例えば、彼女はカーテンの開け方が雑だ。
寝室の大きな窓ガラスの両隣にはきちんとカーテンを止めるフックが付いているのに、どうやらサクラの目には受け入れてもらえないようだ。
だから朝、だらしなく開けられたカーテンの収納はサスケが行う。
きちんとこの部屋に光を万遍なく入れてやる。

例えば、彼はベッドメイキングが苦手だ。
白いシーツがくしゃくしゃに縒れていてもどうやらサスケにとってみれば気にならないようだ。
だから朝、皺だらけのシーツを綺麗に整える作業はサクラが行う。
今夜また彼が寝やすいように、丁寧に丁寧に繰り返す。

共に暮らして初めて知るそんな互いの癖。
欠点のはずなのに、それが何だが愛おしく感じてしまうのはおそらく幸せ惚けしている証拠なのだろうか。




風の辿りつく場所




サクラとの長い長い道のりは決して平坦と呼べるものじゃなかった。
いっぱい傷ついて、そしてそれ以上に一杯彼女を傷つけて。
沢山の涙が乾いた後。
やっと欲しくて欲しくて堪らなかったものが手に入った。



秋はあまり好きじゃない。
夏の太陽には見放され、冷徹さを持つ冬の寒さからは受け入れられず。
どこか宙ぶらりんな存在なこの季節は何よりも自分と良く似ていたから。
そんな秋をサクラは好きだと言ってくれた。
何処か優しい気分で落ち着かせてくれる季節なのだらしい。
満面の笑みで語るサクラの横顔は今でもよく覚えている。
胸の奥から湧き上がる感情が、暖かかった。

朝。
高く上った秋の太陽に導かれるようにサスケは目を覚ました。
カーテンは相変わらず雑に開け放たれたままで。
そこから差し込む眩しい日差しに顔を顰めながら瞼を開いて、一番最初に飛び込んできたのはサクラの顔だった。

「……」

彼女はサスケの寝ているベッドの淵に頬杖をついて、じっと彼を眺めている。
翡翠の瞳がくりくりと動いた。
寝起きでまだ頭がはっきりとはしなかったけれども、まるで珍しいものでも見るかのような眼差しがこちらを捉えていたということだけはわかった。

「どうしたんだ」

やがて、空気に耐えられなくなったサスケが掠れた声で尋ねる。
それでもサクラは目を逸らそうとはせず、

「サスケ君て、睫長いよね」

感心したような惚けた口調でそう答えた。
彼女はシャワーを浴びた後だったようで、淡紅色の髪はまだ濡れていた。
白いタオルを肩にかけ、少し大きめのシャツの袖からは細い華奢な腕が露になっている。
頬はほんのりと赤色に上気していた。

「綺麗だなぁって、ずっと見てたの」

肩を竦めてサクラは、はにかんだ。
そんな恥ずかしいことを真面目に、そして至近距離でいうもんだから照れ隠しにばかやろうと小さく呟いてサスケが上体を起こす。
日差しがさっきより眩しく感じた。

「早く髪乾かさねぇと風邪引くぞ」

彼の指摘で初めて自分の身体がまだ熱を帯びているということに気付いたらしい。
サクラはあっといった表情で口を小さく開いたが、すぐにその口はくしゃみに変わった。
小さく肩を揺らしたサクラに彼が呆れたようなため息をつく。
そして彼女の肩に掛かっていた白いタオルを取り上げた。

「此処座れ」

そう言って自分が座っている場所の前をサスケがぽんぽんと軽く叩いた。
その意味をわかったサクラが嬉しそうに微笑んでベッドに上がる。
するとスプリングが跳ねて、身体が揺れる。
指定された場所にちょこんと正座をしてサクラは座った。
こちらに向けられた小さな背中はなんとも薄くて頼りないもの。
サクラの濡れた髪をサスケはタオルで丁寧に拭いていく。
ふわりとシャンプーのいい匂いがした。
頬や腕に跳んだ滴の冷たさがやけに心地よくて。
やがてふふふとサクラが小さな笑い声が漏れた。

「なんだ」

尋ねると、サクラはこちらを振り返る。
楽しそうな表情を孕んだ顔。

「あのね」

髪を乾かす手を止めて、サスケが話の続きに耳を傾けた。
この部屋には彼女とサスケ以外誰も居ないのに、わざわざ声を潜めてサスケの耳元にサクラが口を寄せる。

「今、私サスケ君と同じ匂いがするの」

生意気にそんなことを言うもんだから。
愛しさが募る。
全身の細胞が、サクラを求めた。

「そうか」

悪戯にサスケが笑った。
そしてサクラの身体をすっぽりと自分の腕に包み込んだ。
髪は冷たい。
サクラは突然抱きすくめられ驚いたようだ。
小さく息を飲む声が耳元で聞こえた。

「俺にはお前の匂いしかしないけどな」

白いサクラの首筋にサスケは顔を埋めた。
まだ熱を含む肌は柔らかくて、簡単に傷がついてしまいそうだ。

「サ、サスケ君」

仕掛けてきたのはサクラだというのに。
顔を首まで真っ赤にしたサクラはいつも困ったように声をあげる。
最もサスケは彼女の後ろから抱きしめていたためその表情なんて伺えない。
ただ腕を伝って聞こえるサクラの鼓動は凄い速さで脈を打っていた。

彼女を抱きしめる腕に力は入れていない。
少しでも入れてしまえば折れるのではないかという不安が拭いきれないからだ。
時々、サスケは酷く優しくサクラに触れる。
壊してはならぬように。
失ってしまわぬように。
彼自身気付いていないそんなサスケの心に触れたとき、サクラは決まって彼を強く抱きしめた。
腕の中の彼女がごそごそと蠢いて、くるりと顔をこちらによこした。
そしてサスケの胸に、頭を寄せる。
小さな手をきゅっと背中に回して、彼の鼓動を静かに聞いた。
ドクン、ドクン。
自分の心臓なんかよりずっと遅い彼の脈。
いや自分の鼓動が早すぎるだけなのだが。

自分を大切にしてくれようとするその彼の気持ちに答えたいと思った。


「そろそろご飯にしよっか」

暫くぎゅっと抱きしめて、互いの体温を交換し合って。
やがて聞こえたサクラの声音は優しいものだった。
大丈夫よ、私は此処にいるのだから。
そう囁いているようだった。
ああと返事を返すと、じゃあ準備してくるねと言ってサクラはベッドから飛び降りた。

「サクラ」

名前を呼べばいつだって彼女は振り返る。

当たり前のことなのに、何故かそれがとても貴重なことのように思えた。
サクラは今、彼女の意思で此処にいる。
それは、ナルトの為でも、カカシの為でも、他の誰の為でもないサスケの為に。

「朝飯食ったら何処か行きたいとこ考えとけ」

その台詞に、こちらを振り返ったまま満面の笑みを浮かべたサクラが嬉しそうに大きく頷いた。

「うん!」

あまり好きじゃない秋の午後。
出かけようと思うのは、一人じゃないから。
いやもっと言うなれば、傍にはサクラが居てくれるから。
秋を好きだと言った彼女を連れてのんびりと過ごす週末はサスケにとって掛け替えの無いひと時となっていた。

ある程度の広さを持つ部屋に一人残されたサスケはベッドから降りガラス窓に向かう。
目的はだらしなく広がったカーテンの収拾。
そして彼はあくびを噛み殺しながらサクラの待つダイニングへ足を運ばせた。

部屋に一つ残されたのは、皺を沢山拵えたくしゃくしゃのシーツだった。


END.

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