「事件だな」

総悟は自室に投げ出されたように転がっていた紙袋を見つけて呟いた。最後に彼が見たときはパンパンに膨れ上がっていたそれは、今となっては隙間風に拭かれ部屋を虚しく蠢く始末だ。
中身は何ら大したものではない。見ず知らずの女が黄色い声を上げながら押し付けていったものばかりだ。
バレンタインデーなんていつから始まった行事なのだろうか。女が男にチョコレートで愛を伝えるその日を恨めしく思うほど女子からの貢物がなかったわけでもないし、かといって彼女たちの好意が煩わしく感じるほど桁外れな数を貰うこともなかった総悟にとって、バレンタインデーと言えば、甘いものがただで食べれるラッキーな日にしかすぎなかった。
ともあれ、むさ苦しい男の衆に彼らが呼ぶ戦利品とやらを持ち帰ると暴動を巻き起こした末、あわよくばくすねる輩が出てくるものだから、毎年もらったチョコレートは密かに自室に持ち込んで、備蓄していたのだった。
それが今年はどうだろうか。
午後の仕事を終え、日も沈みかけた夕刻。疲れた身体が糖分を欲しがっていたので、貰ったチョコレートでも食べようと帰ってくるとこの有様だった。
総悟の部屋に無断で上がり込み、ましてや盗みを働くなんて命知らずな輩はこの屯所にはいない。
この屯所には。

「おい、山崎!」

総悟は屯所の廊下を大股で歩き、そこに居ない偵察の名を呼んだ。
珍しく声を荒げた総悟の元に慌てて飛んできた山崎は彼の顔を見るなり、見事なフォームで土下座姿勢を作る。
そして、雪が積もった地面に向かって、吐いた。

「俺は必死に止めたんですが、チャイナさんが持って行きました!」

まだ総悟が何も言わないうちから随分と達者に言い訳をするようになったものだ。別に彼を責めようとして呼んだわけではないのに、震え上がって土下座までされるとは。まるで人を大魔王かのように扱うとは心底悲しい。
哀しみがてら総悟はとりあえずその頭を踏み締めた。

「お前の一円にもならない土下座なんていらねぇんだよ。チャイナ娘を此処へ入れた罰だ。早く全部取り返してこい」

しかし、既に白目を向いていた山崎にはどうやら伝わる命令でもなかったようで。魚拓のように彼の気絶した顔が白い絨毯の上にくっきりと残っていた。まだまだ懲りずに雪が降り続ける戸外に放置するのは、余りに可哀想に思った優しい大魔王は、空いてる部屋に山崎を放り込んでから、それはそれは大きな溜息をついた。
予想通り過ぎる答えに、最早呆れるを通り越して笑いがこみあげてくる始末だ。
今日は女がチョコレートを渡すイベントのはずだ。わざわざ男だらけの此処へ赴いて、チョコを配るでなく、せしめに来るか、普通。あいつはハロウィンか何かと勘違いしているのではないか。
色気はないと常々思ってはいたものの、それ以前の問題に思えてきた。色気より食い気、彼女のためにある言葉だ。
冒頭にも言った通り、盗られたものは大したものではない。
だが、これは見事な窃盗罪だ。突然の雨に困った若者が、コンビニの傘立てにある人の傘を使った場合もこれに等しい。 罪の意識の低い犯罪ほど達の悪いものはない。
とりあえず、犯人確保に向かうとするか。

(はーいらいらする)

総悟は愛刀を鉞のように肩に担いで、ぐるりと首を回した。
虫の居所が悪いのは、チョコを盗られたからだ。決して、あんな色気のないやつからチョコを貰えなかったからではない。

「たのもー!」

その時だった。今まさに、取り押さえに行こうとした犯人の声が屯所の入り口から聞こえた気がした。これが幻聴なら確実に病んでいると思えるほど、はっきりと。

「誰も居ないアルか」

この特徴的な喋り方は総悟の知ってる中で一人しかいない。
総悟のチョコを盗っただけでは飽き足らず、まだ回収しに来たというのだろうか。

「残念だな、チャイナ娘。此処には昼間てめぇが取ってった以上のものはねぇよ」

不機嫌ですと顔に書いていそうなくらい不機嫌そうな顔した男が神楽の前にゆらりと現れた。

「あ、お前」

ちょうど良かったといいながら、神楽は背中に背負っていたカバンをごそごそと弄った。そうしてミトンの手袋が差し出したものは、特大サイズの割りにリボンで可愛くラッピングされた、これが神楽以外の女子から渡されたものだったらチョコレートと確信ができる謎の箱だ。
思わず受け取った総悟は其れに目を落としたあと、ちらりと彼女を見やった。マフラーに半分埋まった顔じゃ何もわからない。その赤く色付いた鼻も寒さによるものに決まっている。
これは手離しで喜んで飛びつこうものなら死ぬやつだ。
危ないところだった。
総悟はポケットに忍ばせた手錠を取り出し、神楽の手首に容赦無く掛けた。

「爆発物所持の疑いで現行犯逮捕でさァ」
「誰の何が爆発物アルか!」

思わぬ展開に神楽は激昂した。こっちがどれほどの心の準備をしたと思っている。手が隠れるミトン手袋も、何重にも巻いたマフラーも、頭からすっぽり被った帽子も、必要以上の厚着も、どれも全部神楽からすれば戦闘服だった。彼以外の隊士が全員居なくなるのをずっと待っていたことはキャラじゃなさすぎて言えない。

「逮捕するんなら返せヨ。銀ちゃんにあげてくる」

両手首を縛られていても俊敏に動くミトンは、総悟に渡したその箱を奪い返そうと躍起になった。しかし、速さで言えば、総悟の方が何倍も身軽だ。まるまると着膨れした彼女の追撃を交わすことなんて容易い。

「これが何だって」
「もういいネ。返せヨ」

手錠が見事に彼女の動きを封じていてくれている間に、総悟は謎の箱の紐を解いて見た。
いや、まさかと。そんなはずはないと、確認するつもりだったのに、現れたものの意外さに思わず総悟は神楽を凝視した。彼に渡した特大のハートチョコを改めて見ることになった神楽はそれを拷問だと感じた。

「型はそれしかなかったのヨ。バレンタインにチョコあげると、ホワイトデーに三倍返しでもらえるって姉御が言ってたからで、私はそんな気全然なかったけど皆が作るっていうから、じゃあ作ってみようかなと思って、作ってみたら思ったより量が出来て、銀ちゃんにあげてもお返し期待できないし、だから…」
「俺から奪ったチョコは?」

だらだらと言い訳を重ねる彼女の台詞なんで一切耳に入ってこない。あの神楽がチョコを手作りしたという事実と、作ったチョコを総悟に持ってきたという現実だけあれば過程はなんだってよかった。 問われた神楽は急に不機嫌そうに眉を寄せる。

「オマエなんかにチョコ作る資金なんてなかったし、オマエ鼻の下伸ばしながら渡されたもの全部受け取っててキモかったアル」
「つまりそれで作ったんだな」
「手作りっぽいのはオマエ代わりに食べてやったから安心するヨロシ」

何もよろしくねぇよ。
総悟は得意げに踏ん反り返った神楽の額を小突いた。総悟が集計したところ、手作り以外のチョコでいえば、有名店の高級チョコが多かったが、こんな洒落っ気のない特大のチョコにされるとは、チョコも思ってなかっただろう。

「ふーん」

総悟は改めてそのチョコを眺めた。彼女は気付いているのだろうか。世間でいう、それは嫉妬なのだと。
ああなんて現金な俺。
気を抜けば頬が緩みそうになるなんて末期だ。

「これ俺だけか」
「銀ちゃんと新八と、ゴリラとトッシーとジミーには麦チョコばら撒いてあげてきたよ」
「なんだよその嫌がらせ」

そうか、つまりじゃあこれは、俺だけなのだ。確信すると、更に口の端が緩みそうになった。
自分の台詞に失言が混ざっていたことに気付き、神楽は口もとのマフラーを除いて慌てて弁解をする。

「勘違いするなヨ、別にオマエが特別だとかそんなんじゃなくて、オマエが一番貯蓄ありそうに、」

今日はよく回る口だ。
総悟は極限までに顔を寄せると、彼女の口の動きを封じた。
不自然に途切れた言葉の先などもう聞く必要はない。何を言い訳しようとも、もう十分だった。
長い間戸外にいた為か冷え切った神楽の唇はじわりと伝わる熱にゆっくり溶かされていく。重なるだけの口付けなんかではない。総悟が逃げられないように頭を抑え込むから、深く深く絡まる舌がとうとう神楽の息を止めてしまった。両手は塞がれていて、彼の身体を押しのけることも出来ない。
酸欠で意識が飛びそうになる。物凄い勢いで動く脈が、更に拍車をかけた。
必死で身を捩る神楽を突然に彼が離すものだから、見事に後方へ力を受けた彼女は雪の上に派手に転がった。

「っ死ぬ!!」

帽子にマフラーに服にたくさん雪をこさえた神楽は真っ赤な顔で涙目になりながら総悟を睨みつける。
総悟は、神楽の目線までしゃがんだかと思うと、折り曲げた自身の膝の上に頬杖を付いた。
これで頬と口がにやけそうになることは気付かれない。

「こんなケツの型したチョコ作るなんて、てめぇらしいな」
「は?どう見てもケツじゃなくて、ハー…」

言いかけて、神楽は自分の手で失言ばかりの口を覆った。
何を言わされるところだったのか。

「ハー…何だって?」

目の前の確信犯はこの状況を心の底から楽しみ過ぎだ。久しぶりにみた、弱者を甚振るときの彼の顔。
やっぱり失敗だった。この世で一番愛を捧げるなんていう言葉が似合わない私たち。
バレンタインデーは寿命が縮む最悪のイベントだと神楽はそう確信した。




チョコレート事件簿
(それよりお前早く手錠はずせよ)
(何言ってんでィ。窃盗犯で事情聴取させてもらうぜ)




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