※シカ+サク



真夏の日に走って帰ったあの道を、今は一人で歩いている。
あの日と変わらぬ日差しの太陽が照りつける中。
私と同じ、ひとつの孤独と出逢った。

「……」

さんさんと輝く太陽に腹を見せながら多数ある両手足をバタつかせているそれに、サクラは視線を預けた。
さして早くなかった歩幅はやがて速度をなくして、その小さな命の前に立ち止まった。
光沢のある硬そうな甲羅は砂利道と摩擦しあってあまり好きじゃない音を奏であっていた。
腹から出ているあんなにもがいて、人間よりも多いあの足は絡まないのかと不思議に見つめる。
太陽は背中を容赦なく指し続けている。
サクラはその場にしゃがみこんだ。
ばちばちと五月蠅い黄金虫。
地面との隙間から見れる青銅色が眩しかった。

「起きたいの?」

口を利くはずも無い小さな虫にサクラは囁くように問いかけた。
耳の奥では蝉が啼いている。
ひっくり返ったまま身動きが取れないでいる黄金虫は相変わらず翅と翅を煩わしく音立てているだけだった。

「そりゃ起きたいよね」

まるで幼子をあやすような口調。
起きようと、自分だけの力でどうにか起きようとするその姿がまるで自分の鏡のようだった。
鏡の前にいる自分とそっくりで。
起こしてやろうと伸ばしかけた手を、すぐにひっこめた。
今の私は、薄い道義心でこの虫に同情しただけ。
あまりにちっぽけすぎてきっと誰も気づいてはくれない。
誰も気づかない中でもがいて、苦しんで。
誰か、救ってやってください。

「カナブンじゃねぇか」

蝉と、虫の羽音以外の音が聞こえた。
サクラの頭上に影を作る。

「シカマル、何してんの」
「それ俺の台詞だろ。お前こそこんな道中で何してんだよ」

質問を質問で返され、サクラは少し悩んだ。
そしてその蠢く小さな固体を指差して、

「カナブン。起きられないでずっと暴れてんの」
「起こしてやれよ」

あきれたようにシカマルは肩をすくめた。
男にしては細くて長い指がカナブンをくるっとひっくりかえす。
一回逆になった天地がまた元に戻ったことに一瞬混乱したのだろう。
空を切ってばかりだった手足が地面についてカナブンはぴたっと固まった。
暫しの間身動きひとつ取ることもせず、じっと動く気配がなかったため彼を戻したシカマルの指が
後押しするように甲羅を少しつめでつついてやった。

「あ」

まるで背を押されるかのように、翅音を立てて大空へ飛び立ったカナブンをサクラは見つめた。
あっというまに太陽に吸収されていく。
もう姿も見えなくなり、残ったのは彼らだけだった。

「ねぇ」

サクラは自分と同じようにカナブンが飛んでいった空を眺めていたシカマルを振り返った。
呼びかけの声に、目をこちらに向けてくれる。

「どうして起こしたの」
「は?」

予想もするはずのない問いにシカマルは思い切り顔を顰めた。

「もがき苦しんでるカナブンが可哀想だったから?飛びたくても飛べない願望を抱くカナブンが、惨めだったから?」

サクラの表情が真剣なものから、泣き出しそうなものへと変わってくる。
必死で、答えを見つけようとしているような――。

「それとも、」

――カナブンと自分の影を重ね合わせていた私が愚かだったから

「馬鹿かお前は」

ため息混じりにシカマルはカナブンを隠した空を仰いだ。

「カナブンが自分の力じゃ起きられそうになかったから、だ」

少し湿っぽい夏の風が、サクラの髪を攫った。
視界が淡紅色で染まる。

――当たり前のことを貴方はいつも当たり前のようにいうから。

だから、ほっと胸を撫で下ろす自分がそこにいた。

「ねぇ、もういっこいい」
「なんだよ」

ずっとしゃがんだままで痺れた足をさすって、サクラが笑った。
その笑顔は、夏が、置いていく過去。

「もし私が、もがいていたら、アンタは起こしてくれる?」

空まで、届かせてくれる?

「お前は、どうしてほしい」

シカマルは翡翠の瞳を覗き込んだ。
その目に映る未来を。
この自分の目にも映すことができればいい。
はにかむ笑みを忍ばせたまま、大きな声で彼女は言った。

「さっきのカナブンみたいに、何も言わず起こしてほしい」


この大きな道で、カナブンを、私を見つけてくれたほかでもない貴方に、もう少し甘えてもいいですか。

「仕方ねぇな。めんどくせーけど、やってやるよ」

呆れた笑顔で、彼もそういってくれたから、私は恐れずに前に進むことができた。
カナブンだったあのころの私がくれた、唯一のキッカケ。




END.


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