上忍になって間もない時、一度だけ凌辱されたことがある。
まだ女である自分の身を護る術は誰からも教わらなかった。
あれだけ修練を積んだ身体はたった一人の男によって弄ばれ、その男の前でサクラはただの非力な子どもと変わらなかった。
えも言えぬ恐怖に襲われて、抗い、泣き叫び、けれどもそんな可愛い抵抗は無機質な空気に押し殺される。

絶望の中、サクラは知った。
この世の中を、いや忍びの世を生きていく上で女であることがどれだけ不利であるかということを。
そしてその反対に、女がどれだけ男を狂わせるのかということも。

暗い静かな森の奥で。
獣に犯されながらサクラの眼はなぜか満天の夜空に浮かぶ朧月の美しさに見とれていた。

――なんて、きれいな、月。

翡翠色した彼女の眼からは音もなく一筋の涙が零れた。



dearly



親愛なる貴方へ



どうか私だけは好きにならないで――。



昨日までの雨と打って変って、からっと晴れた祝日の午後。
明日は里で行われる年に一度の感謝祭のため、どこを見渡してもこぞって店を閉めその準備に取り掛かっているようだった。
人通りはいつもの半分なのに、いつもの倍感じられる活気はそのためだろう。
サスケの足は砂利を蹴りながら、火の国一大きな病院の前に着いた。
感謝際だからといって休むことのできない年中無休の店の中には、今日も慌ただしげな人の影が映る。
太陽が反射している窓ガラスを眩しそうに見つめ、サスケは深い深いため息をついた。
重たい足取りで病院の中に踏み込む。
怪我以外で、もっと言うならお見舞い以外で人に会いに来るのはこれで何度目であろうか。
サスケの悩みの種は、いつだって此処にいる。
幼馴染であり、今はサスケの部下である――。

「春野サクラ、呼んでくれるか」

受付の看護師ももう馴染みだ。
玄関口にサスケが見えると院内電話の受話器をさっと取ってくれる。
言われたとおりにサクラのピッチにコールする。
プープーという発信音のすぐ後に、

『はい!春野です』

相変わらずの調子でサクラが元気に応答する声が受話器越しに聞こえた。

「サクラ先生、受付にサスケさんがお見えです」
『げっ!』

明らかに下がったテンション。
思い切り眉を寄せた口のへの字に曲げたサクラの顔が容易に想像がつく。

『い、今手術中で出れないって言って』

このやろう。
俺を騙そうとするなんていい度胸だ。

受付看護師の電話をサスケが引っ手繰る。

「ご精が出ますね、サクラ先生」
『サ、サスケくん』

驚いてサクラの声がひっくり返った。

「今すぐ受付にこい。今なら二十枚の始末書を四十枚にされたいか」
『わ、わかった行くから!すぐ行くから、その話ならアカデミーの屋上にして』

さすがに此処はサクラにとって大事な職場だ。
失わせたくない彼女の居場所。
此処にいるときだけ、穢れの知らぬ聖職者になれる。

「わかってる。ここではしない」

そんなところをサクラから奪うなんてサスケだってしたくない。
受話器の奥でほっとしたサクラの息が聞こえた。

『ありがとう』

それだけ呟いて、互いに受話器を切った。

「悪かったな、仕事の邪魔して」

ぶっきらぼうに受付看護師に受話器を返し、サスケは病院の外へ出た。
太陽の日差しが降り注ぐ戸外で彼の姿は一瞬で陽炎のように消えてなくなる。
次に姿を現したのは、一切の陰りのないアカデミーの屋上。
意外にも、白衣を着たサクラのほうが早くこの場所に移っていた。
屋上の片隅にある、誰のために置かれたものか知らないベンチの上で小さく身体を抱きかかえるようにしてサクラはこちらを見上げる。
眉間に皺が寄りまくっているサスケの表情は穏やかなものではなかった。
が、特に怒りに満ちている様でもない。
サスケは深くため息をついた。
彼は決して怒鳴り散らさない。
ため息をつくことで、誰に向けられたのか知れないその怒りをすべて吐き出す。
そして穏やかな口調で続けた。

「お前、またやったらしいな」

身を小さくしているサクラの隣にドカッと腰掛ける。
目を合わせることもせず、さらっとサクラが答える。

「ただの手段よ?別に好色なわけじゃないわ」

どこか笑いだしそうな軽い返答。

「その手段が駄目なんだろう。それがナルトが決めた掟だ」

数年前。
ナルトが火の遺志を継ぎ、火影になった時。
里にはいくつかの悪しき風習がいまだに残っていた。
奴隷同然の制度だったり、人身売買。
今まで皆が見て見ぬふりをしてきたこと。
その中に、くノ一をまるで娼婦として扱うことがあった。
戦いの場においては敵の陣地に潜りこみ、必要とあれば身体を差し出した。
また情報収集の際においても、身体を売ること求められる時もあった。
さらに一昔前では、くノ一は下忍の頃から男の悦ばせ方を教えられた時代もあったという。
それらの慣習に終止符を打ったのは他ならぬナルトであった。
彼は、くノ一の最大の武器を掟として縛った。

「ナルトもサスケくんも知らないのよ。くノ一が戦いの場において、誰よりも有利で誰よりも不利であること」

私は知ってる。
嫌というほど身体が覚えている。

「それに今回の極秘任務に関しての情報収集は私に全て任すって言ったのサスケ君じゃない」

頬杖をつき、にっこりとサクラがサスケの顔を覗き込む。
確かに言った。
掟を守らず、女の武器を存分に振りかざしているサクラだが、暗部に抜擢されただけあって、腕は確かだ。
サスケが今は部隊長を努めているが、そんなサスケの右腕でもある。
幻術や医療忍術がずば抜けて長けていることもあるが、子どものときから明晰な頭脳で今では暗部にいなくてはならぬ存在である。

今回の極秘任務は火影であるナルトと、その周りの一部しか知らない。
内容は数日前火影殺人予告をした犯人の捜索と里の安全確保。
無論ナルトから絶大な信頼を得ているサスケは火影たっての依頼だといっても過言ではない。
その任務完遂のサポート役として、サスケは迷うことなくサクラを選んだ。
それが間違っていたとは毛頭思ってはいないが、自分たちの行動がナルトの耳に入りやすい今の状況を考えると、さすがのサクラも色仕掛けを使わないだろう と思っていた矢先のことであった。
どうやら昨晩サクラが床を共にした男は相当な酒好きで自身が女遊びでお金を使い果たしたことなんてさっぱり忘れて、サクラが全て巻き上げたと勘違いしたのか、大声で叫びながら夜の歓楽街を千鳥足で徘徊していたらしい。
すぐに警察に取り押さえられたそうなのだが、ピンク色の髪をしただの白い肌をしただの喚く男の言葉に心当たりのあったナルトがひとまず事をもみ消した。
そして今朝。
部隊の責任者でもあるサスケが、今にも噴火しそうな火影に呼び出されたかと思えば、そんなこと。
こってりと絞られた上に、これでもかというほど始末書を出された。
提出期限は明日まで。
思い出しただけでため息が零れる。

思ってみれば、ナルトにとってサクラは初恋の人。
そんなことをしているだなんて微塵も疑っていなかっただろうからショックに決まっている。

「確かにそれは今も変えるつもりはねぇよ。ただナルトの耳に入らねぇよう穏便にすることと、あと闇雲に仕掛けたって無駄骨だっつってんだ」
「何が無駄骨だって?」

サクラの割と形のいい唇がつりあがり、細い指が一通の封筒を弾き飛ばした。

「昨日の男から聞き出した情報。そこに線の濃い集団のアジトが記されてるわ」

サスケが封筒を破り中の紙を取り出した。
確かに、そこには住所が書かれてある。
やや乱暴な字だが、その乱暴さが逆に真に迫る。
隣のサクラがすくっと立ち上がった。

「私、ただじゃ誰とも寝ないから」

語尾にハートマークでも付きそうな甘い声。
お手柄であったことは確かなようだが、どこか腑に落ちないのは、時折見せるサクラの泣きそうな顔だ。

「あ、でもサスケ君なら別よ?私はいつだって心の準備できてるんだからね」

そうやって。
笑って見せるのは、冗談か誤魔化しか。
やりきれない思いを抱え、サスケは立ち上がった。
相変わらず自分のことを好きだという彼女の頭にどさっと始末書の束を乗せた。

「手柄にせよガセネタにせよ明日までに仕上げとけよ」

正直これ以上、サクラと目を合わすのは心が疼いた。
それがどんな感情なのかわからない。
彼女は笑う。
身体を売って仕入れた情報も、こなした任務も、さも当たり前かのように。
何度、醜い男に穢され、よがるサクラの姿を想像したか。
その度に胸がざわつく。
悲しみなのか怒りなのか。
愛しさなのか切なさなのか。
どちらにせよたちが悪くて、答えを探すよりも見ぬふりを決めた。

――サクラはサクラなりに任務を完遂しているだけ。

そんなことに私情を含ませたくなかった。

サクラは変わった。
その根本は幼き頃から同じだが、昔よりもずっと、子どもみたいになった。
幼少のころは、正義感が強くて、大人ぶって、でも泣き虫で、馬鹿みたいに自分を好きだと言って。
今はどうだろう。
よく笑う、よく拗ねる、よく怒る、欲望のまま生きているように。
子どもの本能のように。
その内側に抱えた秘め事には誰にも触れさせないように、気がつけばサクラは、女として一番賢い世の中の渡り方を覚えていた。

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