黒板へ向かって扇状に並ぶ机。そこから受講する学生たちの背中がちらほらと突きでていた。朝1番の講義。スクリーンなど使われたらたまったもんじゃない。そのうち諦めて机に伏せる者や、舟をこぎ虚しい努力をする者がみられはじめる。多くの背中がリタイアする中、目の前の壁だけは微動だにしなかった。
2メートル近い身長は、座っていても後ろの私をすっぽりと隠してしまう。だらんと長い腕を器用に折りまげ、机に収める姿には感心すらした。マイクでエコーする教授の声に耳を傾けカリカリと、ノートを走るペンの音も小気味よい。いい朝だな。窓の外でツバメが駆けた。
あまりに広い背中でどこを触ればいいのかわからない。とりあえず目の前をペンのお尻でつついてみる。ものすごい勢いで卓上が荒れた。どうやらわき腹だったらしい。寝静まった学生たちは、ピクリとも動かず安眠を続ける。耳の遠い教授も同じ。それでも恥ずかしいのか、拳で口元を隠しふりかえったその顔は赤に染まっていた。
「……な、に」
講義中だからだろうか。静かにしゃべる人だな。低めにつぶやかれた声は、それでも耳によく届いた。
「消しゴム落ちたよ」
「……それは、君が」
さきほどの勢いで落ちた文具を拾ってやる。しばらくの間をあけ小さな声がどうもともらした。思わず笑みがこぼれる。
「いえいえ!」
「……それ、じゃ」
「あっ待って。傘持ってきた?」
「……?」
窓を指すと再度ツバメが横切った。使用している講義室は1階。ずいぶんと低空を飛行している。
「ツバメが低く飛ぶのは雨がふるからだよ」
「……気圧の、迷信?」
迷信といいながらも、折りたたみ傘を指し示してくれた。
「良かった。これで濡れずに帰れるね」
「……ご心配、おかけしました」
「心配なんてしてないよ。あなたくらい大きな人の傘になら、私なんて簡単に入り込めるでしょ?」
「……えっ」
タイミングよくチャイムがなり、スクリーンが天井へと吸い込まれていく。書きかけのノートには、結論を欠いだ細い字が並んでいた。
12.05.17