※ネジ死ネタ。若干裏要素あり、子ネタ。



この世に生を授かって、心の底からそれでよかったと思えたことはただ一つ。
貴女という人に愛されて、貴女という人を愛したこと。
そしてそんな貴女の為に朽ちていけたということ。





士は己が知るものの為に死す





寒い寒い冬の夕暮れだった。
こんな酷く寂しい日に彼女を独り置いていくことが、心残りだったけれど。
彼女の寂しさが少しでも気が紛れるようにとネジは色鮮やかな刺繍糸で、組紐を編んだ。
幼い頃、誰からか教えてもらったものだった。
器用に動くネジの指先をじっと見つめていたヒナタがやがて一つ惚けたため息をついた。

「上手いんですね」

口元がにっこりと微笑むものだから、ネジも微かに笑ってやった。

「ヒナタ様ならこれくらいすぐに覚えれますよ」

そう言っていつも彼は自分を立ててくれようとする。
幼いころから身に染みた彼女への忠誠なのかはよくわからないが、ネジは時折酷く優しかった。
ある程度の広さを持った家屋に二人の鼓動はよく響いていた。
嵐の前の静けさとはこのことだろうか。
静寂が時を止める。

「私も、編んでみていいですか」

ヒナタの声がぐっと近づいた。
いつも自分から行動を起こすことがない人だったからそうした申し出は新鮮で。
いいですよと答えたネジは彼女の掌に鮮やかな刺繍糸を収めた。

「どうせなら、交換しませんか」

ネジの手元を眺めながら動作を真似たヒナタがその台詞に顔を上げる。
そして嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「そうですね」

ならば願をかけましょう。
六本の頼りない刺繍糸が貴方をずっと護りますようにと。
ならば願をかけましょう。
六本の頼りない刺繍糸が俺の居ない世界で貴女を寂しさに埋もれさせないようにと。

忙しく二人の手が動く。
無機質な風の流れが肌を滑らせた。
二人の間に流れる沈黙は決して不快を感じさせるものではなくて。
気がつけばもう夕日は家屋に光を届けてはくれなくて、夜の帳が降りていた。

「こんな感じですか」

長い間の静寂を破ったのはヒナタだった。
隣にちょこんと礼儀正しく正座をしていた彼女は組紐を輪にしてそれを指で摘んだ。
赤と萌葱と橙の織り成す鮮やかな願掛けリングがそこにはあった。
やはり手先の器用な人だ。
ネジが口で簡単に説明をしてあとは彼の見よう見まねでだけだったのにここまで完璧にやってのけるとは。
これが彼女に備わった天性なのかもしれないなとネジが口に笑みを含ませた。

「さすがだな」

そう褒めてやると、ヒナタが少し照れくさそうに俯く。
上気した頬は白雪のような色をしていた。
だいぶ暗さを増した部屋に白が映えた。

「腕を出してください」

出来上がったばかりの組紐をつけてくれるのか。
ヒナタに言われたとおりにネジが腕を差し出した。
逞しい腕。
いつも私を護ってくれる腕。
ヒナタの細い指が細やかに動いて彼の腕に願掛け紐を結んだ。

「少しきつかったかな」

これでも思ったのより一回り大きくしたつもりなんだけど。
ヒナタが眉をよせて呟いた。

「貴女サイズで作ったでしょう」

ヒナタの温もりが自分の手首に残してくれた組紐をネジが指先で弄びながら冗談めかして言った。
無論本当にきつかったわけではない。
こんなものだとわかっていながら。

「だって、ネジ兄さんの腕、こんなに逞しかったなんて知らなかったんだもの」
「貴女が細すぎるだけだ」

言い訳を口の中でもごもご唱えると、ぴしゃりとネジに言い含められた。
ごめんなさいと素直に謝りはしたものの、すぐにあっとまた償う言葉をヒナタが持ち出す。

「で、でも、少しきついほうが取れなくていいですね」

一生懸命に繕おうとするヒナタの姿がネジは好きだった。
彼女の表情も、言葉も、声もひとつひとつを喩えこの身が滅びてもずっと覚えていたかった。
この思考は、一体あと何時間持つだろう。

「それもそうだな。ありがとうございます、ヒナタ様」

ヒナタの意見に同調して礼を述べるとまたなんとも嬉しそうにヒナタが笑んだ。
こうしている今も時間は、刻一刻とネジに剣を突きつける。
ヒナタとの一生埋まらない溝が着実に距離を作っていた。

「ヒナタ様、腕を」

やがて彼の指先が動きを止めて、綻び一つない組紐が二つ出来上がった。
細すぎるその腕に一つ一つを丁寧につけていくとヒナタが訝しげに小首を傾げた。

「どうして二つなんですか」

確かに彼女の腕には二つの輪が絡み付いていた。
ヒナタよりも早く作業を始めていたネジがヒナタよりも遅く編み終わったのもこの為。
二つの組紐はまだわけを語らない。

「こっちが貴女のだ」

蒼系で統一された少し頑丈な組紐を彼は指差す。
それはか細い彼女の手首の手前に掛けられたもので、その奥には碧系で統一された小さめの組紐が掛かっていた。

「じゃあこれは誰のですか」

素朴な疑問ですらやり過ごす術は何処で覚えてきたのだろう。

「誰のだと思いますか」

悪戯に聞き返すと、ヒナタが思案する。
今はまだ、理由を知らなくていい。
近い未来に、否が応でも知るはめになるその運命が嘆かわしい。
ただの謝罪でしかない。
この世に残していく貴女と、そして。

ネジの手が、すっとヒナタの頬を滑らせた。
とうに部屋は真っ暗な状態だのに灯火をつけることはどちらともしない。
険しく思考をめぐらせていたヒナタの顔つきがゆっくりとこちらを見上げた。
不意にそれが優艶なものに変わったように思えた。
それは闇が彼女の艶めかしさを際立たせたのか、自分の目が彼女しか受け入れなくなったのかはわからない。
けれどもうどちらでもいいような気がした。
ヒナタに触れる感覚も、その感触も全てを忘れたくなかった。
迷い、なんて今更だ。
後悔などしない。
たとえそれがどんなに無残で、残酷な結末に終わろうとも。

ヒナタへの愛おしさに溺れながらネジはその腕に彼女を抱いた。
闇に沈んでいく音も、今まで抱えてきたたくさんの物が一度に音を立てて崩れていく音も聞こえていた。
幾度となく肌を重ねたその中で、ネジの欲求をヒナタはいつも受け入れた。
だから今回も拒まれることはないと確信していた。
案の定、愚かな彼女はあっさりと自分に身を任すだけ。
そんな純粋なヒナタに対して罪悪感なんてもう感じなかった。
ただ彼女が孤独に震えないように、自分が去ってからも寂しくないように。



寒い寒い冬の夜中。
唯一自分に暖をくれたヒナタを、果てしない闇の中にそっと手放した。
それは彼女を地獄に堕とさない為、精一杯ネジが抗った証だった。
まだ身体には彼女の熱を帯びたまま、ネジはそっと起き上がった。
傍らで穏やかに寝息を立てるヒナタの腕には先ほど自分が編み上げた二本の組紐。
気持ちよさそうに眠っていた彼女の頬にひとつ口付けを落とす、それがネジの最期の行為だった。
少女を起こさないようにネジは独り家を出た。
そうして手首に巻かれた少女の願を強く握り締める。
闇を設けた寒空に祈った。
どうか彼女が孤独に打ちひしがれぬようにと。



彼を失った世界は、それまでと変わらず今日も動き続けた。
どんなに嘆いても時は残酷にその傷を癒す。
季節が白から淡紅色に移り変わるのは早かった。
そしてその繰り返しは二回、三回と。
やがてヒナタの元に届いたのは不思議なほど泥一つ付いていない彼のもう一つの忘れ形見、あの鮮やかな組紐だった。





「母上、こんな感じですか」

母親の膝の上にちゃっかりと乗っかっていた幼子が足を揺らしながら振り返った。
小さな指には、色鮮やかな組紐が所々ほつれた状態のものが摘まれている。
薄日が縁側でくつろぐ親子に日差しを送っていた。
誰かが優しく彼女らを見守っているかのように。

「そう、上手だね」

母親が娘の頭を撫でて褒めてやると少し照れくさそうに少女は俯いた。
かしてごらんとヒナタが娘に手を差し伸べた。
少女の小さな指が母親の掌に組紐を落とす。
それを受け取ったヒナタは、あの日、彼が自分にしてくれたようにそれを娘の細い腕につけてやった。

「わぁ」

初めて作った物を自分の身につけて、幼心にも感動したのだろうか。
少女まだ短い腕をいっぱいに伸ばし誇らしい組紐の巻かれたのを太陽に翳して見たりする。
しかし、暫く気の済むまでじっと鑑賞してたかと思うとふと不服げに膝から降りて母親を見つめた。
頬を膨らませて唇を尖らす。

「父上が作ってくれたのの方が上手です」

ヒナタがまじっと娘を見つめ、そしてにっこりと微笑み返した。
あの人とよく似た娘の頭を優しく撫でて、小さな声で囁いた。
ヒナタの腕にはあの時彼がくれた組紐と、そして自分が彼に編んだ組紐の二つが巻かれている。
それがまた幼い娘にとって見れば羨ましいもので。

「私も父上が持っていた組紐が欲しいです」

唇を尖らせたまま、我儘を言ってみた。
少女は、父親の姿を一度も見たことがない。
それゆえずっと寂しかったのだろう。
ヒナタはゆっくりと少女の手を握り締めた。

「そうね、いつかあなたが大きくなったらね」

大きくなって、私と彼のことを全部話して、そして理解してくれた時にでも。
惜しいけど、この子の為になら貴方を委ねることが出来る気がした。
禁忌と知っていながら強く愛した彼との話を。
家をも体裁をも破ったことによって導き出された結末を。

「ねぇ、母上」

ヒナタとの約束にすっかり機嫌をよくした少女がもう一度母の膝の上に座った。
二人で薄日の太陽を見上げる。
あの日のように寒い日に、誰かと温もりを分かつことでそれを凌ぐ術を知った。
だからぎゅっと膝の上の娘を抱きしめた。
彼の血が体内を巡る愛娘。
何があっても孤独を感じさせまいとそう思った。
あの人が私に注いでくれた、最期の愛情を決して途絶えさせないためにも。
母に抱きしめられた少女は擽ったそうに小さく身を捩る。
そうして唐突に口を開いた。

「父上は母上のことが好きだったのですか」

何の前置きもなく、そして一点の邪推ない問いにヒナタが面を食らった。
なんと答えて言いかわからず、言葉に詰まる。

「えっと、それは逆じゃなくて」

つまり、「母上は父上のことが好きだったのですか」と。
ううん。
少女は首を左右に振った。
全く、本当に突然によくもまぁこんな質問が出来るものだ。
ませているというのかこましゃくれているというのか。
一体誰に似たのだろうと思うと、答えは一つしかない。
紛れもなくあの人に、似ているのだと。
思わずヒナタが噴出した。

「うん、そうだね。父上はちゃんと私のことも、まだ産まれもしないあなたのことも好きだったのね」




五年前の、あの冬の日。
貴方が編んだ二本の組紐は今も此処で、願が切れることなく存在しています。



私が貴方にかけた願もまた、共に。



END.


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