庵:(鉄謙出ない)
「今そこでさ、可愛い子に会った」
買い出ししてきた食材をカウンターに出すと、庵さんは早速チェックを始める。酒よりも食材確認の方が厳しいバーはここくらいだろう。
「そこって?」
「ほら、大通りより手前のデカいお家のところ」
「ああ、宗真さんとこか。たしか可愛い孫娘がいるって話してたな」
「ふーん」
宗真さんは有名な鍛冶職人だ。切れ味が気に入ったらしく、庵さん愛用の包丁も彼の作品だ。あそこ宗真さんの家だったのか。とりあえず、孫娘ではないな。格好からしてその辺りではありそうだけど。
「宗真さんって後継ぎとかいるのかな、その子のお兄ちゃんとか」
「いや、いないはず。1人だから嫁には出さないって」
「それじゃ将来不安でしょ。お弟子さんとかは?」
「どうだったかな。そういえば、ヤンチャなのを1匹拾ったとか」
それだ。
急上昇したテンションに気づかれないよう、平静を装い相槌をうつ。
「へー、宗真さんも頑固だし大変だろうね」
ヤバい。野菜を見ていた目が不意にこちらを向く。
「このパプリカどこで買った?」
「えっ? ああ、スーパーより奥の八百屋さんで安売りしてたから寄った」
「ふーん、いいなこれ」
どうやら気づかれなかったらしい。庵さんは妙なところで勘が働くからな。
「で、なんでそんなに弟子を気にしてるんだ?」
なんで気づくのさ。唖然とした顔が面白かったらしく、営業以外では笑わない口元が緩んでいた。
「宗真さんに反応しないなんて珍しいからな。いつもなら、頑固なところもクールで素敵って騒がしい」
ああそうさ、私は大人な男が好き。なんなら宗真さんみたいな年齢が理想ですよ。人生の甘い辛いを噛み分けたあとの静かな物腰はなんともいえない。だけどさ、
「なんで弟子だってわかるの?」
「そこで人捜しが止まったから」
この人、探偵の知り合いでもいるのか。
呆然とする前で、気に入ったらしいパプリカを切りわけていく。今日の賄いはきっとパプリカでの創作料理。いい食材を見つけたとき、庵さんは美味しいのを思いつく。お店に新メニュー増えるかな。
諦め半分で使わない食材を冷蔵庫へつめていく。庵さんがお弟子さんの顔を知らないだけいいとしよう。バレたらきっと笑われてしまう。若いのに目をつけたなとか、歳を考えろだとか。
「あっ」
声で振り返れば、まな板に数滴の血が落ちていた。
「指切ったの?」
「刃が欠けてたかな」
口から出された指の傷は深くないようで安心する。
「明日にでも宗真さんとこに持ってくか」
「……庵さん」
「なに?」
「……この絆創膏あげるから、私も連れてって」
「……いいよ」
せめてそのニヤニヤ隠してよ。
12.03.04
―――
物足りなかったので続き。