※結核沖田、死ネタ




火照った熱い身体を引きずって、縁側に出るようになったのは最近。
咽返る堰を手で覆っては、その度に掌を満たす深紅に眉をひそめた。
荒れた呼吸を整えながら総悟は空を見上げる。
あんなにも晴れ渡った空は遠い。
その蒼穹の下。
屯所の庭先。
ふと彼は蒼い身体を目一杯咲き誇らす花を見つけた。
今までそんなところに花があったのなんて一度も気付かなかった。
そっと総悟はその花に手を伸ばす。
確か此花は勿忘草。
花言葉は、私を忘れないで。





人の殺し方は知っていた。
他人の欺き方も知っていた。
知らなかったのは、少女の愛し方。
そして、残酷な嘘のつき方。



連日の晴天も昨日で終わり。
今にも雨が降りだしそうな、どんよりとした灰色の空だった。
いつものように、縁側で総悟は空を見上げていた時だった。
唐突にそいつは現れた。
真っ赤な傘で空を割り、仁王立ちで総悟の前に立っていた。

「何しに来やがった」

心中に広がった動揺を総悟は辛うじて隠し平然を装ってありきたりにそんな台詞をはいてみた。

「別に。たまたま此処の門の前通りかかっただけヨ」

傘の下からは、顔を覗かせて少女は無表情のままそう答える。

「通りかかっただけで敷地内まで入ってくんのかィ」
「もうお前死んだかなと思ったアル」

その口調は淡々としたものだった。
ベタと肌を撫で付ける、湿った風。
とうとうこんなところにまでついてきてしまった、哀れな迷子。
神楽はじっと総悟の目を見つめた。

「まだ生きてたんだな」

そう呟いた神楽の瞳が一瞬優しい色に変わった。
傘の柄を握り締める手に力が入る。
素直じゃない、彼女はいつだって。
何一つ、変わっていなかった。
目の色も、肌の色も、髪の色も。
神楽の足が一歩。
総悟に近づいた。

「それ以上近寄んなァ。うつっても知らねぇぞ」

総悟が神楽から顔を背ける。

「どうして黙ってたアルか」

彼女が一体何処で総悟の話を聞いてきたのか、知らない。
隊士全員の口止めはしているし、もちろん銀時らだって知らないはずだ。

「何で赤の他人のてめぇに言わなきゃならねぇんでィ」

小さく総悟は笑ってみせた。
何があっても、知られるわけにはいかないとあの日、誓ったはずだった。
余命を宣告されて、思い浮かばないはずのなかった神楽の面影。
唯一の救いが、彼女との関係に何の名前もついていないことだった。
ただの顔見知りと割り切って、神楽への思いを葬った。
この世での邂逅はもう二度と叶わなくてもよかった。
彼女には、自分が介入し得ない未来がある。
こんな人生でいう一点に過ぎない場所で、留まるべきなんかじゃない。

「わかったらもう二度と此処に来んじゃねぇよ」
「じゃあキスしてヨ」

唐突すぎる神楽の言葉に、総悟は驚いて少女を見やった。
必死に何かを堪えようとする瞳。
潤んでいたことには気付かぬふりをした。

「何言ってやがんでィ、てめぇは。さっきも言ったろィ。こいつァ人にうつるもんだって」
「赤の他人だったらいいだろ」

泣きそうな顔で神楽は笑った。
風が刺すようにつめたい。
彼の顔は雪のように白かった。
もう本当に此れで最期なのだなとそんなことをぼんやりと思った。
どうして人の死はこんなにも明瞭に残されるものの心を蝕むもだろう。

「もし私にその病気がうつっても赤の他人なら平気はずネ」

神楽の目は怖いくらいに真っ直ぐ総悟を見つめた。
生涯でただ一人の愛した人。
そして愛したことを告げられない人。
総悟の手がすっと伸びて、神楽の顎を滑った。
その指先は氷のように冷たい。
神楽が静かに瞼を閉じる。
少女の薄紅色に色づいた唇は今まで一度だって触れたことはない。
いつの日か自分がいなくなった世界で、自分以外の誰かが神楽を愛し、そしてこの唇に約束を契るのだろう。
その前に彼女を束縛したかったのなら、どんな手を使ってでも神楽を我が物にしたかったのなら、今心のままにこの華奢な神楽の身体を抱けばいい。
総悟を求めて震える神楽の口を己の口唇で塞げばいい。
総悟は唇を噛み締めた。
そしてきつく目を閉じる。

「馬鹿なこと言ってねェで、とっとと帰れ」

彼女を欲す欲望を無理やり押さえ込んでぷいと神楽から目を背けることが精一杯だった。

「意気地なし」

神楽が叫んだ。
総悟の胸板に拳を叩きつける。
そんな中途半端な優しさなんていらない。
闇に連れる勇気がないのなら、初めから下手な嘘を吐かないで。

「生憎俺はてめぇみたいなガキ相手にしてられるほど時間に余裕ねぇんでさァ」

肩を竦めて、総悟は笑う。
どれほど自分を欺けるか。
そしてどれほど彼女に憎まれることができるのか。

「いい機会じゃねぇか。初めから、無かったことにしようや」

強い癖に、お前は弱い。
出来るならこの先ずっとあんたの傍で、護ってやりたかった。

「俺ァただの警察官で、てめぇは地球に来た一人の天人。俺らが出逢うことはなかったんでィ」

無常な風が二人の間を通り抜ける。
それが引き金になるかのように、ポツリと雨粒が天から零れ落ちた。
ポツリ、ポツリ。
あっという間に雨は地面を濡らしていった。
神楽はきゅっと下唇を噛み締める。

「意気地なし」

もう一度、微かにそう呟いた。

気付いて、しまった。
彼がいかに己を哀しみから遠ざけようとしてることを、どれだけこの人に、自分が愛されているかということを。

「わかったアル。もう二度と此処にはこないヨ」

神楽は拳を握り締めた。
冷たい雨が彼女の肌を滑る。
喉が酷く震えた。
まさか、泣くわけにはいかないだろう。

「せいぜい後悔しながら、死ねばいいネ」

強がって、神楽が笑った。
これが最後。
彼と過ごした日の、最後。
懺悔はしない。
縋りもしない。
きっとどんなに謝罪を述べても、呆れるくらいの愛の言葉を告げたとしても、悔いのない別れになんてならないことをよく知っていたから。

神楽はくるりと彼に背を向けた。
本当は言いたいことが山ほどあった。
ごめんね、ありがとう、はたまた愛してる。
でも言ったところで、どうにもならないでしょう。

「ばいばい!」

雨を降らす黒い空を見上げて、神楽は大きな声で叫んだ。
私のことを忘れるのは、貴方の勝手だけれども、私のことを嫌いになるのは許さないから。
全速力で神楽は駆け出した。
総悟の顔は見ないようにした。
もうきっと潜ることのない屯所の門。
目的地のないままただ走り続けた。
目がかっと熱くなった。
溢れる温もりは止まらない。
最後で一度彼が触れた頬に、涙が流れる。
拭うことはしなかった。
雨が次から次へと流してくれた。

神楽が去った屯所には神楽の香が残った。
彼女の泣いた後姿が脳裏から離れない。
やっぱり、抱きしめればよかったのだろうか。

「総悟」

土方の声がした。

「雨降ってんぞ」

それでようやく、自分がまだ空の下に居たことに気付く。
濡れた体のまま床に上がろうとすると、土方に手拭を差し出された。

「伏せるんなら拭いてからにしろ」

雨が先ほどよりも激しく降っている。
土方の、用意周到さに総悟が少し笑った。

「聞いてたんですかィ」
「聞こえただけだ」

彼は湿った煙草のフィルターを咥えたままぶっきら棒にそう言った。

「こんなんでよかったのか」
「いいわけないじゃねぇですかィ」

満足のいく別れなんてあるわけない。
本当を言うなら、神楽を手放したくもなかった。
別れたくもなかった。
そして、まだ死にたくもない。

「まさか俺が誰かの未来を願う日が来るなんてなァ」

自分でもその矛盾に笑えて来る。
総悟が己の手を見つめた。
今までずっと、剣を握ってきた手。
誰かの人生を奪ってきた手。
神楽に、触れてしまった手。
この我儘な手が手放したもの。

「土方さん、一つ頼まれほしいことがあるんでさァ」

困ったような笑顔は、泣きそうに歪む。
雨に打たれても、真っ直ぐに咲き誇る、庭先の花。





しめやかに総悟の葬儀が行われたのは、その一週間後だった。
前日からの雨はまだ止むことはなかった。
まるで彼の死を偲ぶかのように。
天ですら、彼の死を涙する中。
神楽は一人、万事屋に居た。
畳みに寝転がって天井を見つめる。
泣きはしない。
だって彼は知らないヒト。
涙は勿体無さ過ぎた。

総悟の存在はもう世界の何処を探しても見つからない。
もうこの世にその声が響くことは、二度とない。
ねぇ、もしも。
もしも私が貴方の恋人だったのなら。
最期の最期まで貴方の傍にいることを許されたのかしら。
繋がりは目に見えない。
やっぱり、あの人との関係に確かな名前をつければよかった。







初夏の風が、心地よい昼下がり。
ピンポーン。
滅多になることのない万事屋のインターホンが軽快に響いた。

「はーい。今行くヨ」

たまたま今日に限って銀時は他の仕事で家を空けていた。
新八もまだ来ていない。
食べかけのアイスを口に無理やり詰め込んで神楽がばたばた玄関に走った。
扉の向こうに立っていたのは、全く予期せぬ訪問者。
相変わらず煙草をふかした土方だった。

「何か用アルか」

こいつがわざわざ此処を訪れるということは、仕事の依頼でないことだけは確かだ。

「別に大したことじゃねぇんだがな、総悟から一つ、お前への言伝を頼まれててよ」

そういってなにやらごそごそと土方は胸ポケットから一枚の封筒を取り出した。
宛名もなにも書かれていない真白なもの。

「一人のときにでもじっくり読んでみろや」

恐る恐る神楽はその封筒を受け取った。
最期のあの日、決別を誓ったのに。
今更何の用なのだろうか。
封筒と、用件だけを残して土方は去っていった。
後には煙草の匂いが置き忘れられた。
神楽は封筒を前に、一瞬躊躇したものの、意を決して開封してみた。
けれど中から出てきたのは、手紙なんかじゃなく。
一厘の花。
藍色の花弁は、見たことがある。
確か此れは――。

「勿忘草」

丁寧に押し花されてあるため、枯れずして原型を留め残っている。
もう総悟の顔を思い出さずには居られなかった。
我知らず涙は流れる。
赤の他人の為に、涙が止まらない。

「じっくり読めって、こんなの読めるわけないヨ」

立っていられなくて、神楽はその場で蹲った。
窓際につるした風鈴が風に揺られて綺麗な音を立てる。
誰も居ない万事屋。
それだけが救いだった。
少女は、大きな声をあげて泣いた。
今までずっと溜めていた想いに、歯止めが聞かなくなる。
なんて今の自分は無様なのだろう。
それでもこの小さな一厘花に込められた総悟の思いが純粋に嬉しかった。




稚拙な愛し方
――勿忘草の花言葉は、「私を忘れないで」



END.

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