追い詰められて漸く気付いたこの気持ちに名前をつけてもよいのかと自問する。
いいのだとは言えなかった。
だからひとつの賭けをした。
彼女への愛について。



人気のある恋愛映画に決まっていることは、愛する人の幸せを願って理不尽な決別を告げるエピソード。
ありがちすぎて見ていると、どうしてもこそばゆくなる反面、例えばロミオとジュリエットはどうだろう。
愛するが故に同じ運命を辿ることを決めた。
代表的な悲恋映画だけれど、総悟はそれが悲恋だとも思わなかった。
どちらかが勝手に愛する人の幸せとやらを計って押し付けた決別よりも、ずっとずっと人間らしい純愛な気がした。



今回ばかりは負け戦になるだろうと近藤は重たい口を開いて言った。
だからといって、怖じ気づいたわけではなかったけれど、ふと頭に過ぎった神楽の顔はどうしても消せなかった。

今までの人生で、文を書いたのは初めてだったかもしれない。
只一言、彼女を呼び出す言葉をしたためるだけに、半日を要した。
これがまさに今際の際というやつだろうか。
約束の日。
約束の時間。
約束の場所。
来るとも知れない彼女に会いに行くために総悟は屯所を後にした。
馴染みの公園は既に夕暮れが支配する。
逆光の眩しさに思わず目をしかめると、そこにあった意外な影を見落としそうになった。

「なんで、居るんでィ」

それはつい、自分自身に向けて呟いた言葉であったが、彼女の地獄耳があっさりと拾って激高する。

「急に呼び出した上に、遅刻しくさって、挙げ句の果てに何でいるのかだと、この税金泥棒ォ!」

約束の時間の三十分前に来たのに遅刻扱いされるとは心外だったが、神楽が憤る理由はごもっともだったので、

「いや、まさか本当に来るとは思わなかったんでィ」

なんて、驚いた理由を正直に告げる。
が、

「てめ、ふざけてんじゃねーぞ?何ちょっとゲーム感覚で人呼び出してるアルか?こちとらてめぇのそのゲームに付き合ったおかげで今日一日無駄にしたんだヨ」

更に神楽の怒りを煽ってしまった。
そうやって詰め寄る神楽に、感じた違和感の正体を総悟はやっと掴めた。

「おめー、目真っ…」
「赤じゃねーヨ!」

総悟の言葉はみなまでいわせず、神楽は声を荒げて遮った。

「ただの花粉症アル!別にお前のせいで泣いたわけじゃないネ!自惚れんなヨ!」
「え、俺のせいで泣いたの」
「!」

鋭い総悟の突っ込みに、失言したと言わんばかりに神楽は一瞬、口を噤んだ。
指摘した目の充血よりも更に顔が赤らんだのは気のせいか。

「だ、だから違うって言ってんだろ!昨日はあれヨ、金曜ロードショーでロミオとジュリエットがやってたアル」

決して総悟とは目を合わせようとせず、神楽は下を向いたままぼそぼそと呟く。
昨日の金曜ロードショーは確か国民的人気刑事ドラマの映画だったような。
山崎が熱を上げながら見ていたのを思い出す。
が、総悟はそれ以上はつっこまないでおいた。

「ま、なら話ははえーや。旦那から聞いたんだろィ」

自惚れるなと言われた傍から自惚れてしまう。
神楽の目を腫らした理由が自分なのだとしたら、余計な話で時間は取りたくなかった。

「は、はぁ?何のことかさっぱりネ」

それでも。
ぷいっと横を向いてわざとらしく神楽は首を傾げたりなんかした。
あくまで惚けるつもりか。
この娘の頑固は今に始まったことじゃない。
肩を竦めて総悟はひとつ息を吸った。
じゃあ教えてやるよと言わんばかりに腹に力を込めて言葉を絞り出す。

「戦争に行くんでさァ、俺」

刹那。
そっぽ向いた神楽の顔が泣きそうに歪んだ。
おいおい。
自分で知らないふりをしといて、傷ついたような顔すんなや。
俺が悪者みてぇじゃねぇか。
馬鹿なのか、こいつ。
それでも、そんな神楽でさえも堪らなく可愛いと思ってしまう自分はこいつ以上の大馬鹿者なのだろう。

「明日から旅立ってきやす」

おどけて敬礼なんてしてみても、唇を噛み締めたまま地面を睨んでいた神楽は顔さえ上げない。
泣き出してしまうのだろうか。
心中、総悟は少し焦った。
女に泣かれるのは苦手だ。
特にこいつの涙なんて見た暁にはまるで大罪人になった気さえするのだろう。
神楽の表情は伺えない。
が、ぽつりぽつりとその口が動く。

「いつ帰ってくるアルか」
「わかんね」
「生きて帰ってこれるアルか」

もう一度、総悟は小さく首を振るった。

「…わかんね」

それ以上神楽は何も言わなかった。

「俺に生きて帰ってきて欲しいのか」
「別に」

とうとう神楽が顔を上げる。
憎まれ口はいつものこと。

「お前に死なれると寝覚めが悪いと思っただけネ」

精一杯に尖らした唇で、精一杯な嘘を吐く。
この間から気を弛めると溢れそうになる涙の理由は知らない。
それもそのはずだ。
私が一生懸命、その理由に気付かぬふりをしているから。
立ち話もなんだからと近くのベンチに腰掛けた総悟に倣う気もしなくて、神楽は傘を差したまま立ち尽くしていた。
特に総悟に目をくれようともせず、今この時間が何の為に存在するかわかっているようだった。
わかっていながら神楽は此処に来た。
例え、決別の言葉を告げられようとも、彼の遺言を必死に受け止めようとしているようで。
そのことが、素直に総悟は嬉しかった。

「ま、おめーには何かと世話んなったし、もし生きて帰ったらまた相手してやらねぇこともねぇが、とりあえずこれがおめーとの縁の区切りだと思ってな。らしくもなく別れの言葉なんてのを述べさせてもらうことにしまさァ」

彼の言葉の先は予想済みだと言わんばかりに、神楽は無表情だった。
無表情のまま神楽はこちらを見やった。
どんなに誤魔化そうとしても誤魔化せない彼女の真っ直ぐな瞳が突き刺さる。
暫し互いに見つめ合った。
やがて口を開いたのは総悟だった。

「達者でやれよ、チャイナ娘」

総悟は神楽に向かってまっすぐと手を差し伸べた。
その手を握ってしまえば、本当に終わってしまう気がした。
もちろん、それが総悟の出した結論である以上、従わないわけにはいかない。
ゆっくりと神楽は彼の手を握ろうと腕を動かした。
わかっている。
どうしてもごねるこの気持ちは只のわがままなのだ。
それでも。

「……」

その悲鳴を神楽はもう無視出来なかった。
どうすることが正しいかなんて、私には――。

「なんて、言うと思ったかクソチャイナ」

突然に総悟が声音が変わった。
神楽の延ばしかけた手が止まる。
とうとう顔をあげてしまった。
相変わらず、気持ちの内を読むこと許してくれない凛とした顔が少しだけ崩れて、呆れたような顔を作った。

「てかさ、おめーは役所から許可されてる天人の滞在期間っていつまでか知ってるか」

急な話題転換に、神楽の思考が追いつかなかった。

「は…?」

情けない乾いた声がの端から漏れる。
だろうなと呟いて、総悟が足を組み替えた。

「実はてめぇの滞在ビザは今日切れちまったんでィ。暫くすると、役所のやつが強制送還させに来るだろうな」

総悟の言葉を理解するのに時間は掛からなかった。
少女の真っ赤な目が、みるみるうちに大きく見開かれる。

「ど、どうしたらいいアルか!」

恐らくこいつのことだから、何も知らないだろうことは知っていた。
永久に地球に留まれるとでも思っていたに違いない。
慌てふためく神楽に総悟が人差し指を突き出した。
そうしてさも当たり前かのように言い放った。

「選択肢は1つ、おめぇが俺と結婚したらいいんでィ」

暫くの沈黙のあと。
神楽は思いっきり顔を歪ませる。
それはもう、すがすがしいくらいに。

「お前、ついに狂ったアルか」

完全に蔑んだ目で総悟に目を向けた。

「馬鹿言え、めちゃくちゃしっかりしてらァ」

飄々とした真顔で総悟は大真面目に答えた。

「地球に天人が永久滞在できる例外っつのが、公務員と籍入ちまうことでィ。国の奉仕者とみなされて、地球人同等の扱いになるんでさァ」

税金の義務はもちろんだが、保険や選挙の権利、その他諸々の手当てなんてのも支給されちゃうわけだ。
一生強制送還の恐れはない。
しかし。
神楽は目を閉ざして首を振った。

「今から死にに行くやつと結婚してどーすんだよ」

さすがの神楽にも抵抗はあった。
遺される者の悲しみは知っている。
もう二度と、味わいたくない。

「勝手に死ぬって決めつけんなよ」

もし彼女を娶らば、やすやす死んでやる気なんてこれぽっちもない。

「なんとしてでも生きて帰らなきゃならねぇ理由があるほうが俺としても好都合でィ」

きっと優しい男なら、こんなことは言わない。
自分は所詮、ださくて、へたれで、自分勝手な男だ。
神楽の逃げ道をなくして、勝算ほぼ100%の賭けである。
やがて、さぞかし呆れた顔を作ったまま神楽が深い深いため息をついた。

「オマエこういうのなんていうか知ってるアルか」
「知ってるさ」

卑怯というのだ。
もしくは脅迫。
しかし、不服そうに神楽は頬を膨らませたまま恥ずかしげもなく言い切った。

「プロポーズっていうんだヨ」

意外性に不意をつかれて総悟は目を瞬いた。
そうして思わず、噴出してしまう。

「ちげぇねぇ」

明日戦にいく人とは思えない穏やかな笑顔だった。
夕闇が今日の終わりを告げる。
この世で一番情けく、この世で一番格好悪い、プロポーズ大作戦。



END.



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