※蛇一行と暗部サクラのお話。ナルトは出てきませんが、若干ナルサクの要素もあり?



その手を取るだけの強さが私に備わっているとでも思ったのかしら。

遺される側の痛みを一番知っているのは彼のはずだった。
されど遺す側に回ったのもまた、彼だった。



木ノ葉の里はずれ。
深手を負って意識のない香燐の手当てをしたのは、闇夜に良く映える真っ白い狐の面をつけた女だった。
近くを流れる川の辺に小さな古びた小屋が一軒傾いていた。
女は何も話すことなく香燐の体をそちらへ運んだ。
すっと長い手足。
身長はそこまで高くない。
狐の仮面には真っ赤な紅で装飾をされている。
はたしてそれが本当に塗料なのか、はたまた血なのかはわからない。
そう思わせるほど、この女を取り巻く空気は凛としていて、恐怖にも似た感覚を与えられた。
サスケがこの女を妙だと感じたのは、決してその不気味な面からではない。
暗部というのは通常面を着用することは話に聞いていたがこの女の場合、面に真っ黒い布を流し、頭まですっぽりと漆黒で覆い尽くしていた。
赤頭巾ならぬ黒頭巾といったところか。
歩くたびに軋む古びた小屋は真っ暗で、鴉の濡羽色した女が香燐の傷口に手を翳した。
ぼうっと光が燈るように。
癒しの閃光が闇を掻っ切る。
その光をぼんやりと眺めながら、サスケは静かに眼を閉ざした。
女の、懐かしい温もりにまだ酔っていたかった。

「暗部に入ったのか」

小さな古屋といえど、夜半の今は辺りの空気がしんとしていてサスケの声をなんの躊躇なく女の下へ届けた。

「……」

女は答えようとはしなかった。
いや、どうやら聴こえぬふりをしたようだ。
香燐の身体に優しい指先が触れる仕種が全てを物語る。

「お前の髪の色は目立つからな」

思い出す鮮やかな淡紅色。
皆と同じように、面を顔につけるだけでは、闇に良く浮くだろう。
だから黒で同化するしかなかったといったところだろうか。

「サクラ」

サスケの声は、いつになく真剣なもので。
今度こそ女の肩が揺れた。
香燐の傷を一通り治療し終わってか、女がサスケに向き直る。
そして静かに、顔を覆いつくしていた面を除いた。

「いつから?」

薄く紅を引いた女の口が微かにわらった。
あの頃と何一つ変わらない翡翠色の瞳が、あの頃よりも冷たい色をしてサスケを捉えていた。

「最初からだよ。少なくとも味方ではない奴を何の躊躇いもなく治療する医療忍者なんてお前くらいしかいない」
「どうかしら」

何処か冷たい笑顔を絶やさぬままサクラが肩を竦める。

「もしかしたら、医療という名をもって止めを刺すつもりだったのかもしれないじゃない。医術は人を生かせもするけど殺しもするのよ」
「お前がそんなことするわけねぇよ」

強い口調でサスケがそう言い切った為、サクラは口を噤んだ。
俯いて、微かに眉を寄せた。

「買い被りすぎ」

自分はもう、かつて貴方が見てきたようないい子ちゃんじゃない。
無駄に殺戮を重ね、それに興じることだってあった。
血を吸った己の手。
血を浴びた己の身体。
どれもが汚らわしくて、可哀想で。

「もうサスケ君の知る私なんて、何処にもいないわ」

小さくサクラが笑って見せた。
なんとも美しくサクラは笑うようになった。
サクラの細い指が、呼吸を取り戻しつつある香燐の手首に触れる。
その指先が感じ取る細い脈。
微かに安堵の息をついて、そっとサクラは目を閉ざした。

「傷はもう大丈夫よ。あとは解熱剤を調合しておくわ」
「解熱剤?」
「深手を負ってたから抵抗力が弱って、熱が高いの。すぐに引くと思うんだけど、念のため」

闇の中サクラが立ち上がる。
外を流れる河原から水を汲んでくるようだった。
さすが医療忍者というべきか、手際が良かった。
火をおこして水を沸騰させる。
薬草を取ってきてそれを潰す。
その一連作業を河原の岩に腰掛けたままサスケは黙って見つめていた。

――どうして、こんなところで彼女と出逢ってしまったのだろう。
深いため息を心の中でそっとつく。
ほら、未練が断ち切れることはない。
華奢なサクラの肩に、薄紅の髪が流れていた。
横顔が凛としていて美しい。
触れたい衝動をサスケは必死に抑えこむ。
蹲るサスケの前にすっと細い指が差し出された。
小さな白い陶器の中に、どす黒い液体が入ったものを手渡させる。

「はい、これ。意識が戻ったら、飲ませてあげて」

サクラが今、彼らを目の前に何を思うのかなんてわからない。
ただ一つ。
この我儘な願いが許されるのならば。

「サクラ」

サスケが彼女を見上げる。
言うべきか、言わぬべきか、躊躇して口を開こうとしたその時だった。

「駄目よ」

サクラの口調はいつもよりずっと柔らかかった。

「一緒に行かないかとか言っちゃ駄目だからね」

そしていつもよりずっと哀しげだった。

「今度、私がサスケ君と会うのは、サスケ君を闇から救い出す時よ」

泣きそうなのを無理に笑ってか、彼女の花貌がわずかに揺れる。
行けるのなら、その手をとって、貴方についていけたらというのが本望なのだけれど。

「ナルトか」

サクラの顔に見え隠れする、かつての親友の名をサスケが静かに口にした。
曖昧に頷いてから、サクラは俯く。

「一人に、させたくないの」

サスケを失って、その上サクラまで失ってしまってはと彼のことばかりがやはり気になる。
この気持ちをどう呼ぶかなんて、まだわからない。
けれど彼を慈しみ愛おしむ心だけは確かだった。

「そろそろ気がつく頃だわ。冷めないうちに薬を持っていってあげて」

そう言って、サクラが手を振った。
不意に思い出す。
自分が里を抜けた日のことを。
サクラはいつもサスケの傍で、彼を見ていたのに。

――『私も連れて行って!』

そう哀願した彼女の声が耳に木霊した。
あの時、いっそのことをサクラを攫ってしまえばよかったのだろうか。
サクラがくるっと背を向けた。
面をまた、はめなおす。
目立つ桜色を黒い布で丁寧に捲きつけて、その姿が樹海に溶けゆきそうになった。
彼女を失う不安。
心の安定の範疇を超えて、思わず声になった。

「サクラ!」

呪文のように彼女の足が止まる。
今更言うことなんて一つもないのに。
白い狐がこちらを振り返った。

「気をつけて帰れ」

躊躇った挙句、出た台詞はなんとも淡白で。
面の下、サクラがどんな顔をしたのかなんて予想もつかなかった。
ただ何も言わずサクラの足は樹海のほうへ帰る。
追いたいと思わなかったわけではない。
けれどそれが何よりサクラを傷つけることを知っていた。





樹海の中、ただ一人で負傷した身体を引きずって帰ったことは何度もある。
動かない身体を無理に動かして、途中で息絶えようとも、手足がもげようとも、里に帰りつく自信はあるつもりだった。
けれど――。

「……」

落ち葉を踏みしめる己の足が止まったことに気付いたのは、目の前に現れた人間が、こちらを奇異な眼で眺めてきたからだった。

「残らないの」

水色の髪をした男は、身体の割りに馬鹿でかい刀を背負っていた。

「あんた誰?」

あまりいい気のしない男。
サクラが眉を寄せる。

「てっきりサスケに言われて残るのかと思ったのに、つまらない」
「貴方には関係ないわ」

幸い男に殺気は感じられなかった。
おそらくは今サスケと行動を共にしている仲間だろう。
今のうち処理してもいいと思ったが、気が乗らなかったため、サクラは彼の隣を抜けようとした。
刹那。

「本当はサスケと一緒に行きたかったんだろう。でも行けない。里に残す者達への偽善ってやつかな」

余裕を持った男の顔が嫌らしく笑った。
無粋に人の一番触れて欲しくないところに踏み込んでくる。
かっとして、サクラが拳を振るった。
けれども、殴った箇所は、バシャッとはじけて水しぶきが上がる。
露出した二の腕に、冷たい感触が広がった。

「凄い威力だね。可愛い顔して性格は香燐より狂暴だな」
「何が言いたいの」

何処からか、男の声が聞こえる。

「そんな構えることはないよ。別に君とやりにきたわけじゃない」

はじけた水が一度にきゅっと彼の元の身体を形成する。
なんて気味の悪い能力。

「たださ、君ら見てるとじれったいんだよ、凄く」

ぐいっと水月がサクラを覗き込んだ。
面を通して瞳を見つめられる。

「互いに互いを大切に思いすぎてるって感じがするね。僕からすれば本当に滑稽」

彼の言い方は全てが嫌味だった。
けれど、冷酷な奴でも無さそうだ。

「滑稽でもいいのよ」

サクラが拳を強く握り締めた。
誰に罵られようとも、馬鹿にされようとも、こうすることが誰も傷つかずに済むのだと言い聞かせた。

「君はさ、君が思ってるほど強くないと思うよ」
「自分が強いだなんて、思ったことは一度もないわ」

だって強かったのなら、あの時サスケの手を取っていたはず。
強かったのなら、今こうして空虚な思いをせずに済むはず。

「弱いのよ。弱くて脆い。私も、サスケ君も」

水月はじっとこちらを見据えていた。
見据えたまま、動かなかった。

「そ、わかってるんだね」

暫くして、それだけ言った。

「足止めして悪かったね。気をつけて帰んなよ」

男の足取りがすれ違う。
思わずサクラが振り返った。

「あの!」

水月の後姿は、何処か、かの少年を思い起こした。
サクラが面を取る。
露になった白い肌と宝石を埋め込んだような瞳に水月が笑う。
やっぱり美人さんだね、からかうようにそう言った。

「サスケ君を、お願いします」

弱いから。
あの人は私と同じくらい、それ以上に弱いから。
だから壊れた、あの日々は。
共に居る勇気もなければ、共に逃げる勇気もない。
そんな不安定な心のバランスはいつか崩れることを私は知っていたのに。
彼を、止められなかったことだけが悔やまれる。
一瞬水月は驚き眼で自分の目の前に頭を垂れている女を見つめていた。

「また来るんでしょ、サスケを救いに」

頭を下げたまま、サクラは一つ頷いた。

「なら問題ないよ、大丈夫」

相変わらず不敵に水月が笑った。
そしてその足音は、サクラが来た道へと消えていく。
大きな刀だけが、闇に解けていく彼の背中の中でずっと輝いていた。


誰も居なくなった森の中で、サクラは空を仰いだ。
まだ、空は暗い。
太陽の昇る気配は伺えない。
冷たい夜の空気。
真昼間の暖かい温度より、肌を丁度凍らせるくらいの今の温度が丁度いい。
サクラは面を付け直した。
けれど今度は頭を何にも隠さなかった。
さらっと淡紅色が揺れる。


ざわつく闇に消えるサクラの姿を、その薄紅だけがいつまでも照らし続けていた。


END.

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