※ナルサク。ナルトが鬱々してます。



目の前の女が己の腹を割いた時、どうしようもない不安が彼の中に訪れた。
真っ暗な部屋の中で生臭い血の匂いだけが鼻を突く。
血を滴らせた刀を持つ手は震えていた。
殺した男の遺体にしな垂れかかるかのように女の身体が寄り添った。
刹那。
脳裏に淡紅色がちらついた。
屈託のない笑顔が印象的なあの少女を思い起こさせた。
眩暈がして、一刻も早くこの場から立ち去らなければならないと身体全身が悲鳴をあげるのに、どういうわけか足は震えて動けなかった。
男が女を護ろうとする、女が男の為に命を投げ捨てる、そんな夫婦愛に感涙したわけではない。
もっと冷酷で、そしてリアルな現実を突然目の前に突きつけられたような衝撃を受けた。
酷く吐き気がする。

――愛する人の後を追って、人間は死ねるのだ。

この罪のない女は夫の十字架を背負って共に、朽ちていった。
その姿を、思わずかの少女に重ね合わさずには居られなかった。


男にまるで支配されているかのように堕ちて逝った、可愛そうなあやつり人形。





マリオネット協奏曲





貴方の居ない夕焼け空は血の色にしか見えないの。
日が立つごとに私の中の大切な何かを奪われていくような感じがしてただ立っているだけで精一杯だった。
あまりに長すぎる任務は少しずつサクラの身体を蝕んでいく。
そんな少女とは裏腹に輝きを衰えさせない小指の指輪は優しく微笑みかけているようにすら覚えた。
もう春に近づいた、こんな季節でも夜は寂しいもので。
寒さと侘しさを宥めるような真ん丸い月が不恰好にも雲の間から見え隠れしていた。
白い月は、不思議と心を落ち着かせる。
騒がしい昼間なんかより、夜半のほうがサクラは好きだった。
時が流れるのを遅らせてくれる錯覚に陥る。
今か今かとあの人を待ちわびる私はきっと親鳥を待つ椋鳥の雛となんら変わりないような気がして、苦笑した。

「……」

――今日の、はずだ。彼が任務から帰ってくるのは。

ただナルトの命が無事でさえあれば、他には何も望まない。
祈るような思いでサクラは月を見上げた。
神頼みなんてらしくない。
先ほどからずっと手を重ね合わせる自分を罵ってみたりもした。
窓側のベッドに腰かけておでこをくっつける。
半分は楽しみと、そしてもう半分は恐怖と。
こんな思いをして過ごす夜は慣れることはない。

「サクラ」

その時、突然に呼びかけられた声に慌てて下を見下ろした。
夜だからか少し控えめに発せられた声は彼のものじゃないとわかっていたのに。

「シカマル」

彼は確かナルトと共に任務に出かけたはず。
そのシカマルが此処にいるということは。

「ナルトは?」

何かを言おうとしたシカマルの言葉を遮って、サクラは自室の窓から身を乗り出していた。

「いや、それがな、」

シカマルは言葉を濁した。
サクラの中に、冷たいものが流れた。
鼓動が徐々に大きくなる。
彼の身に何かあったのか。
任務から帰ったら一番に此処に来ると行ってくれたのに。

「お前んとこに逢いにいくっていう約束、守れなくなったってナルトからの伝言だ」

ドクン。
脈が一度大きくはね、頭の中が真白になった。

「ナルトは…」

声が震えてうまく喋れない。
こんな強張った顔したいわけじゃないのにうまく笑えない。

「ナルトは、無事なの」

聞きたかったのはただ、それだけだった。
知らず知らず窓枠にしがみつく掌に力が入った。

「右肩から肘のあたりまで大きな傷がある。止血はしたらしいが報告書には書かなかった」

息を飲み込んだ。
自分でも何をしたらしいのかよくわからなくて、気がつけば窓に足をかけていた。

「おい、危ねぇぞ!」

シカマルの遮る声も耳には入らない。
裸足のまま、彼の元に飛び降りた。
頭の先にじんと響く。
しかし、そんな可愛い痛みに気を使ってやれないくらい、気は動転していた。

「ナルトは今何処にいるの」

シカマルに詰め寄った。
夜だということもすっかり忘れて叫んだに近かった声は、夜空に響き渡る。

「さっきまで俺と火影室に居た。それから解散して、後は知らねぇよ」

背中越しに彼の声は聞こえた。
冷たい風が耳を煽る。
素足で真っ直ぐに駆け出した。
彼の行くところくらい、想像はつく。
砂利を蹴る感覚も、痛いと感じなかった。
痛いのはもっと別の場所。
眩暈がした。
わけもわからず泣きたくなるのを唇を噛み締めて押し込める。
吐く息は白かった。
またこんな冷たい夜を一人きりで過ごそうなんて、私は絶対許さない。
夜は何処までも無音だ。
河のせせらぎを聞いて、やっとあの場所に着いたことを知った。
木の橋の上には、一つの――影。

「私に逢いたくないんなら、もっとわかんないとこに居ればいいのに」

わざと、誘い出したとしか思えない。
小さく呟いたはずの声はこの透明な空気を普段よりも大きく伝導した。
ゆっくりとこちらを振り返った顔は、意外そうに驚いたもの。

「サクラちゃん、足…」
「腕」

ナルトの言葉を遮ってやった。
やや膨れた顔をぐいと近づける。

「腕見せなさいよ」

怒っているのか、泣きそうなのかわからない。
険しい表情は解かれることはない。
何故怪我のことを知っているのかとも聞かず、かといって言うとおりにしようとしないナルトの腕をサクラは乱暴にひったくった。
逞しい彼の腕に巻かれていた血のついた白い布が痛々しく映える。
どうやらシカマルの言ったとおり止血はされているようだ。
ただ怪我の治癒までには至っていない。
傷の周りは黒く化膿していた。
サクラの白く細い手が優しく傷口に宛がわれた。
暖かい感覚は腕全体を包み込む。
彼女の手によって少しずつ癒えていく己の傷をぼんやり見つめながら、ナルトは何も言えなくなった。
言い訳なんてきっとするだけ無駄なのだろう。

「…サクラちゃん」

噛み締めるように名を呼んでみる。

「何?」

そっけなく一言サクラは答えるだけだった。
心の中で苦笑してナルトが空を仰いだ。
脳裏にはまだ鮮明に、あの女が形を残している。

「抱きしめて、いい」
「駄目」

間を入れずサクラが遮った。
少し戸惑いながら、それでもナルトの中に妥協が芽生え、仕方無さそうに笑う。

「だよなぁ」

彼自身、こんな汚らわしい手が彼女に触れてもいいと思えなかった。
心の何処かでは彼女に拒否されることを期待していた。
もっともっと拒絶すればいい。
俺が近づくことの出来ないくらいに。
罪は浄化されない。
どんなに深く後悔をしても。
後悔があの人達への懺悔に変わるわけでもない。
何気なく眺めていた傷跡は痛みとともにすうと消えてなくなった。
サクラの白い指先がまるでピアノを弾くかのように優しく触れる。
そのまま指先は彼の手をぎゅっと握り締めた。
小さいくせに暖かい手。
驚いてナルトがサクラを見てもサクラはじっとした唇を噛み締めて目を伏せているだけ。
長い睫が美しいと思った。

「サクラちゃん…」

気がつくと、思考よりも先に口がついて出た。

「もし、もしも俺が、任務で殺されたとしても、殺した相手に復讐をしようとか、殺した相手を恨むとか、そういうのはしないでくれってばよ」

無表情のままこちらを見上げているサクラとまともに目をあわすことが出来なくて、次から次へと言葉は用意されている。

「俺が殺されたとしても、自らが命を絶とうとかそんなことは絶対に考えないでくれってばよ」

自分の犯した罪を彼女まで被る必要はない。
そんなことよりも彼女が少しでも永く生きながらえて、幸せな最期を迎えてくれることが俺の望みであると信じていたかった。

「何処か人目の付かない小さな里で静かに暮らしてたらいいから。絶対に俺が殺されたことを人に言っても、」

不自然にナルトの言葉は途切れて、気がつけば両頬に痛みが走った。
その上からはサクラの白い手が包み込んでいた。

「三回目」

搾り出すような小さな声は確かにそう告げた。
何のことかわからずナルトは返事を返すことができなかった。

「三回目だよ、もし俺が殺されたら」

翡翠色の瞳はなんとも哀しげに笑った。
困ったような泣き出しそうな笑顔を見て、ナルトはさっきの言葉全てを後悔した。

「そんな言葉、たとえ嘘でも言わないで」

本当に傷ついたとき。
彼女は決して怒らない。
変わりに笑う。
まるで何かを誤魔化そうとしているかのように。

「ごめん」

そう言ってナルトが頭を垂れた。
大事にされていることはわかっているのに。
今もこうして傍に居るのに。
それを失ったときの怖さを、恐れずにはいられなかった。
自分のせいでもし彼女の命が絶たれるようなことがあれば。
震える手をどうにも出来なくて、ナルトは思わずサクラを抱きしめた。
彼女のいい香がした。
突然のことに驚いて、小さく息を飲むサクラの声が聞こえたけれどそんなこと構いやしない。
強く、強く彼女を犇いた。
こんなにも暖かいのに、なにより冷たいナルトの腕の中でサクラは目を閉ざして翻弄される。
とくん、とくんと鼓動が聞こえた。
貴方が生きている証。

「抱きしめちゃ駄目って、言ったのに」

わざとサクラは口唇を尖らせてみた。
それにナルトが慌てて反応する。

「あ、ごめん」

まだ彼女の温もりが残る両手を離すと、サクラがこちらを見上げていた。

「落ち着いた?」

尋ねて、笑う。
その質問に何のことかと思わず目を見開いたが、次の瞬間。
見つめた己の掌が震えを帯びていないことがわかった。
あんなに怖いと思った気持ちが一瞬にして、何処へやら。
思わずサクラを見ると、相変わらずの笑顔で笑ってるだけ。

「帰ろうか、お家に」

立ち上がって彼女が手を差し出した。
穢れの知らないその小さな手に自分のものが触れてもいいのかと、ナルトは躊躇った。
細い指。
血を触ったことのない掌。
護ろうと決めた自分が汚してしまう。

「なに考えてんのよ。ほら、手」

ぼんやりと物思いに耽っていたナルトの手をサクラはなんの躊躇なく掴んだ。
恐ろしくないのか。
汚らしいと思わないのか。
ナルトがどんな任務をこなしたかくらい、察しのいい彼女ならわかっているはずなのに。

「サクラちゃん!」

気がつくと、ナルトは叫んでいた。
今此処で触れている少女はくるりとこちらを振り返る。

「何?」

無垢な笑顔は眩しすぎた。
でもそれは不快な輝きじゃなくて。
いつまでもこの中で酔うようにして泳いでいたいと心の何処かでは願っていたのだろう。

――今夜は君を抱いてもいいですか。



END.


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