真白が地面を染め付ける。




fake love




綿雪は幾重にも幾重にも重なって、柔らかな厚みを増す。
一瞬足を踏み入れるか躊躇って、それでも思い切り飛び込んでみると、予想外な暖かさが神楽を包み込んだ。
顔面がきりきりと痛む。
制服のスカートから露出した膝小僧にも同じ痛みが走った。
雪が、身体を蝕んで行くような感覚。
暫くそのままでいると、ぱすんと、冷たい何かが頭に投げられた。
それが何であって、誰が投げたかなど、振り向かずともわかる。

「何するアルか。殺すぞ」

神楽は体を裏返して、寒さで真っ赤になった鼻を啜りながら、犯人を睨みつけた。
奴の掌には、続投をの為、大きな雪玉が握られていたが、神楽がこちらを振り返ったことに舌打ちをして、変わりに己の足元にその雪玉を返してやる。
そうしてその場にしゃがみこんで、自分の頭を指差した。

「雪。ついてるぞ」

つけたのは誰だというのか。
あからさまに顔を顰めて神楽は両手で乱暴に自分の頭を払った。

「まだついてるぞ」

総悟がしゃがみこんで、神楽の頭に手を伸ばす。
本当にまだついているかはわからなかったが、客観視している彼がそう言うものだから、大人しく身を任せることにした。

が、

「おっと手がすべった」

悠長な棒読みが聞こえると同時に、神楽の方向に伸ばされた中指と親指を丸めしならせる。
そのまま振り切られた中指が白い神楽の額にばちんと響いた。
その痛みに赤くなっただろう箇所を抑えて神楽はのたうち回る。
雪を体中につけ悶える彼女に総悟が笑いを零した。

「――…てぇんめぇ…」

涙を浮かべながら、腹の底から怨念を絞り出すような声を出した神楽が、しゃがんだままの総悟に飛びかかった。
バランスを崩した体は背中から雪に埋もれる。
両手一杯に雪を鷲掴みにした神楽は、容赦なく総悟の顔面に叩きつけた。

「ぶっ…!てめぇ、何しやがんでィ!」
「雪の顔面パックアル。お肌スベスベになるヨ」

言った神楽の顔は一切の笑顔はなく、その瞳孔は開いていた。

「ならてめぇのそのボロボロの肌にも雪パック必要だな」

言うや否や、勢いよく総悟が上体を起こした。
彼の上に跨っていた神楽が転げ落ちるのは当たり前で。
すかさず形勢逆転。
今度は総悟が神楽に覆い被さった。
雪を掴んだままの腕を、押さえつけられる。
神楽の自由など、いとも簡単に奪われてしまう。
割と整ったほうであろう総悟の顔が思ったより近い位置にある。
その唇が妖しくつり上がった。

「不細工な顔してんなぁ。どうしたんでィ、でこ真っ赤だぜ」
「…あんま調子乗ってっと、マジで殺すぞ」

身動きの取れないまま、顔だけは思い切りどすを聞かせて噛みつかんばかりの勢いで神楽が自分を覆い被さる影を睨んだ。

「うるせぇ口でィ」

総悟が、聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で呟いたのを神楽はしっかり捉えていた。
彼の前髪がさらりと揺れる。
いつになく真剣な眼差しは真っ直ぐに神楽を見据えたまま、その距離を緩やかに縮めていった。
それが何を合図するか理解して、神楽は肩を強ばらせる。
きゅっと瞼を閉じると、覚悟した熱が唇に落とされた。
時が止まるのは刹那。
やがて、ゆっくりと総悟が神楽の唇を解放する。

「――ねぇ」

自由になった途端、歌うように神楽の声が鳴った。

「私たち恋人アルか」

唐突でしかなかった、その問いを受け、二、三度瞬きした総悟は首を傾げる。

「違うんじゃね」
「どうして」
「そんな話聞いてねぇもん」

歌うように、総悟も返した。

「じゃあ何でお前はキスするアルか」

続けられる神楽の質問に、それこそ丸い目で総悟はもう一度瞬きをした。

「したいからだろィ」
「…恋人以外は普通キスしないって、銀ちゃん言ってたヨ」

いつもはそんなこと気にしたこともなかったし、彼があまりに普通にキスするものだからずるずると受け入れてはいたものの、改めて考えてみると自分たちはおかしなことをしていると、思う。

「じゃあ付き合うか」
「は?」

神楽の肢体を押し倒したまま。
さらっと言った総悟の台詞を流しそうになったが、いやいやと、神楽は総悟に向き直る。

「恋人じゃねぇとキスできねぇなら付き合えばいいじゃねぇか。でも付き合ったところで俺たち、今と何が変わると思う」

きっとそれは総悟の素朴な疑問だったのだろう。
だからその答えを、ぐるりと思考を一周させて考えた神楽だったが、やがて観念したように首を擡げた。

「変わらなくネ?」
「だろ?」

やっと神楽の腕を解放した総悟が、雪の絨毯にぺたりと座りこんで、ううんと伸びをした。
絨毯にしては冷たすぎる。
ひんやりとした冷たさが、総悟の熱を奪っていく。
神楽もゆっくりと上体を起こした。
後頭部についているであろう雪を掌で柔らかく払って、空の眩しさに目を細める。

「ま、別に今までどおりでいんじゃねぇの。子どもでも出来たら結婚しようぜィ」
「何アルかそれ。てめぇ子ども出来るようなことするつもりかヨ」

最低な男アルな、と神楽が空を見上げていた眼の細さのまま総悟を睨みつけた。

「俺らならありそうだろィ。なんせ恋人でもねぇのにキスするんだぜ」

立ち上がって、ズボンについた粉雪を粗方払いながら総悟はいつもの調子で言った。

「それとこれとは話が別ネ。お前にやる処女なんかねーヨ」
「おいおい、今どき処女を価値あるもんだとか勘違いしてねぇだろうなァ。処女なんざ面倒臭ぇだけだから今のうち捨てとけって」
「つくづくお前最低な男アルな」

総悟が真白の上に放り出された二つのスクールバッグを拾い上げると、神楽のバッグを左手に握って彼女へ差し出した。

「ほい」

神楽は、寒さで真っ赤になった鼻を啜った。
ざくざくと雪の中を歩いていき、伸べられたバッグをとろうとした時。

「隙あり」

総悟の掌はぱっと持っていたものを離し、代わりにぐいっと神楽を引き寄せたかと思うと、冷たく冷え切った彼女の口唇に己のそれを重ね合わせた。
普段は、合わさるだけの唇は、今日はなかなか離れようとしない。
そればかりか、己から引きはがそうと神楽がもがけばもがくほど、いつもの口付は更に深みを増した。
舌を舌で弄って、簡単にも捉えられてしまう。
いつだってこいつの掌で踊らされているようで、無性に腹立つ。
だから、思いっきり噛んでやった。
重なる彼の、下唇を。

「痛」

予想外の衝撃に、総悟が飛び跳ねた。

「でこぴんの仕返しネ。こんなんで許してやる寛大な私に感謝するヨロシ」

ぺろっと舌を出した神楽は、足元に落ちた自分のバッグを拾い上げる。
寒さを凌ぐように肩を竦めて、羽織ったカーディガンのポケットに乱暴に手を入れて歩きだした。
真白の雪が、ざくざくと音を立てる。
きっと真っ赤であろうぽっぺたは、寒さのせいにしておくことにした。
幼い私たちにはきっとわからない。

恋人の定義と、ライバルの定義。

END.

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