※沖田結核ネタ



久しぶりに、戸外へ出た。
身体は日に日に重くなる。
それでも不思議と足取りは軽いものだった。
誰にも内緒で皆が寝静まった後。
しんとした屯所を彼は抜け出した。
咽返る堰を一心に堪えて。

庭の櫻は小さいものだった。
けれどそんな小さな櫻でも伏せた床から見ると空一杯に花弁を咲かす。
懐かしくて、どうしても逢いたくなって。
櫻と同じ色をした彼女のことを思い出す。
始めて逢った、櫻の下。
総悟は白い夜着を脱ぎ捨てて、真撰組の制服に身を包んだ。
腰には長いこと日の目を見ることが無かった刀をさした。
あの頃のことが蘇った。
まだ誰もがこんなことになるなんて想像もしていなかった日のことを。
どうせ死ぬ身なら、こんな狭い寝室なんて御免だ。
壮大で寛大でちっぽけな自分を飲み込むような空の下で尽きたい。
そう願うようになったのは、つい最近。
己の死期を感じ取ったからなのかもしれない。

だから総悟は外へ出た。
自分の墓場を用意する為に。
最期の舞台をつくる為に。
たった一つの心残りであった、大きな櫻をこの目に焼き付けに出た。




春にしては冷たい風。
いや、そう感じているのは自分だけかもしれない。
闇は総悟の身体を隠すかのように。
月は覚束ない彼の足元を照らす灯篭の役割をするかのように。
今このときだけは、何もかも総悟は自分の為にあるのだと思いたかった。
大きな国立公園の周りに廻らされた濠。
誰かが誤って落ちてしまわないため、杭が取り囲む。
その杭にまるでしな垂れかかるかのように垂れた櫻は幻想的に総悟の目に映えた。
あまり見たことの無かった枝垂桜。
ゆっくりとした足取りで総悟がそれに近づいた。
時折冷たい風が流れる。
そよそよと優しい音を奏でながら、枝垂桜は闇夜を舞っていた。
かの少女の髪のように。
刹那。
背後に聞こえた人の気配を、総悟の冴え切った五感が逃すはずは無かった。
思わず腰の刀を構えて勢い良く振り返ったその視線の先。
思い描いたよりもずっと小さくて、華奢な、神楽の姿があった。
少し驚いたような紺碧の目はこちらを捉える。
驚いたのはきっと刀を構えた総悟にじゃない。
寧ろ、此処に居る彼の存在自体に。

「お前、いつ戻ってきたアルか」

開口一番。
尋ねられた台詞に総悟が虚を衝かれる。
何の話だと言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。
そういえば、土方が言っていた。
自分は暫く出張に出ているということにしているのだと。

「ついさっきでィ。最終列車は満員でいけねェ」

疲れたようにため息をつく演技。
枝垂桜の下にあったベンチに腰掛けて、彼は頭上の櫻を見上げた。
この少女相手にどれくらいの嘘を並べることができるだろうか。

「帰ってきたらすぐ私のところへ来るのが筋ってもんネ」

不満そうに頬を膨らました神楽は何の疑いも無く総悟の傍に駆け寄った。
どれだけ、逢いたかったことか。
すぐ傍を香った懐かしい神楽の匂い。
抱きしめたい衝動を無理やり押さえ込んで、総悟は櫻を見上げることは止めない。
神楽も彼と同じように空を見上げる。
淡紅色が満開に咲き誇る。

「此処の櫻は見事なもんだろ。実は此れ、私が世話してやったアル」

得意げにふんぞり返ってそんなことを言うもんだから。

「嘘つけィ」

言い放って見ると、むっと唇を尖らせた神楽が行儀の悪い足で彼の足を蹴った。
痛てぇなという総悟の文句は耳に入らぬふりをして神楽は櫻を見た。

「この木、病気だったんだヨ」

――病気。
思い出したようにこみ上げてきた堰を彼女にばれないように片手で覆った。
屯所を出る前、吐いた血の味が口蓋を満たす。

「でも私が治したアル。薬も塗ったネ。そしたらこんな綺麗な花咲かせてくれたヨ」

輝く神楽の横顔を眺め、総悟が目を伏せた。
あいにく自分には花を咲かせる力なんて搾りだしても残っていない。
総悟はゆっくりと立ち上がった。
闇夜に咲く花。
本当に、見事だった。

「木も、病気になるんだな」

――生き物は皆同じということか。
いや。
すぐに彼は否定した。
櫻は、薬で治った。
けれど自分は、治らないのだ。
どう足掻いても、闘っても、蝕み尽くされる身体。

ふわっと。
その時だった。
背中に今まで感じ得なかった温もりが広がる。
微弱な力。
神楽が後ろからもうぼろぼろの総悟の身体を犇いていた。
鼓動が共有する。

「どうした。気でも狂ったかィ」

突然で驚いたことを隠した憎まれ口も、

「夜桜は人を狂わすってよく言うネ」

同じように憎まれ口で返される。
それでも神楽は離れようとしない。
何かをじっと聞き入るかのように黙ったままだった。

「お前、何処か悪いアルか」

やがて。
尋ねられたその問いに総悟は即答することができなかった。
けれど、鼻で笑って精一杯の芝居を打ってやる。

「そんなわけねェだろ。やっぱりお前気狂ってるなァ」
「違うヨ」

張り詰めたような神楽の声がだぶって聞こえた。
どちらに対しての否定だろう。
鼓動が一つ、跳ねる。

「お前きっと病気アル」

ぎゅっと彼を抱きしめる腕に力が篭った。
突然に襲った不安。
どうしてか、よく自分でもわからない。
でも何故か、彼とこうして話すことが此れで最後な気がしてきたのだ。
だから思わず抱きしめてしまった。
狂ったようなことを口走った。
総悟の手が、優しく神楽の腕を解いた。
顔を背けて堰をする。
絶対彼女にうつらないように厳重に手で覆う。
総悟がこちらを振り向いた。
その顔がなんだかとても穏やかで。

神楽の涙が零れたのと、彼が神楽を抱きしめたのとほぼ同時だった。

「嫌アル、絶対死ぬなヨ」

なんて子供じみた我儘。
思ったけれど、思考回路より先に口が動く。

「死んだらお前殺すから、絶対許さないアル」

総悟の肩に顔を埋め、神楽は意味もわからず泣き叫んでいた。
彼を何処にもやらない為か、縋る手に力が篭る。
春風が残酷に思えた。
枝垂桜の下。
総悟は黙ったまま神楽を抱きしめていた。
瞼を閉じたまま、神楽の涙にまみれた罵声を聞きながら、小さなその身体を離すまいと抱きしめた。
どうして自分はこんなにも綺麗な少女と出逢ってしまう運命だったのだろう。


END.


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