炎天下の中、子供たちの修行に付き合う度に昔に比べて体力が落ちたと自覚していたナルトは休憩を告げると共にいち早く水にありつきたかった。持ってきていた大容量の水筒を手にすると、一気に空になってしまいそうなほど勢いよくその中身を飲み干していく。枯渇した喉に水が浸透していく一瞬は至福の時だ。
そんなナルトと同じように水で喉を潤したサスケは息一つ上がっていないようだった。相変わらず淡白な奴だと思ったが、夢中になって喉を鳴らすナルトを止めるほどのことでもなかった。その顔をがこちらを見やるのが視界の端に映ったたしても、今は構うことはない。その口が、何を発しようとも今は反応できそうにない。

「お前、サクラを好きになったきっかけって何だ」

ナルトが口に含んだ水をぶち撒けるには十分だった。
器官や鼻に逆流し、酷く息苦しい。激しく咳き込んだナルトはまさか飲んでいた水に溺れる日が来るなんて思っても居なかった。

「うわ、おやじ汚ねぇってばさ」

父と同じく水を飲みに駆け出きたボルトは不快そうに眉を寄せた。

「お前なんで急にそんなこと…」
「急なんかじゃないですよ、パパずっと気にしてたもんね」

遅れてやって来たサラダは、汗を拭いながら淡々と痛いところをついてくる。サスケの手から水筒を受け取ると、ごくごくっと水を飲み干した。

「ママが意外とモテるから、パパ気が気じゃないんです」

微かに笑ったサラダは肩を竦めた。
子供らしからぬ物言いに、妙な関心を憶えつつ、ナルトがサスケに向き直る。

「サクラちゃんとなんかあったのか」
「毎年この時期になると、ハガキが届くんです、男の人から」

サスケが答えるより先にサラダがすかさず口を開く。口下手な父のことだ。詮索されるときっと、素直に答えない。ずっと澱む胸の内を明かすことが出来なくなる。かといってこれ以上の助け舟を出すと意固地になって臍を曲げることも十分に知っていた。我が父ながら面倒臭い男だと思う。

「ボルト、もうちょっと体術付き合って」
「えーしばらく休ませろよ」
「いいから早く」

サラダは空気の読めそうもない幼馴染の手を引いて、退散することにする。
父が母のことで取り乱す姿は未だ嘗て見たことないが、よもや悪友に話を投げるほど参っていたことは意外だった。
サラダがボルトを連れ出したことに何となくナルトは安心した。もう過ぎた話と言えど、かつての想い人の話を振られるなど、何か悪いことをしたかのように心臓が嫌な跳ね方をした。

「まぁ、でもよ、お前でも嫉妬するんだな」
「そんなんじゃない。ただ、あいつは誰にでも愛想がいいから思わせぶりな態度で相手をその気にさせてたら悪いだろう」

ナルトの感覚からして、そう思うことが既に相手への敵意の表れだ。差出人の男を突き止めて言ってやるのだろうか、妻が勘違いをさせて悪かったと。少なくともそれは独占欲の塊であることをこの朴念仁は気付いているのだろうか。

「サクラちゃんを好きになったきっかけねぇ、サクラちゃんって表情が素直だろ。だからかなぁ、サクラちゃんの見せる顔全部俺のものになれば良いのにって思ったことはあったな」

言いながら、ナルトは淡い初恋を思い出していた。決して消えることのない、今のナルトを構成する上で大事な大事な思い出だ。それは叶うことはなかったけれど、だからこそ命をかけて護りたい人が出来た、今の幸せがある。そう言っても過言ではない。

「俺はあいつを特別だと思ったきっかけがわからない。だから他の奴があいつの何に惹かれるか知りたかった」

時が流れると共に、季節の移ろいと共にサクラがサスケの中で特別になったのは自然のことだった。自然の流れでサクラと結ばれた。
俺以外の奴は彼女の何を見るのだろう。ましてや毎年欠かさず文をしたためるほどの魅力はサクラの何処からやってくるのだろう。

「知ってどうすんだ?その全てをサクラちゃんから奪うのか」

他の男を誑かさないようとその口を塞いで、目隠しをして、両手足の自由を奪って俺の目しか触れない処に置くのだと悪びれなく答えられたらどれだけ良いか。
そんなこと出来るはずもなく、けれども、毎年あの文を読むサクラの顔が僅かにほころぶのを見るとそうしてしまいたい衝動に駆られる。
自分の中に眠る獣に気付いては知らぬふりをした。

「それにもし、サクラちゃんが思わせぶりな態度をとったわけじゃなかったらどうすんだよ」
「どういうことだ」
「本気だってことだよ。毎年ハガキのやりとりしてんだろ。女はそういうマメさ に弱いんだってばよ」
「話にならん。そんな女々しい男をサクラが好きになるわけないだろう」
「わかんねぇよ。だってサクラちゃん、俺じゃなくてお前選んだんだぞ。男見る目があるとは思えねぇな」

楽観的に答えたナルトにサスケは押し黙った。
確かに其処は否め無い。俺なんかよりもナルトのほうがずっとサクラを大事にしただろうことは誰が見ても明らかなのに、それでも俺を選んだサクラの胸中が未だに信じられ無いところはあった。

「そんなに気になるならサクラちゃんに聞いてみたらいいじゃねぇか」
「もし本気だと言われたらどうする」

ナルトは目を丸くしてサスケを見た。
つい十秒前、自分が言ったことはただの冗談だ。サクラが本気だどうのということは。それをサスケも分かっているものだと思っていた。
地面を睨みつける彼の横顔は完全に余裕を無くしていた。症状が末期まで進んでいることを知る。
断言する。彼女がサスケ以外に心惹かれる事など、ない。絶対にだ。文字のやりとりごときで彼女が落ちるなら、遠の昔に俺が落としている。今ナルトの中からあれほどの強烈な想いが風化してしまったのも、ひとえにサクラが微動だにして靡かなかったからだ。どんな美味い料理も、どんな高価な宝石も、どんな愛の言葉だって、サスケに叶う事などなかった。
だからこそ此処まで未練もなくサクラを諦められたのだと今となっては彼女の想いの強さには感謝しかない。それをこの当事者は知らない。ここまで来ると、滑稽でしか無かった。面白いことになりそうだと思わずにいられない。
ナルトに眠る悪戯心が久しぶりに顔を出す。

「そうなりゃお前、其処は引くところだろ。今まで散々サクラちゃんを振り回してんだ。サクラちゃんが幸せになるならそれが一番だってばよ」

知ったかぶって得意げに言ったナルトにサスケは眉を寄せた。
そんな事、今更お前に言われなくても分かっている。俺がどれだけサクラを苦しめた事くらい自分が一番よくわかっているのだ。そうだとも、その引け目を差し引いたとしても、彼女を誰かに渡すなど、そんな真似が出来るはずない。其処に理由なんてない。ただ、嫌だ。

「サクラに悉く相手にされてなかったお前に聞いた俺が間違ってた」

もとよりナルトが真面目に話を聞き、身になる助言をしてくるはずもない。人の不幸は蜜の味と言わんばかりの嬉々とした声からして、彼に何を話しても無駄なのである。

「なんだと?」

仕返しとばかりのサスケの挑発に木の葉の火影は安安と乗った。

「ビビってサクラちゃんに本当のこと聞けねぇからって俺に当たるなよ」

とうとうサスケがナルトに顔を向けた。その蒼色と目が合うと、互いに交わす言葉はない。

鈍った身体を解すには、申し分のない相手だ。

「おい、サラダ!見ろ!」

地面が唸る衝撃に、気だるそうにサラダの組手に付き合っていたボルトが彼女の後方を指差して声を荒げた。
それを見て、振り返った娘は心底呆れることになる。








同じ口調で同じ台詞を同じ顔に言われる既視感にサスケはもう黙って聞き入れるしかなかった。成る程、娘はよく母親を見ているものだなと他人事のようにそんなことを思った。

「ナルトもナルトよ、ったく、本当にいつまでたっても子どもなんだから」

違ったのは、仮にも火影を母親のごとく叱責できるのは、この里には彼女しかいないということ。
呆れたのか怒っているのか、少し口を尖らせたサクラはサスケの隣に並んで腰掛け、負傷した腕を治癒していく。
まさか娘の修行に共に出掛け、娘よりも怪我をして帰ってくるなど思わなかっただろう。

「はい、お終い。あとはどこ?」

チョウチョウに借りていた本返しに行かなきゃと、帰ってきて早々出て行ったサラダは恐らく気を遣ってのことだと思う。二人で話せと暗に言われてる。黙りこくったサスケにサクラは怪訝そうに覗き込んだ。

「まだどっか痛む?」
「いや」

サスケは小さく首を振った。

「お前、あのハガキは誰からだ」

唐突過ぎただろうか。しかし、それ以外にこの話題の触れ方がわからない。口下手な方なのだ、今に始まった事ではないが。

「あのハガキ?」

やはり心当たりのないサクラは宙を睨んだ。

「毎年来るだろう。お前がいつも嬉しそうに読んでるやつ」

その台詞に嫌味を乗せたことに彼女は気付いただろうか。
ああ、と手を打つサクラは記憶を振り返り、彼の言うハガキを思い出した。

「誰からって…サスケくんの知らない人よ」

心配しなくてもあなた宛じゃ無いわと笑ったサクラはやっぱり鈍い。誰がそんな事を気にしているというのだ。

「だから誰だ」

あまり感情を表に出さない彼の不機嫌そうな声に、何か気に触る事言ったかしらとサクラは口を噤んだが、差出人が誰かと詮索されるほど、その相手はサクラにとって気に留めるような人でもない。

「えっと、昔治療したことのある患者さん」
「患者と医療忍者は個人的に手紙をやりとりするほど親しくなるのか」
「んー。その時に好意を持ってくれてたみたいなの。もちろんちゃんとお断りしたんだけど、気が向いた時だけでいいから、手紙のやりとりをして欲しいって言われて、今も何となく続いてるだけよ」

隠すことはしなかった。やましいことがあるわけでは断じてないし、彼の言うとおり、只の患者と医者であるならば普通手紙のやりとりなんてしないからだ。やりとりと言っても年に一度この時期にだけ来る他愛ないハガキに同じく他愛ない返事を出すだけだ。
ただ、それが彼の目に「嬉しそう」と映ってしまったのは、あながち間違いではない事は伏せておいた。どうしても思い出してしまうのだ。あの恋文を貰った時、自分がいかにサスケしか好きになれないか確信した瞬間を。他の誰かが代わりになるわけがない。やはり、私には彼しかいないと思った。何処から湧いてくるかわからないあの高揚感は未だ忘れることはない。
サクラは腰を上げ、しまい込んだそれを自室に取りに行った。この間整理したばかりの引き出しを漁り、例の物を見つけ出す。
居間に戻ると相変わらずの仏頂面がいつもに増して鋭い眼差しをサクラに向けた。怯むことなくサクラは手にしたハガキを彼の顔の前に差し出した。

「ほら、ね。本当にただの暑中見舞いよ」

言われたサスケはその文面に目を走らせる。無地のキャンパスには物足りない文字の少なさで、彼女の体調を気遣う言葉と、自身の近況報告が記されているだけだった。
サスケが気に食わなかった彼女の嬉しそうな顔を引き出す言葉はそれの何処を見ても載っていない。

「もしかしてサスケ君、ずっと気にしていたの?」

色恋に無頓着なこの男がまさか気に留めてるとは思ってもみなかった。彼の隣に腰掛けて、サクラは尋ねた。サスケの太腿にそっと手を置いて、何が嬉しいのか上目遣いなんてして見せる。そのあざとさは一体何処で覚えてくるのだろう。
サスケは大人しくハガキを彼女に返した。

「そんなんじゃない」

今更否定だなんて、彼女の前で何の意味もないことくらいわかっていた。

「そうよね、そんなんじゃないわよね」

彼の嘘に気付いて居ながらサクラ乗った。それならばもっと落胆するふりをしてくれ。口元が緩みっぱなしだ、さっきから。

「サスケくんが嫉妬なんてするわけないか。残念、残念」

全く残念そうにない彼女はぴたりと身をサスケに寄せて彼の肩に頭を擡げた。それが心地いい重みだと思ったことは口にしなかった。

「おい、そろそろサラダが帰ってくるぞ」
「いいじゃない。親が仲良しで何が悪いの?」

そう満面の笑顔で返されてしまうと、もう何も言えない。
彼女は表情が素直だと言った昼間のナルトの言葉を不意にサスケは思い出した。

「…嫉妬くらいする」

ぽつりと呟いた声はサクラには届いていない。
知っている。彼女が俺に見せない顔をナルトには見せることくらい。あいつの前では怒りもするし、泣きもする。何も取り繕わない彼女の顔は俺が真正面から見ることはない。それが彼女の考える彼女なりの強さなのだとしても、それならばサクラは弱いままでよかったのだと思ってしまうのだ。俺しか頼るものが居なくて、守ってやらねば死んでしまうかもしれないと錯覚させてくれればいい。そうすれば、サクラの全てを自分のものにしてしまえるのにと、望んでしまうのは必然だ。
サスケは何処までも機嫌がいいサクラを一瞥した。人の気も知らず鼻唄なんか歌い出す。彼女の名に違わない淡紅色の髪が流れる額。人より広いことを気にしていたのは昔の話で、その額に刻まれた菱形が何より彼女の強さを物語っているようでもあった。
サクラの全てが俺のものになればいい。
きっと、其れは叶わぬ願いだ。こいつを檻にでも閉じ込めようものなら、その報復は想像を絶する。そもそも彼女を前に檻の役割を果たせる檻があるだろうか巡らせてみても皆無に等しい。
ああ本当に、なんて女だ。
サスケは微かに笑った。

「あ、何?今サスケくん笑ったでしょう」

嘲笑されたと思い込んで頬を膨らませたサクラは頭を起こした。それでも、その表情は相変わらず緩みきっていて。
こちらを覗き込む彼女に顔を近付けたサスケは唇にそっと口付けを落とした。
当然のことながら、そんな不意打ちを交わせる女でもないし、気の利いた返しの出来る女でもない。一人の男を呆れるほど一途に想ってきた、恋愛には不自由してきた女なのだ。 硬直したままのサクラの顔はみるみるうちに薄桃色に変わっていく。

「仕返しだ」

その余裕な表情を崩したかったと言えば彼女は怒るだろうか。
サスケが目論んだ以上に動揺したサクラは、熱を持った頬を両手で押さえ込んだ。しつこくもまだ彼によって齎される熱で心臓が早鐘を打つ。

いつもだ。いつも最終的にはこうしてサスケの手の内で転がされているような気がしてならない。
それはきっと、私が彼と出会った時から決まっていたかのようで。

一生、私はこの人に敵いそうにない事を改めて思い知るのだった。





サイレントジェラシー




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