※政略結婚沖田 ※悲恋ではないです 真白な冬空を仰いで総悟は目を顰めた。 太陽も出ていないような雪催いの空が眩しいわけなんてないのに。 あの日少女と見上げた空が余りに美しかったから、それを頭に思い描きながら何度も何度も眩しそうに総悟は目を細めた。 神隠し 大事にしているものを護るとき、子供は決まって難しい場処に宝物を隠そうとする。 きっとそんな子供と同じだった。 誰にも見つからないように、隠して隠して、結局隠した場処を忘れてしまっていただけ。 朝、涙と共に目が覚めた。 それは募るばかりの彼への想いが偽りきれると思っていた範疇を超えたのだとわかった。 冷たいばかりの己の手をすり合わせて、神楽は小さく蒲団の中で蹲る。 誰にも気付かれないように、そっと泣きながら。 凍て雲が人目を憚ることもせず、ゆうゆうと空を満たしていた。 その下に広がる真綿のような雪がこの世の音を全て吸収してしまっているようで、あたりの静けさに総悟は一つ深呼吸をした。 肺がひやりとする。 吐く息はもちろんのことながら白かった。 真撰組を主張する黒の制服は、純白と混じりえそうにもない。 出勤までの間、彼は冷たい風が吹き抜ける表に出た。 いつものように空を見上げる。 どんよりとした暗い雲からまた白い粉雪が降り注ぐのか。 そう思っているうちに、まるで総悟をからかうかのように気まぐれな結晶は白い絨毯に厚みをつける。 朝早くから散歩をしていた爺さんの足跡を見事に消してしまう。 庭を囲む少し高めの垣根から、ちらほらと人々の頭が見えた。 皆が傘を差していて、その中で皆より一段と小さな傘の先が総悟の目にふと留まった。 それは無論、見えた傘の色が目覚しいほどに鮮やかな藤だったからなのか、その藤が少女を連想させたのか。 はたまた其処に居たあの少女の気配を、鋭敏な総悟の五感全てで感じ取ってしまったのか。 いつも己の隣に置いていた愛刀を手にして総悟が立ち上がった。 刹那。 「総悟さん」 女の細い声はいつになっても慣れることを知らない。 自分の生涯を共にするとされた伴侶の顔すら覚えることができない。 淡々と流暢に女は微かに頭を下げた。 「お客さんが表でお待ちしています」 心の奥底で、繋がっていればいいといつだったか強く願った。 何かを犠牲にしなければ何も護れないこんな愚かな自分がそんなことを思うなんて滑稽だったが。 生まれて初めて、全てをなげうってまで共に生きたいと思ったヒト。 今、総悟の顔はきっと凄い形相をしていたのだろう。 刀を一度力強く握り締めて、女の横を総悟はすっと抜けた。 それが仮にも妻に見せる態度であろうか。 女は思ったけれど、口にするのは止めた。 あんなに空ばかりに恋焦がれていたあの人が始めて前進したのを見た気がする。 彼の足音が遠ざかるのをじっと聞き、そうして女はきつく目を閉ざしただけだった。 相変わらずの身なりで、そうして相変わらずぶっきらぼうな表情で、玄関先に立っていた少女は、夢幻想などでは無かった。 総悟はその場に立ち尽くす。 しかしそれは一瞬だけ。 「!」 すぐさま勢い良く神楽の手を引っ張ると、そのまま戸を引き開け、ずんずんと戸外に進んでいった。 手にしたものは今にも壊れてしまいそうなほど脆い神楽の手と右手には刀。 それさえあればどうにでもなりそうな気がした。 思った以上に強い総悟の力は、神楽の身体をまるで引きずるかのように雪の上を歩いていく。 まだ降り注ぐ雪が程よいくらいにあたりをくらませる。 やがて、最初は掴まれていただけだった左手の中の細い指は小さく蠢き始めゆっくりと総悟の手と絡めた。 冷たすぎる神楽の手はどこか懐かしくて。 このときばかりはどちらも何も言うことなく、目的もわからず只管歩いていた。 息遣いだけが、互いの存在を伝える。 此処にいるのだと、此処にあるのだと、目一杯に主張する。 「なんで、」 暫くして先に口火を切ったのは総悟からだった。 気の利いた台詞は何処にも用意されていない。 今自分の中をめぐっている言葉を音にして、発した言葉でその淡白さに気付く。 一度ちらっと総悟の横顔を眺め、神楽は俯いた。 手は繋いだままで、その体温を感じつつ、やおら彼女は目を閉じた。 鼻が寒さにひりひりと痛い。 「朝起きたら、結露で窓、凍ってて」 神楽の声は変わらなかった。 別れを言ったあの日から、何も。 「なかなか開かなくて、そしたらお前のこと、思い出した」 精一杯にそういった言葉の中に、いくつか嘘を混ぜておいた。 「お前」を「思い出した」のは今朝じゃない。 ずっと前から、「思い出し」ていた癖に。 つんと鼻の奥が熱くなった。 それは雪の冷たさのせいだということにしておいた。 冷たい頬は涙が温めてくれる。 総悟が左の神楽を振り返った。 神楽の足が速度を落とす。 おのずと総悟の足もぴたりと止まった。 「逢いたくないのに、急にお前に逢いたくなっただけアル」 蒼い目は潤んでこちらを見上げる。 狂おしいほど、神楽に魅了されていくのがよくわかった。 小さな冷え切った身体を総悟は己の胸に抱きしめた。 彼女の匂いが鼻腔を掠めた。 粉雪が神楽の浅紅色をまばらに装飾する。 はやり、手放すべきじゃなかったのだ。 血で手を染め、大切なものなど全て捨て切って、あるのは刀だけの世界で神楽はいつも眩しかった。 出来るならその隣でずっと生きたいと、よく思ったのだけれども。 大事なものを護りきれなかった時の苦しさと残忍さを、良く知っていたから彼女の手を放した。 大切なものじゃないと割り切って、闇に葬ってしまえばいいと考えたのが浅ましかった。 「逃げるか。このままどっか遠くに」 想い隠せぬのならいっそ解き放って。 全てを捨ててでも神楽の手だけは放さない覚悟が、総悟にはあった。 「ばれたら私達お終いだネ」 言葉のわりに楽しそうに言って神楽は涙を拭った。 真撰組を護るために、その気のない女を娶った彼にとって逃げ道などもはやない。 護りたいものの為に彼女を捨てたはずなのに、今は彼女の為に護りたかったものを捨ててしまおう。 雪が足先の感覚を奪う。 神楽がもう一度総悟の手を取った。 小さな手がぎゅっと彼を握り締める。 「痛てェよ、馬鹿力」 そう憎まれ口をを叩くのも変わらない。 総悟は微かに笑った。 この左だけは絶対に、守り抜いてやると不敵な笑みを口に含ませて。 END. |