コーヒーは冷めた:
「お飲み物の方、紅茶とコーヒーとございますがいかがなさいます?」
笑顔を向けるウェイトレスへ2人は即座に答えた。
「紅茶で」
「コーヒー」
目の前でコクリと喉が上下し紅茶を嚥下する。遅れて卓上に運ばれてきたコーヒーを前に、ミルクを垂らした。スプーンでかき混ぜると円をかくようにうごめく。その様子を見るのが好きだった。僕は紅茶が嫌いで、彼女はコーヒーが嫌い。
2人の間には1人分のモーニングセット。そして、朝限定ですべての客にふるまわれる2人分の飲み物。それきりだった。
僕たちの朝はいつもこの店から始まる。約束もないのに2人ここでお互いを待ち、2人で1つの朝食をとる。食事中はもちろん、穏やかに流れる食後も、ぽつりぽつりとした呟きの他に会話らしい会話はなかった。店で働くウェイトレスたちが、「言葉が無くてもわかり合えるくらい、長い間一緒なんだろうね。」と話していたのを耳にしたことがあった。けれど僕たちは、付き合っているわけでもないし、幼なじみだった記憶もない。
カップを置き、テーブルに放り出された彼女の手は、僕の手から数十センチ離れたむこう。これが僕たちの距離。指先が熱を持ち赤に染まっていた。親指と中指を擦る彼女の癖をぼんやりと眺めていると、ふいに視線を感じた。顔を上げる。
「飲まないの?」
まわし続けていた僕のコーヒーは、いつの間にかミルクと混ざりきり、欠片の湯気も出ていなかった。
もったいない。スプーンから手を放す。かといって、冷めきったそれを飲む気にもなれず、苦笑がにじむ。
「君は、僕がここに来なくなっても泣かないんだろうね」
脈絡のない僕の言葉にも、彼女は顔をしかめずに紅茶を啜る。
「私が来なくなったら、ブルーノは泣きそうだね」
彼女の両手が、暖をとるようにカップを包む。僕には、暖をとるものがない。カップも、彼女の手も。僕は今どんな顔をしているのだろう。
「「なんでそんな悲しいこと言うの?」」
ふっと視線が交差し、ふっと2人で笑いあう。僕は今どんな顔をしているのだろう。
それは僕が店に行かなくなる1週間前のこと。
―――
相互記念として川口に捧げます