物心がついたくらいの頃から、大人になったら家を出ようと決めていた。
口五月蝿い兄も、世話役お婆も居ない自由過ぎる空間で誰に文句を言われることなく生きていくことが将来の夢ですと間違って宿題の作文になってしまいそうなほど、それは麓介が強く望んでいたことだった。

よもや今その夢にまで見た自由な空間で、かつて散々色気が無いといびり倒した女に覆い被さって、こともあろうか理性崩壊寸前だなんてこと、当時の自分が知ったなら一人暮らしに希望を抱くこともなかったのだろうけれど。

真哉は大きい瞳を更に見開いて、自分を力ずくで押さえ込んでいる麓介を見上げていた。
昔から変わらぬ端正な彼の顔が真哉との距離を緩やかに詰める。
心臓がこんなに激しく動けるなんて今始めて知った。
そんな悠長なことを考えている場合ではないのに、それ以上のことは考えられなかった。
自分を床に押しやっている麓介は酒が入っているのにも関わらず酷く冷静だった。ように思える。
少なくとも酒が入っていない真哉のほうが混乱していた様子だったからだ。
いつからか体も力も彼の方が強くなっていて、生物学上女である真哉がどんなに抵抗したところでその行為は無論、無機物と化す。

「お前は疎すぎるんだよ、昔から」

いとも簡単に真哉の唇を奪い去った麓介は囁くように告げた。
ああくそ、何だって欲が止まらない。
こいつはいつも俺を乱す。
それを無意識でやってのけるところなんて更に憎い。
こっちの気も知らないで毎回部屋に上がり込みやがって、警戒心はまるで皆無だ。
花嫁修業だとか言って、真哉が麓介の家に通いつめてから半年が経つ。
ひたすら堪えた彼女への欲望がとうとう今日、醜い色を宿らせて蠢きだした。
サークルの飲み会から帰ってきた麓介を真哉は大胆にも彼の大きいシャツ一枚に身を包んで出迎えた。
来る途中雨に降られて、シャワーを借りたと彼女は笑った。
理性は崩壊して当然だろうことはきっと健全な成人男性なら分かってくれると思う。
誘っているのかと思わせるほど真哉は無防備すぎる。

「鏑木」

こんなとき彼に呼ばれる名前はこそばゆくなるくらいに甘ったるい響きを孕んだ。
真哉の顔がみるみる紅潮していく。

「俺たちはもう子どもじゃないんだ」

麓介の唇が今度は真哉の首筋をなぞる。
広く開いた首元まで真っ赤にして、快感によって齎される声を必死に堪えようとする女は何とも艶めかしい。

「藤くん」

やがて縋るような小さく彼女が己の名を呼んだ。
困ったような声音だった。
押さえつけていた腕を解放してやり、変わりに彼女の身体を抱き竦めた。
意外にも真哉は抵抗を見せず、それどころか麓介の首に腕を絡めたのだ。
鼻を掠めたシャンプーの香りが麓介を挑発する。
そうして、啄むような口付けをせがんだのは彼女からだった。
それに応えない理由なんてない。
麓介の唇が先程よりも深く真哉に潜り込んだ。

色気の無かったはずの彼女が、此処まで麓介を絆すようになるなんてあの時は誰も思いしなかっただろう。



その男、狂暴につき



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