次の日のことを、神楽はあまり覚えていなかった。
病院側から、一日だけの退院を許してもらって、銀時に連れられて屯所へ向かった。
医者からはまだ絶対安静を言われたが、昨日あんなことをした体がまだ休養を求めているとは到底思えなかった。
病院を出る前、眼に痛い真白な包帯はマフラーで隠して、神楽は鏡の前で笑って見せた。
あれだけ死のうと思っていた気持ちはもうない。
生きたいと。
彼の分までちゃんと生きたいと、溢れそうになる涙を唇を噛み締めて堪えた。
屯所へは、大勢の人が見送りに来ていた。
行ってこいと歯を食いしばって大声を上げる者、思わずその場に泣き崩れてしまう者。
あれは家族だろうか。

「チャイナ」

ふと、神楽を彼の声が呼び止めた。
いつもの黒い制服の腕には、難しい漢字が並んだ腕章が捲かれていた。

「もう退院できたのかィ」
「病院側の計らいで見送りだけでも行って来いっつってもらえたんだよ」

神楽の代わりに銀時が答えた。
そして神楽には聞こえないように声を潜める。

「今朝迎えに行ったら首よりも腰が痛いっつって大騒ぎだ。ったく優しくしてやれっつったろ、こいつまだガキなんだからさ。頼むよ、総一郎君」
「まぁ昨日かれこれ五回はいきやしたからねェ、無理はねぇなァ」
「ちょっと止めてくんない?生々しいから止めてくんない?」
「何の話してるアルか」

冷ややかな眼で神楽が二人を睨んでいた。
こんな当たり前のような日常。
どれも全部覚えていたかった。

「総悟、そろそろだ」

その時。
土方の声が、彼を呼んだ。

「へいへい。今行きまさァ」

相変わらず軽い返事を返す。
ドクンと一つ大きく鼓動が跳ねるのを、神楽は感じていた。

「もう、行くアルか」

小さな拳を胸元で握り締めて、神楽が今にも泣きそうな顔で総悟を見上げた。
泣かないと決めたのに。
いかんせん涙腺が弱くて困ってしまう。
大きな総悟の手が神楽の頭を撫でた。

「違ぇよ、出発前の儀式だ。いつの時代もご老人っつのはまどろっこしいもんが好きなんでさァ」

彼らの魂が、ちゃんとこの場に戻ってこれるように。
一人の年老いた祈祷師が見送らせてくれと名乗り出た。
特攻に行けば彼らの骨は、此処へは戻ってこない。
墓に残せるのは遺品だけということになる。

「ちょっと待てヨ」

そう言って神楽は今朝結ったばかりの髪を解いた。
さらりと音がして滑らかな彼女の髪がその背中に流れる。
髪を結ってた紐を引きちぎり、一本の紐にした。
そして総悟の腕をとった。

「御守り。オマエが、苦しまずに死ねるように」

どうせ死ぬのなら、痛みは与えないで。
それだけの願いを込めて、神楽は俯いたまま彼の腕にその紐を結んだ。
きゅっと。
出来るだけ強く結んだ。

「そんな願われ方したの、初めてだな」

総悟は笑った。
偽りでなく、素直にその気持ちが嬉しかった。
生きて帰ってこいと言われるよりも、成仏できるようにと祈られるよりも。

「こいつが効いたか効かなかったかは、いつかてめぇが俺と同じ世界に来たときにでも聞かせてやらァ」
「そんな報告いらないネ」

べっと神楽が舌をだした。
じゃあと総悟は背を向けた。
儀式の準備へ駆けて行く。
その後姿をじっと見つめながら、神楽は大きく息をした。

「大丈夫か」

銀時が声をかけてくれる。

「平気ヨ」

だから頷いて笑って見せた。
儀式での、総悟の姿は普段の総悟とはかけ離れたものを感じさせた。
こんなにも彼は頼もしかったっけ。
神楽は胸が締め付けられて、黙ったまま銀時の袖を握り締めた。
総悟は自分の知らない作法を相手に無礼なくやり遂げた。
数人の部下の隊長として、その姿はさまになっていた。

儀式は滞りなく終わって、気がつけば昼下がりだった。
残すところ、後は本当に見送るだけとなった。
沢山の人だかりが出来て、その中からは叫び声にも似た泣き声が聞こえた。
その中で、神楽は総悟の元へ行くことは出来なかった。
それは彼が隊長であったから。
いつもは被ることの無い帽子を被って、そして白い手袋をはめながら辺りを見渡している。
そして愛するものとの決別を惜しむ部下の元へ出向いて、その家族に、頭を下げていた。
そんな総悟を神楽はただ見つめているだけだった。
駆け出したい衝動を必死に堪えて、それでも駆け出すことのならない現実を受け止めているようだった。
やがて、列が作られ初めた。
一番前に、彼がいる。
これが最期の総悟の姿だった。
ちらりと一度、総悟は神楽と眼を合わせた。
真っ直ぐな瞳がこちらを見据える。
隊を外れて一歩、二歩。
彼の足が神楽に近づいた。
そして神楽の唇に、そっと己の唇で触れた。
それは本当に一瞬だけのもので、けれども何より暖かかった。

「またな、クソガキ」

そんないつもの憎まれ口に、

「またな、税金泥棒」

同じ憎まれ口で返してやった。



彼との会話はこれで最期。
飛び切りの笑顔を見せて、そして、泣かなかった。
それから三日後。
一番隊全員の殉職通知が真撰組の屯所に届けられた。
もちろん、彼も例外なんかではなく。







桜が咲いた。
戦の影は、もう息を潜めていた。
地球には、今度は占領とか忌々しい言葉ではなく、ただの親睦としてまた多くの天人がやってきた。
特攻の痛手が、響いたらしい。
彼が前に言っていた【夜兎狩り】。
一度は巷に広がった言葉だったが、何事もなくそんな言葉はもう時代から忘れられていた。
彼を失った傷はまだ癒えきらない、そんな春だった。

「じゃあいってくるヨ」

いつものように総悟の墓へ行こうと玄関先から神楽の声が万事屋に響いた。
傘を片手に引き戸を開けようとした時。

「あーちょ待て、俺も行く」

いつものようにソファーから聞こえるいってらっしゃいの言葉とは違う言葉が神楽の足を止めた。

「珍しいアルな、銀ちゃんが出向くなんて。寝ぼけてるアルか」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺だってこう見えて約束は護る男だ」
「約束って何の約束あるか」
「バッ、おま、無粋に男と男の約束に首突っ込んでくるんじゃねぇよ」

春の日差しは暖かい。
大き目のワンピースに身を纏った少女は、自分のお腹を庇うようにして、ゆっくりと階段を下りていた。
神楽のお腹に眠っている、小さな命。
紛れもなく彼の子だ。
その小さな命が神楽の中で脈を打っているのだと思うと、幸せな気分になった。

「お前がそんな体じゃ原チャリにも乗れやしねぇ」

そんな文句を垂れるくせに、誰よりも彼が神楽を心配してくれているということを彼女はよく知っていた。
だから冗談めかして返してやる。

「別に私はゆっくり歩いて行くからいいアルよ、銀ちゃんバイクで行けば」
「おう、そうしてぇのは山々なんだがな、生憎原チャリパンクしちまっててよォ、仕方ねぇから歩いて行ってやらんこともないよ?いや銀さんは原チャリで行きたいんだけどね?」
「もういいヨ、何ででも何処へでも行けヨ」

会話が面倒くさくなって投げやりに神楽が答えた。
銀時の並んで歩くのは久しぶりでも何でもない。
ここへ来た頃からそれが当たり前だったが、ひとつ、あの人と過ごしてきて後悔したことは、一緒に歩いた道がないということ。
まぁ、それはいいか。
――またな、クソガキ。
今度会えた時にでも、ゆっくりと歩こう。
御守りの効果は、聞きたくないが。
ちゃんと効いただろか。
苦しまずに、死ねただろうか。

「銀ちゃん」
「あ?」
「私は【神楽】ネ」

唐突に、唐突なことを神楽は言い出した。

「んなこたァ知ってるよ」

こんなとき銀時は、からかわずに話を聞いてくれる。
そのことに安心して、神楽が続けた。

「でも私は、【チャイナ】だったヨ」

そんな名前は、総悟しか呼ばない。
神楽と呼んでくれたのは後にも先にも一度だけ。

――おい、神楽。

羽根も無いのに飛ぼうとした神楽をこの世に留めた呪文。
桜並木を抜け、向かった先の墓標。
殉職した隊士達が集まるところだった。
その中で神楽は真っ直ぐと彼の名が刻まれた墓石に向かった。
毎日彼女が此処へ訪れるせいか、墓は汚れることを知らない。
神楽は総悟の名を指先でそっとなぞり、泣きそうに顔を歪めて笑った。

「私は一度だってあいつを名前で呼ばなかったアル」

桜がざわっと揺れた。
銀時は足元に落ちていた桜の枝を拾い上げる。
それを彼の墓の前に供えた。
いつだったか、一緒に入れて欲しいものは桜だといった総悟との約束を果たしに来た。

「別にいいんじゃねぇの。名前なんて呼ばなくても、伝わるもんはあるんだしよ。少なくともお前らは、名前以上にもっと大事な何かを交わしあったろ」

神楽と初めて出会ったと言った桜の下。
今度はその下に二つの命が呼応していた。

「産まれてくるガキの名前をあいつの分もいっぱい呼べばいいだろ」

そう言われて神楽がそっと己のお腹に触れてみた。
幸せが伝わって、笑みが零れる。

「うん」

立ち上がって、神楽は総悟の前で、手を二回ぱんぱんとあわせた。
神社じゃねぇと銀時に怒られたが構いやしない。

「どうか、この子を」

産まれて来る、貴方と私の子供を。

「ずっとずっと、護ってやってください」

これが貴方を失う代わりに得たものだというのなら、私は一生をかけて護ってみせるから。



END.



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