんを見ると、驚いたように目を瞬いた。

「あ、お客さんか、すいません」
「いやお客さんじゃないです、姉です」
「お客さんですけど?」
「えっマジ?」

俺達を見比べながら、慎二さんは美衣姉の隣に腰を下ろした。その隣に西園寺さんが座る。

「じゃあ麻衣ちゃん?」
「んーん、美衣子でーす」
「あ、そうなの? え、宏樹姉ちゃん何人いるんだっけ?」

俺と美衣姉は黙って顔を見合わせた。美衣姉が俺を睨んでいる。気持ちは分かるが、俺はちゃんと黙秘を貫いている。先輩以外には。

「秘密です」
「まーたそれか。そろそろ教えてくれてもよくねえ?」
「いや秘密です」
「美衣ちゃんと麻衣ちゃんと夏子姉さんと? あとは?」
「あ、夏子姉さんこの前結婚するって彼氏つれてきたんですよ」
「あっそーなんだ、めでたいな」
「彼氏もうちに来るまで兄弟の人数知らされてなかったらしいです」
「ふはは、そんなトップシークレットなのかよ」

慎二さんにコーヒー、西園寺さんに紅茶。カップを渡していると、慎二さんを横目で見ていた美衣姉が不意に首を傾げた。

「ねえ、もしかしてタカ高?」
「あ、そうそう去年まで。今は宏樹と同じとこ」
「だよねえ、やっぱり! 見たことあるよ、彼氏がタカ高だから去年文化祭行って」
「マジで? 誰?」
「2年の日高トシフミ」
「マジか、フミの彼女? 宏樹の姉ちゃんなんだ、世間せまいなー。あいつ元気?」

地元トークで盛り上がるのはいいが、西園寺さんが完全に人見知りの猫モードに戻ってしまっている。
つい心配になった俺は、余計なお世話と思いつつも今朝健一さんが置いていってくれたチョコレート菓子をそっと提供した。
視線を上げた西園寺さんが、小さく会釈する。西園寺さんがチョコレート好きというのは以前小島から聞いたような気がする程度の曖昧な情報だったが、どうやら間違っていなかったらしい。
と、そうこうしている間にも隣の会話がやたら盛り上がり始めたので、思わず口を挟んだ。

「美衣姉ちゃんそろそろ行かなくていいの?」
「え?どこに?」
「髪。染めるんでしょ」
「やだ行きたくなーい」
「染めんの? なんで?」
「お盆用にって母さんに言われてんでしょ、早く行ってこいよ」
「あっじゃあ商店街で染めてきてよ! ラビ夫のキーホルダー俺にちょうだい」
「はー何ヒロくんみたいなこと言ってんの?」

呆れた顔をした美衣姉ちゃんは、いかにも渋々といった感じで立ち上がった。

「じゃー行ってこよっかな。ヒロくん今日帰り何時?」
「終わったら普通に帰るけど」
「今日お母さん出かけるんだって。夕飯買うか食べてくるかしてって言ってたよ」
「あ、そう。分かった」

じゃーねと笑って、美衣姉はヒールの音を鳴らしながら出ていく。カップを下げながら俺はこっそり慎二さんに目配せをした。

「何?」
「……」
「え? 何よ」

いや、何ではなく。
目線で西園寺さんを指すと、ようやくすっかりそっぽを向いてしまっている彼に気づいたらしい。
目を丸くした慎二さんは、にやっと笑って西園寺さんの肩に腕を回した。

「なーに、どうした美波」
「別になんでもないです」
「なんだよ、やきもち? かわいーなあ。宏樹の姉ちゃんじゃん。彼氏いるっつってたじゃん?」
「べっ別にそんなんじゃないです!」

イチャイチャし始めた二人を放置してレジへ向かった。美衣姉が飲んだ分の紅茶の代金を俺の財布から補填した後、カウンターに戻って煙草に火をつけた。
美衣姉の前では遠慮していたのだろうか、慎二さんも煙草を取り出し、そこそこ機嫌をなおしたらしい西園寺さんを構いながら「そういえば」と笑った。

「宏樹さあ、かわいー呼ばれ方してたな。ヒロくんって」
「……あ、いや」
「元哉知ってんの? 教えてやろーっと」
「やめてください!」

携帯を取り出した慎二さんを阻止しようとしていたら、西園寺さんも何か思い出したように口を開く。

「そういえばこの前周防とちょっと話したんですけど、喜んでましたよ。誕生日に遠くから会いに来てくれたって自慢されました」
「えっ、そ、そうですか」

そんな自慢しちゃうのか。かわいいな。と思いながらちょっと照れていると、慎二さんが言う。

「俺だって遠くから会いに行ってんじゃん」
「いやむしろ僕が通ってますけど」
「送迎俺じゃん。美波は喜ばねえの?」
「喜んでますよ! いや人前でその話はちょっと」

相変わらず、所構わずすぐにイチャイチャする2人だった。

「つうか宏樹原チャで行ったの? 遠くなかった?」
「まあ、多少は」
「どんくらいかかった? 3時間くらい?」
「いや4時間くらい。あ、でも休憩もしたので」
「はーすげーな。やっぱ中免とっときゃよかったのに。1時間半で着くよ」
「慎二はとばしすぎなんですよ」
「なんだ、安全運転じゃなかったんですか?」
「いや安全よ安全。しかもニケツできたらさらって来れるじゃん」

確かにそうだなと思ってしまった。いやさらって来るのは言い過ぎとしても、確かに足があれば行動範囲は広がるわけで、その点では魅力的だった。
しかしどうにしろ、教習所に通う時間と単車を買うお金の問題はあるけれども。

「そういや元哉どうなってんの? まだ忙しいの?」
「みたいですね。連絡はくれるんですけどあんまり詳しくは教えてくれなくて」
「へえー、え、美波なんか知ってんだろ」

西園寺さんがそっと視線をそらしたのは、慎二さんだけでなく俺も見ていた。
詰め寄る慎二さんを止めずに見守っていると、西園寺さんは渋々口を開く。

「いや、え……聞きたいですか?」
「当たり前だろ」
「うーん、まあ、なんかやっぱり見合いだか結婚だかの話が出て、抵抗してるって言ってました」
「えーマジ? まだ高校生じゃん」
「でもまあ将来を見据えて長いお付き合いをっていうことじゃないですか」
「うわーマジか、つうか宏樹顔こええよ」
「え?」

気が付いたら二本目の煙草は手の中で折れてしまっていた。眉間の皺をもみほぐす。

「そんな殺し屋みたいな顔すんなよ。抵抗してんだろ?」
「そうですよ、大丈夫ですよ」

心配そうにフォローを入れてくれる2人には申し訳なかったが、しかしやっぱりイライラはおさまらなかった。折れた煙草を灰皿に放り込んで新しい煙草に火をつけた俺は、無言でこっそりため息をつくのだった。

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