手に入れられぬのならいっそ殺してしまおうかと――。 そう思うことが歪んでいると否定する資格がある者など、きっとこの世にはいやしない。 凍て雲が頭上を覆いかぶさった、寒い冬の夜だった。 先ほどのシゴトで請け負うた血生臭い匂いが体中に染み付いてなかなか取れなかった。 多分、この吐き気がするほどの悪臭はきっと己の鼻腔のみを掠めているのだろう。 現に、腕の中の少女は何も言わない。 いつものようにただ口を一文字に閉ざして、大人しく総悟に身体を預けていた。 怖いほど真白い蒲団の中で、華奢な神楽の身体を抱きすくめていた彼はやがて微かに動く。 指先からじんわりと感覚も戻ってきたように神楽を犇く腕に力が篭った。 それがわかって、やっと神楽は安心できるような気がした。 彼に知られずほっと心中でため息を漏らす。 シゴトを終えた後の総悟は帰ってくるとまず最初に神楽の身体を求めた。 特に今日みたいな冬の寒い日は全身に浴びた返り血さえも拭うことはしなかった。 餌をねだる雛鳥かのように啄ばむような、けれども乱暴にあわさる口付けは血の味がした。 総悟の服にべったりと着いた生々しい血痕が白いシーツに染みを残すことだって多々あった。 背筋が凍るほどに冷たい眼はシゴトの名残を忘れることは出来ない。 総悟もまた自制の利かないこの形相が神楽に戦慄を与えることを知っていた。 せめてもの償いというべきか。 彼は神楽を抱く時、いつも暗闇を齎した。 蝋燭を消し、わずかに差し込む月の明るさでさえ嫌っていた。 「寒いな」 おもむろにそう呟かれた総悟の声音はいつもよりもうんと優しいものだった。 闇夜に浮かぶ月のように、この真っ暗な部屋には金色の髪がさらりと揺れる音が聞こえたような気もした。 「人を勝手に抱いておいて我儘言うんじゃないヨ」 彼の額を冷たく凍ったような指先が小突いた。 総悟が話すと、神楽はいつものように話してくれる。 逆を言えば彼が話すまで神楽から話しかけることは一切なかった。 彼女の肌とはたった一枚の布でさえも遮られていない。 規則正しく運命を刻む神楽の鼓動も直に伝わる。 温かくないわけがなかった。 これ以上はないほど神楽と体温を共有していて。 けれどうっすらと笑みを浮かべた総悟の唇がもう一度繰り返した。 「さみィ」 どこか遠くで梟が鳴いている。 まるでそれと共鳴しあうかのように虫たちが暗闇に歌を轟かせていた。 総悟は蒲団の中で小さく身を縮こめていた神楽の首筋に顔を埋めた。 ただ普段普通に傍にいるだけじゃ香らない肌の匂い。 胸いっぱいに大きく息を吸った後でふとした疑問が口をついて出た。 「シャンプー変えたのか」 頭上から降りかかった意外な台詞に神楽が顔を上げた。 「何でそう思うアルか」 質問を質問で返される。 青い瞳は闇夜でも煌く。 「いつもと違う匂いがしまさァ」 「アロマキャンドルだヨ」 あまり聞きなれない言葉に総悟が訝しげに首を傾げた。 それを見た神楽は仕方ないと呆れるようなため息を吐いて得意げに話してくれた。 「火つけるといい匂いがする蝋燭のことネ。この前仕事のときに貰ったアル。今万事屋で焚いてるからきっと匂いがうつったんだヨ」 「へぇ」 あまり興味が無さそうに彼が生返事を返すものだから、少々苛立った。 少女の声が低くなる。 「どうでもよさそうだな」 睨んでみると、せせら笑いのような笑いが聞こえた。 「そんなことないぜィ、その匂いのお陰で今日は血生臭くねェや」 何の香かはわからないが、総悟にとって不快な匂いでもなかった。 神楽の首筋を指先でつうと撫でた。 擽ったかったのか、身を捩った神楽が彼の腕にしがみつく。 体温は内側から徐々に上昇していく。 収まる術を知らない欲情を無理にでも押し込めようともう一度総悟は神楽の首元に顔を埋めた。 暗くてもこの肌の色がどんな透明色かはよく知っている。 口付けを落として、舌を這わせた。 きゅっと結ばれていた唇の隙間から少女の甘い吐息が漏れた。 それが更に総悟の気持ちを高ぶらせた。 「あんたは可愛そうな人でさァ」 ――愛しくて愛しくて壊したくなる。 もう彼の呪縛から逃れることは叶わない。 逃がすくらいなら、この場で殺している。 この気持ちを愛以外になんと呼べばいい? 何も答えることのない神楽がそっと瞼を閉ざした。 何処かへ連れて行ってくれるのならそれも本望だ。 けれど、お前なんかに私を殺させやしない。 わずかな光ですら介入は許されないこの小さな部屋に二つの息遣いが響いていた。 END. |