▼ 幕間

◇◆◇◆◇

5月下旬。中間試験を終えて間もないここ、桜藤学園はにわかに活気づいていた。開け放された生徒会室の窓からは、試験休みのあけた野球部やサッカー部の威勢のいいかけ声がグラウンドから響いてくる。うららかな日差しと柔らかい初夏の風、試験勉強という生徒としての義務からも解放されたのどかな休日の午後である。

だが現在、豪華な装飾と居心地の良い家具の揃った煌びやかな生徒会室内にいるただ1人の人物には、穏やかな休日を楽しむ余裕は全くなかった。目の前のデスクには未処理の書類やファイルが山と積まれ、ノートパソコンの画面上にも目を通さなければならないメールや文書が長々と連なっている。端正な顔に冷えピタを貼りつけげっそりしている生徒会長、周防元哉を手伝ってくれる人は、しかもどこにもいなかった。

「あーもう、何で俺がこんなことまで」

一人寂しくぼやく周防が現在目を通しているのは、来月に生徒会主催で行う行事の予算についての書類である。
行事と言ってもささやかなレクリエーション大会のようなお遊びであり、ただでさえ娯楽の少ないこの学園で梅雨の間は特に溜まりがちな生徒達の鬱憤を晴らすためという名目で毎年恒例となっているものだ。さすがに昨年と同じものをするわけにもいかないが、生徒の重複のない3年前をなぞるのが通例になっているので、さほどの煩わしさはない。
だが予算案と言うからにはこれは会計の仕事であり、にも関わらずその会計はここ数日、書類の締め切りの今日に至るまで生徒会室に顔を出していなかった。

「ああくそ、これもこれも俺の仕事じゃねえよ!」

顔を出さないのは会計だけではない、副会長と書記も同様である。
悪態をつきながらも赤で訂正を入れたり判を押したりと的確に書類を捌く周防の手つきは素早いが、本来4人でこなす仕事量を1人でとなると、いくら周防の仕事が速くともそれは焼け石に水というものだ。
延々終わらない山にうんざりした周防は、ついに仕事を放り投げて立ち上がった。

額でぬるくなったシートを剥ぎ捨てて休憩がてら向かったのは、生徒会室内を壁で区切ったスペースに備え付けられている簡易キッチンである。シンク前の窓を開け放し、二口コンロ上にある換気扇のスイッチを強でつける。最近覚えた煙草をくわえ、ライターがポケットの中に見当たらないことに苛立ちを覚えながらコンロを使って火をつけた途端、

「おーい、入んぞー!」
「……っ!」

入り口の扉が乱暴に蹴り上げられた音に青ざめた周防は、とっさに火のついたばかりの煙草をシンクに吐き捨て水をかけた。まだ一口すら吸っていなかったがにおいがついていてはまずいと慌ただしくブレザーの上着を脱ぎ捨て、給湯室から顔を出す。

「なんだそんな所にいたのかよ。お前まで逃亡したかと思ったじゃねえか」

蹴り上げた扉の前に立っていたのは、風紀委員長の相原勤だった。
周防とは初等部からの腐れ縁ではあるが、お世辞にも仲がいいとは言えない、むしろ犬猿の仲ともいうべき相手である。
ただでさえ普段から憎たらしいというのに今日は貴重な一服を邪魔されたという恨みも相まって、相原の皮肉をこめた視線はいつにもまして周防の神経を刺激した。

「てっめ、ノックしろっつってんだろうが!」
「あぁん? 見られてまずいことでもしてたのかよ」
「……は、あ? んな訳ねぇだろうが」
「ははーん、図星か。さてはマスでもかいてやがったな」

ニヤニヤしながら寄ってきた相原は、しかし立ちすくんだままの周防の目の前にやってきた途端怪訝な顔で鼻をひくつかせた。

「お前……」
「あ? な、なんだよ」
「変な遊びでも覚えやがったのか」
「……いや、さっぱり何のことだか」
「ごまかせるとでも思ってんのか?」

突然胸倉を掴み上げられ、周防は必死に表情を取り繕いながらも内心冷や汗を流した。
普段は相原他風紀委員を含め、各種委員会や部活動の幹部達をまとめるために虚勢を張ってはいるが、素の周防はどちらかと言えば天然と言ってもいいほどのほほんとした性格であり、荒事にも全く耐性がない。周防より縦にも横にも体格のいい相原、ましてや普段から問題児の処罰や時には喧嘩や乱闘の仲裁にまで慣れている風紀委員長ともなれば、肉体的にも精神的にもかなう相手ではなかった。

「だ、から何のことか、つうか痛ぇって……」
「煙草だよ。吸ってやがんな?」
「は、なに、違えって」

息苦しさに顔を歪める周防を見下ろし、相原はニヤリと口元を上げて目を細めた。

「キスでもして確かめてやろうか。あ?」
「テメ、気色悪ぃんだよ……!」
「ふん」

ぎりぎりと歯を食いしばって睨み上げる周防を観察していた相原は、ややあってからふと興味を失ったかのように手を離した。苦しそうに咳き込みながら壁に背中を預ける周防を見下ろし、持っていた紙の束でその頭を軽くはたく。

「お前相変わらず嘘が下手だなァ」
「はあ? 喧嘩売りにきたのかよ」
「アホか、わざわざそんなことするほど暇人じゃねえよ。書類の追加」
「うわ、マジかよ」

投げ渡された紙束をぱらぱらと捲りながら眉を寄せる周防の体、横数センチめがけて、突然相原の重い蹴りが飛ぶ。
がつん、と音を響かせて壁に上靴の底を押し当てた相原は、内心ではぎょっとしている周防を見下ろしたまま、細い眉を片方器用に上げてみせた。

「8割方転入生絡みのトラブルだぜ? お前らの大事なお姫さんのな」
「……キメェ。つうかそこに俺を含めんな」
「悔しかったらとっとと役員全員連れ戻せ。それとも今期の会長様は生徒会も纏めらんねぇほどの役立たずか?」
「っ!」
「ふ、せいぜい全員纏めてリコールされねぇように頑張れよ。書類の期限だって風紀提出分は1秒たりとも待たねえからな。ああ、あと」
「……んだよ、まだ何かあんのか」
「それだよ、それ」

相原がさした指の先を反射的に振り向けば、少し離れた床には先程見当たらなかったライターが転がっていた。

「……!」
「次現行犯で見つけたら反省文20枚きっちり書いてもらうからな。覚悟しろよ」

顔色をなくして息をのんだ周防を見下ろして面白そうに笑いながら、相原はきびすを返す。
扉が閉まってからずるずると床にしゃがみこんだ周防は、八つ当たり気味に書類をその場に叩きつけた。

が、しばらくしてから自分が投げ捨てたそれをいそいそと拾い集め、素早く目を通して確認印をつく。それを終えてからようやく、ブレザーとライターをちまちまと拾い集め、周防は生徒会室を後にした。

4月に一目惚れしてからこっそり片思いをしている相手、とある後輩がいるかもしれない、森の中のベンチを目指して。

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