※ちょっと鬼畜なサスケ





体の感覚がなくなってしまうのではないかと思わせるほど、その楼は冷たかった。
しんと静まり返ったその建物には埃臭さが鼻に染みた。
ぴちゃん。
何処かで水の滴る音がよく木霊した。
その中で、サクラは失っていた気をようやく取り戻した。
真っ暗な楼は視界を暗ませる。

(どこだろう、此処は)

重たい瞼を懸命に開けようとして、サクラが冷たい地面に横たわっている己の体を起こそうとした。
けれど力が入らない。
体を、神経を、何か大蛇のようなものが纏っている錯覚がした。
ぴちゃん。
水の音は一定に鳴り響く。
体の自由を奪っているもの。
サクラは腕を動かそうとした。
後ろでに、鎖が虚しい音を立てた。
手首ががっしりと、それにつかまれている。
本来ならこんなもの容易く抜けられるはずだ。
このようなときに役立つはずの力なのに。

「――……」

サクラはぎゅっときつく目を閉ざした。
鼓動が激しく脈を打っている。
息も、荒い。
その理由はきっとこの己のわき腹に広がる真紅の血。

(とにかく傷、どうにかしなきゃ)

眩暈がした。
酷く気分が悪い。
荒く吐き出される呼吸が戸外の寒さに白く色づく。
頭のどこかで、冷静なもう一人の自分が、もう助からないだろうと悟っていた。
指一本動かす力の無い自分がチャクラを練って傷を治癒するなど、皆無に等しい。
だけど。

――死ぬわけには、行かない。

此処で。
此処まで来て。
石造りの床が頬の熱を容赦なく奪った。

――誰か。

自分の体なのに自分のものではないみたいだ。
痺れるような固まるような感覚がサクラの体を怠惰にする。
ぴちゃん。
冷ややかに、嘲笑う水滴。
その音に混じって一つの足音がこつこつと徐々に大きくなるのを凍った耳殻が捉えた。
脈打つ音と共に血は止め処なく流れ出す。
足音は迷うことなく今サクラが幽閉されているこの楼の地下へと降りてきた。
廊下の壁がぼうと明るくなった。
蝋燭が、ともされたのだろうか。
そんなわずかな灯を、サクラの目は捉えることができなかった。
重たい瞼は完全に視界を閉ざされ、あとは頭の奥で音だけが伝わってくるだけ。
足音が止まった。
おそらく今彼女がいる牢屋の前で。
金属同士がこすれあう音が、錆付いた鉄が開く音が、耳の奥で木霊した。

――…クラ…

誰かが、私を呼んでいる。
とても懐かしい声。

――…サクラ…

逢いたくて、逢いたくて、たまらない人。
刹那。
体が宙に浮く感覚がして、暖かい温もりがサクラの体を包み込んだ。
鼓動が、聞こえる。
しっかりと脈を打っている。
それは、深い哀しみと激しい怒りとそして優しさとが入り混じった旋律。
彼女の記憶が続いたのは其処までだった。

揺られた己の体を誰が何処へやったかは、覚えていなかった。




ギミック




冷え切った体がもう一度胸の奥からの熱い熱で蘇るのがわかった。
わき腹の痛みが、生きている証拠を伝える。
サクラが目を覚ましたのは、あの真っ暗な楼ではなくて、薄明かりの燈った広い静かな部屋のベッドの上だった。
橙色の照明が何処か薄気味悪さを与えさせられるが、あの暗がりの楼で感じた恐怖心は、ない。

――…生きている、のだろうか。

サクラはあの時ぴくりとも動きはしなかった手を、毛布の中で動かしてみた。
痙攣するように、けれども確かに手は動く。
手首には痣のようなものが感じられた。
黒ずんでいて、所々切れて血が滲んでいる。
触れて見ると案外痛くて、思わず眉を寄せた。

「まだ動くな、傷口が開いたらどうする」
「!」

突如。
人の気配が現れて、低い声がサクラの行動を制した。
あの頃よりも随分声音は低いけれども、口調は何一つ変わっては居なかった。
その声が、鼓動を脈打たせる。
筋肉が硬直してしまっていたからか、動かしにくい首を少し傾けて、声の主の姿を捉えようとした。

「サスケ、くん」

発せられた己の声は、なんとも情けないもので、酷く枯れていた。
紛れも無い、ずっとずっと捜し求めていた彼の姿は、今目の前に佇んでいた。
こつこつと。
サクラの気が遠のく前に聞こえた足音と同じ音がする。

――あの音は、彼だったのか。

「少々手荒な歓迎になったが、許してくれ」

なんとも悠長にサスケは述べた。
サクラが抱く疑問は全て見据えている。
何故貴方が此処に居るのか。
どうして自分はあんな場所に居たのか。
それはどれも全て、サスケが仕組んだことだった。

「良く来たな」

彼はサクラが今横たわっているベッドに腰を降ろす。
ベッドのスプリングが跳ねて、サクラの体は小さく揺れた。

「――…"良く来た"?」

彼女は言葉の揚げ足を空かさずとって、眉間に皺を寄せた。

「どういう、こと?」

尋ねたサクラをサスケは見下げた。
暗闇でまるで蛇が獲物を狙っているかのように鋭い目。
あまりの冷たさに、背筋が凍ってしまうかと思った。

「お前を此処に連れてくるように仕向けたのは俺だ」

サスケの顔は、昔よりもずっと大人びた顔つきをしていた。
此れが闇を見たものの顔。

「――サクラ」

その目を合わせてしまえば、きっと堕ちてしまう。
わかっていながら、サクラは正面から彼と視線を結んだ。

「俺の仲間にならないか」

痛むほど大きく、サクラの心臓が跳ねた。
何を。
一体何を彼は言い出すのか。

「悪いようにはしねぇ。お前の医療忍術とその力が必要だ」

そんなの、答えは決まっているはず。
ノーだ。
それを示さなければならない。
示す義務がある。
木ノ葉の忍として、いや、一人の人間として。

「――…なぁんだ…」

胸に走る痛みを堪えて、サクラは小さく笑って見せた。
上手く笑えているかは定かではない。

「私じゃなくてもそんなもの、兼ね備えている忍くらい、いくらだっているわ」

一言一言を丁寧に、ゆっくりと吐き出した。

「断るわ」

短く、けれどもそう言い切った。
全く躊躇なかったといえば、嘘になる。
今差し伸べられた彼の手を取ったのならば一生サスケの傍にいることだって可能だろう。
あんなにも好きで、恋しくて今すぐにでも逢いたいと思っていたのに。
でも。

「サスケ君は、逃げてるのよ」

彼と共に道を踏み外してしまえば、一体誰が彼を救うと言うのだろうか。
忌まわしき運命の鎖を、誰が断ち切るというのだろうか。

「誰かを恨むことは簡単よ」

それはきっと、自分がそうだから。
人を愛すことは難しい。
けれどその愛を裏返して、憎むことはいくらだってできる。

「サスケ君は、誰かを好きになったことないでしょう」

自分の言葉なのに、何故か急に苦しくなった。
そして酷く哀しかった。
サスケはただじっとサクラを見下げているだけだった。
何を思っているのか、何を感じているのか――。

「わからねぇな」

目を閉ざして、サスケは答えた。

「でもお前を傍に置いておきたい。その気持ちだけはどういうわけか自制なんかじゃ抑えられるものじゃないんだよ」

医療忍術と、常人外れたその怪力は、ただの理由。
彼女の足を留めるだけの呪文に過ぎない。
彼女の存在を、熱を、全身で求めている。
サスケがすっと手を伸ばした。
サクラの頬に滑らせる。
大きな彼の手はすっぽりと彼女の顔を包んだ。

「――…その眼」

不安げに、でも力強くこちらを見上げる眼をサスケは覗き込んだ。
久しぶりにサクラとあったとき。
変わらない桜色の髪の毛に魅了された。
そして、その奥に眠る翡翠が愛おしかった。

「――何を見てきた?」

サクラから離れた三年。
自分の知らないものを、サクラは知っている。
そして自分の知らない誰かが、サクラを知っている。
理性じゃないとするならば、欲望というものか。
湧き上がる乱暴な感情は、獣とどう違うだろう。

身動きの取れないサクラはただじっと彼の顔を見据えている。
長い睫が瞬いた。
サスケは親指でサクラの唇に触れた。
顎をくいと引き寄せて、その口を塞いだ。
咄嗟のことに抵抗を試みたサクラの口から吐息が漏れる。
ほら、収まることはない。
獣の血が全身に流れる。
サクラが逃げようとすればするほど体が酷い痛みに耐え切れなくて悲鳴をあげた。
そして、それと同時に深く口付けは絡まった。
齎せる熱に、徐々に翻弄されていく己がいた。
サクラの頭をサスケが抱え込んだ。
その手はまるで宝物に触れるかのように優しくて。
やがてサスケはゆっくりと彼女を解放した。
唾液がサクラの細い顎に伝う。

「どう足掻いても、お前は俺のもんだ」

低いサスケの声は耳元で聞こえた。

「俺の傍から離れることは許さない」

潤んだ瞳で、彼を見上げるサクラの頭をぽんぽんと撫でて、サスケは立ち上がった。

「チャクラ、流しておいたからもうその腹の傷は治せるだろう」

彼女の温もりが残る唇をぺろっと嘗めたサスケがサクラに背を向けた。

「しっかり休んでおけ」

それだけ残して彼の姿は扉の向こうに消えた。
足音が遠ざかる。
暗い階段を下りていたサスケの足が、ふと止まった。
見えぬ空を見上げて眼を閉ざす。
お前が恋焦がれた世界なんて、壊したくて壊したくて堪らない。
他の奴に見せる笑顔なら、そんなものはいらない。
サスケは己の手を見つめた。
憎しみしか知らない手。
この手で、サクラに触れた。
妙な自己満足と、誇らしさが彼を取り巻く。
広げた手をきつくぎゅっと握り締めた。
そして笑った。

――もう此処から逃がしやしない。


END.


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