※子ネタ



小さな小さな命が、彼女の中に眠っていた。
秘められた無限の可能性をどうにかして護り抜きたいと願ったのは遠くない昔のこと。




失って初めて知る唯一のもの




春の陽気は人の心を宥めるようで。
暖かいときの流れに人は皆、世の無常さを忘れていく。
そんな中で、まだ幼い頃の悪夢はいつまでたっても消えることはなく。
父親の死があまりにも無残で残酷だったせいか、いつだって自分は宗家とのしがらみを超えることは出来なかった。
一人だけ取り残されたような只管の孤独の中、救い出してくれたのは羸弱な彼女の手。
頼りないくせに、泣きたくなるくらい暖かい手の中にはいつだって、自分の帰る場所があった。
そうして不覚にもいつの間にかその優しさに縋って、彼女に魅了されて、命に代えてでも護りたいと思った。
この世の神秘性の中で産まれた小さな命はちゃんと動いている。

――愛おしい、己の分身。

産まれて間もない赤ん坊は絶え間なく世話してやらないと生きていくことが出来ない。
そのことは十分に理解していた。
病院で健康に生まれた我が子を自宅に連れて帰って早いことにもう一ヶ月が過ぎようとしていた。
一緒になってからというものネジが任務の時は欠かさず玄関口にまで出てきて心配そうな顔しながら見送ってくれたヒナタの姿は、ない。
一人の忍の伴侶であると共に、一人乳飲み子の母となったからだ。
嬉しい虚しさを抱きつつヒナタたちを起こさないようにそっと家を出たネジが、任務から帰ってくるのは大抵深夜になる。
吸い込まれてしまいそうなほど真っ暗な部屋には、灯りを燈す事すら申し訳なく思えた。

いつものように、皆が寝静まった夜半。
ネジは疲れきった身体を帰路につかせていた。
遠くで鳥が鳴いている。
すぐ傍の茂みには虫が音を奏でていた。
木ノ葉の隅に構えた、そこそこの土地の広さを持つ屋敷の門は闇夜と調和していて良く見えない。
この屋敷の庭は広い。
黒い逞しい門をくぐって暫く歩かないと家屋は見えないくらいで。
其処に向かう途中、ふとした疑問を覚えてネジは足を止めた。
普段闇にすっかり飲み込まれてしまっているはずの屋敷が今日は自ら光を放っていた。
一つの部屋を覗いてほぼ全部屋、明かりがついている。
こんな夜更けに一体何の騒ぎだろうか。
小さな違和感はじわじわとネジの不安を蝕んでいった。
まさか。
よからぬ想像ばかりが頭に広がって、ネジが思わず駆け出した。
ヒナタと赤ん坊の身に何かあったのだろうか。
彼女は忍としての第一線を退いてから随分たつ。
それに今は心身共に弱っているのだ。
嫌な予感はいつだって拭えない。
家屋の入り口に聳え立つ頑丈な戸をネジは思い切り引いた。
眩しくも漏れたのは光。
いつもと変わらないような情景が其処には広がっていた。
ぱたぱたと遠くの方から小走りの足音が聞こえてきた。
それがだんだん大きくなり、そしてその音の主が誰かと言うことは、もうわかっていた。

「おかえりなさい」

少し頬を上気させてひょっこりとヒナタが玄関に顔を出した。
相変わらずの小さな声。
ネジが大きなため息をついた。
一気に安堵感に襲われてその場に座り込んだ。

「どうされたんですか」

もちろんヒナタは驚いたように駆け寄ってくる。
夜着に肩からショールを羽織っているだけの彼女の格好は春になったばかりのこの季節には寒すぎる。
おまけに裸足だ。
木で作られた床とは違って、靴が数足脱ぎ擦れられてある玄関は大理石で成っているため素足は酷く冷たい。
指先にじんと刺す様な冷たさが広がった。
元々華奢だったヒナタの身体は過酷な育児のせいで更にやつれてしまったようだ。
折れてしまいそうなほど脆いヒナタの身体をネジは座ったまま抱きすくめた。

「この時間に家に灯りがついてるもんだから貴女の身に何かあったのじゃないかと思いました」

そのことが本当に怖くて。
手だってまだ震えている。

「ご、ごめんなさい、ちょっと今日はネジ兄さんの帰りを待ってようかなって思って」

もごもごとヒナタが言った。
彼女の長い藍色の髪がさらりとネジの頬を擽る。

「俺の帰りを?」
「ええ」

ヒナタはこくんと一つ頷いた。

「最近ネジ兄さんと一緒に居る時間が少ないなって」

恥ずかしそうにヒナタが頬を紅潮させて呟く。
ネジの肩に顎をちょこんと乗せて、彼の温もりをそのまま感じた。
この温もりに触れたとき、なんて自分は幸せなんだろうという心地にいつも襲われる。

「――例えどんな状況になっても、ネジ兄さんの帰りを待っていたいんです」

必ず無事でと。
こんな不甲斐ない自分は願うことしかできないけれど。
何よりも、彼を独りにさせたくはなかった。
愛するが故に護りたいと思う気持ちがそこには働いていたから。

こうして彼女を抱きしめていると少しずつ伝わる熱はいつものように優しかった。
ヒナタが自分を想っていてくれていることは偽りなく嬉しかった。

「ここに居ては寒いでしょう」

ゆっくりとネジがヒナタを離して立ち上がった。
細すぎる彼女の手首を掴んで、家の中に入れてやる。
軋んだ床は幸せの証。
広い玄関口に靴を脱いでネジも家に上がった。
居間に続く長い廊下を暫くどちらも無言で歩いた。
少し俯き加減にヒナタはネジの斜め後ろからついていく。

「俺は、貴女の身体のほうが心配だ」

唐突にネジの言葉は廊下に響いた。
ヒナタが顔をあげる。
ぴたりと先を行く彼の足取りが止まった。
そして後ろを振り返った。
ヒナタと目をあわせた。
穢れを知らない彼女の目は訝しげにこちらを見上げている。
汚したくはない。
汚しては、ならない。
少し目を離せばヒナタはいつも無理をする。
自分に偽って、大丈夫だと笑ってみせて。
夜な夜な母乳を強請る赤子を抱え、ろくに休みも取っていない癖に。

失うことの怖さを、ネジはよく知っていた。
きっと一生消えることのない深い傷跡。
その傷跡の向こう側で掴んだ大切なものだけは決して傷つけたくはなかった。

「ヒナタ様がこうして俺のことを心配してくれている限り、俺は独りだと思うことはない」

それよりも今は何よりヒナタが身体を壊すのじゃないかということだけが不安要素だ。
ネジが小さく笑った。
それに触れてヒナタが気恥ずかしそうに顔を赤くして視線を落とした。
随分彼は丸くなったと思う。
身体も心もあの頃よりも逞しくなったのだろう。

「一緒に寝ますか」
「え!」

悪戯な彼の台詞に、ヒナタの心臓が飛び出た。

「嫌ですか」

ヒナタが断れないということを知っていてネジがそう尋ねる。
彼女は慌てたように両手を顔を前で振った。

「い、いいえ!、嫌じゃありませんけど」

明らかに動揺した表情。
そんなところは昔から変わらない。
ネジが思わず噴出した。

「冗談ですよ」

いつまでたっても可愛らしい人。
困ったような顔のままヒナタは俯いた。
からかっただけの彼の言葉を本気で受け止めて慌てたことにバツの悪さを感じたのだろう。
数歩、ネジがヒナタに近づいた。
真っ赤な彼女の頬にすっと手を伸ばして、斜め上を向かせる。
ゆっくりと、唇を重ねた。
もう一度齎された静まり返った空気。
ヒナタの心臓は可笑しくなってしまいそうなほど早鐘を打っていた。
やがてネジがヒナタを解放してやる。
少し潤んだ瞳は、じっとネジを見つめていた。
すぐに翻弄されるのはヒナタのほうなのに、いつだって理性を壊されていくのはネジのほうだった。

頬が紅潮しているのが自らわかる。
彼女にばれまいとネジがぷいと顔をそむけた。
そしてまだ続く廊下を歩こうとしたときだった。
背中にとんと感じた柔らかい衝撃。
ヒナタだった。
華奢な腕で後ろからぎゅっとネジを抱きしめた。

「――…一緒に寝ます」

小さすぎるヒナタの声。
心臓の音と同じ位だった。
どくん、どくんと早いリズムの鼓動はネジの背中を伝った。
こそばゆいけれど、なんて幸せなのだろう。
一生懸命にそういいきったヒナタの顔はきっと茹蛸のように紅いのだろう。
そんなこと見なくともわかった。
どんな台詞が今この場に一番適当なものなのだろう。
必死なヒナタを宥めてやる言葉。

「はい」

見つからなくて、ネジは頷くだけにしておいた。
いつだってヒナタは上手く本心を隠す術を知らない。
だからこそ、愛おしいのだ。

何年の年月を経たって、幾度の哀しみを乗り越えたって、幼い頃の深い傷跡は、忘れることはできない。
それでも、ヒナタは懸命に己の傷を包んでくれた。
ずっと傍に居てくれたのだ。

徐々にでも少しずつ癒されたその傷の奥。
暗闇の中、差し込んだ光にやっと気付いた。
そこには、たった一つの掛け替えのないものが存在していたということに。


END.


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