あの背中だ。
私には胸を張る資格がないですよ、と語ってるあの背中。
見つける度に総悟はまるで餌を見つけたライオンの如く気配を殺し、まん丸に丸まった背中の後ろにぴたりと着いて歩く。
気に入らないな。
そう思い、片足を上げると彼女の背中を徐に蹴った。

「いっ!」
「お、ワリィ。人だったの。あんまり丸く丸まってるもんだから、ボールかと思って蹴っちまった」

当然ふらついた彼女だが、しかし流石は彼女だといったところで咄嗟に体制を整えると、本場仕込みのキレある回し蹴りを総悟の脇腹にお見舞いしてやった。
その小さな身体の何処からこの破壊力は生まれるのか。
よける間もなくもろに食らった神楽の蹴りは総悟に妙な奇声を上げさせた。
痛みにうずくまる総悟を勝ち誇った眼で神楽は見下した。

「お、悪いな、人だったアルか。あまりに覇気のない顔してるから歩くサンドバックかと思ったアル」

鼻息を荒くして言い放った神楽の顔はほんの少し上気していた。
ほらそうすればピンと背筋を伸ばして胸張れるのに。
総悟は悲鳴を上げた肋を押さえながら、

「貧乳」

凹凸のない彼女の胸を凝視して呟いてやった。
言うや否や、すかさず飛んでくるであろう彼女の攻撃を身構えて総悟が歯を食いしばるものの、予想したそれは一向にやってこない。

「……」

神楽は落としてしまった通学かばんをまた先程のように胸の前で抱えると、何事もなかったかのように歩き出した。
目の前でうずくまる総悟には目もくれず、その表情は恐ろしいほどに無である。

「へい」

総悟は立ち上がって、懲りることなく神楽についていく。
今度こそ無視を決め込んだ神楽はすたすたとアスファルトの道をローファーで叩きながら下っていった。

「おいって」

一度の無視くらいじゃ諦めないぜと、総悟はとうとう猫背の少女の隣に並んだ。

「おめーさん、そんなことすると余計貧乳が目立つぜ。自分で私は乳ないですよって言ってるようなもんだろう。俺みたいに見てくれと言わんばかりに胸張って歩けや」
「うるせーな。お前には何もわかんないアル。黙ってるヨロシ」
「わかりたくもねぇや、どんだけ自分に自信がないんでィ、てめぇ」
「そんなお前はどんだけ自分が好きアルか。ナルシスが私はこの世で一番嫌いヨ」
「自分が自分を好きで何が悪い。俺は親にもらった身体を人の目に触れないように隠して歩くやつがこの世で一番嫌いでィ」

この男に正論を返されると心の底から腹立たしい。
言い合いしていることに埒が明かないと思ったのか、神楽がまた黙り込んだ。
口を一文字に結び、眉尻が孤を描いて跳ね上がっていた。
この男を振り切ろうと、坂を滑る足を出来るだけ早く動かす。
しかし、隣について離れない総悟の足も自然と速くなる。

「ついてくんなヨ」
「お前こそついてくんなよ」

ああ言えばこう言う減らず口の男は大嫌い。
意地にになって神楽の足の運動はどんどん速くなった。
胸の前で不自由に組まれた両腕を降ろし、大きく前後に振りながらバランスを取らなければこけてしまいそうなくらい。
右手に学生鞄を握りしめ、神楽は駆け足で坂を降りていく。
背筋を伸ばし、空気抵抗を受けにくくした、だけだ。

「そうしてりゃいいじゃねぇかよ。背筋が伸びてるほうが、お前らしい」
「お前に私の何がわかるアルか!」
「なんもわからねぇよ」

坂を下る二つの足音がとうとうテンポを上げていく。
気が付けば両腕を振って走り出していた。
風が頬を切る。
転げ落ちるかのように、走り出す。
それに総悟もついてきた。
ここまで来たら負けるわけにはいかない、坂の終わりまで全速力だ。

――この時ばかりはしゃんと胸をはって。



彼女が猫背である理由
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