彼の指が私の肌を滑る度にあと何秒後に気が変わってしまうのかをカウントする。
まるで何処まで許されるのかを確かめるような、はたまた拒まれることを望んでいるかのような熱を受けて、私は気付かないふりをした。
私がいつか嫌がることを願いながら抱くのなら、はじめから手を出さなければよかったのに。

サスケの頬を両手で触れて、引き寄せたのはサクラからだった。そっと唇を重ねた事が起因して、彼の奥底に眠る欲望に火をつけた。
深く深く求めあうように舌を絡めると、もう互いに後戻り出来そうにないことを知る。
体躯が熱を帯び、互いの息遣いが鼓膜を震わせる。
貪るように何度も何度も唇を吸い合った。
彼が私に侵入してきたときの蕩けるような快感は、この人しか齎すことは出来ない。
いつもクールで、女には興味のない顔をしているくせに、汗だくになって私に興奮している彼をやっぱり愛しいと思ってしまった。
快楽に眉を寄せながらも、サクラの羞恥を誘うような台詞を耳元で囁かれるともっと激しく抱かれること望んだ。


欲に溺れるとはまさにこの事だと虚ろな意識で確信した。



【嘘と共に心中】



行為が終わると各々背を向けて眠りにつくのが当たり前だと思っていたサクラにとって、彼が自分を抱き竦めて入睡しようとしたことに、戸惑いを隠せなかった。

「意外」

心の声が音になってしまい、サクラは慌てて口を噤む。

「何が」

この距離で聞こえないわけもなかった言葉に、サスケは素っ気なく返答する。聞いて欲しい言葉は悉く届かないのに、余計な音だけ拾うその耳が憎らしい。

「やったら終わり、じゃなくて偉いなって」

何にせよ彼から密着するとこを許されると思ってなかったサクラはここぞとばかりにその胸に顔を埋めた。

「今までろくな男と付き合って来なかったんだな」

少し姉御風を吹かせて褒めてみると心底呆れたように返される。「付き合った」男なんて居ないと言おうものなら、今度こそ軽蔑されそうな気がしてサクラは嫌味をやり過ごすことにした。
貴方に抱かれた女の子はさぞ幸せだったんでしょうね、と浮かんだ台詞は飲み込んでしまうことに決めた。今この瞬間だけは私のサスケ君なのだ。他の女を想像して嫉妬する時間が勿体無い。
彼を背中ごとぎゅっと抱きしめて、サクラはうっとりと息を吐いた。普段獰猛な獣が私の腕の中だけで微睡んだとしても、こんな気持ちにもなるのだろうか。と、同時に、彼が私のだけの為に大人しくして居られるのはあとどれくらいだろうと疑問に思った。

「はかないわ」

どうしてもにやけてしまう唇が呟くと、何が、とまた代わり映えのしない問いかけがかえってくる。全くサスケらしいとでも表現しておこう。その答えに興味なんてない癖に、コミュニケーションの苦手な彼が彼なりに見つけた会話術のようなものだろう。

「タイムリミットよ」

だから例え私がそう答えたとしても、

「何が」

と、会話の巻き戻しが行われることは決まっているのだ。
魔法が解ける時間を気にするガラスの靴のお姫様のような心境だと言えば、笑われてしまうだろうか。それでも他にこの胸中を例えるものは見つかりそうもなく、辛うじてあるとするならばキッチンカウンターの隅に追いやられた砂時計をサクラは思い出していた。
十二時の鐘が鳴った時、砂が全部落ちた時、突然現実世界に引き戻されるのだろう。






死んでしまいそうなくらい幸せだと思ったあの時に、本当に死んでしまえばよかったのだ。

いつ戻ってくるとも、生きて帰還出来るともわからない戦争に彼が駆り出されるほど、里の情勢が深刻化するにつれて、そんなことを考えてしまう。
そんな時に夢のような資金提供の申し出なんかをするのはろくな奴じゃないことなど、馬鹿じゃない私はわかっていたのだ。
かつてない資金不足で陥落寸前の里を立て直せる手段を聞いた時、サクラはもうこれが潮時だと観念した。自分が婚姻届一枚にペンを走らせるだけで解決するだなんて、まるで救世主だ。今更結婚に対して夢も希望も持っていなかったことが唯一の救いだと言い聞かせ、澱みを齎したあの人の記憶からは目を背けた。
いつだったか、アカデミーの授業で女は好きな人と結婚してこそ幸せになれるのよと子供達に教えたことを思い出して苦笑するしかなかった。
でもきっとこれが最善策。もし、彼が生きて帰って来た時に、ちゃんと故郷が残っていればいいと願いながら選んだ答えだった。
あの時から、私は私に鍵を掛けた。まだ出てきてはいけないよ、という漠然とした約束を私が守り切れると信じたわけではなかったけれど。






古い文献が眠る書庫の誇り臭さはどうすることもできない。出来るだけ最小限の動きで本を選ぶことに務め、日焼けした紙のむせ返るような臭いには鼻を摘まむしかなかった。
窓から差し込む光に照らされた埃だけが、スターダストのような輝きを持つことを許された。
この部屋で書物を読み耽る時が唯一、サクラにとって意味ある人生だと言える。いつ死んでもいいと思っていたサクラがまだ死ぬのは惜しいと思える瞬間。
今日は何を読み返そうかと、ほんの少し心を躍らせ、部屋に足を踏み込んだ直後、まるで彼女の後を付けてきたかのようた続いた人の気配にサクラは振り返る。目が合った人物の意外さに数回瞬いて、呟いた。

「びっくりした」

驚かさないでよと抗議の意を込めて言ってみても、何食わぬ顔で彼はするりとサクラの隣をすり抜けた。真っ直ぐ部屋唯一の小窓に向かうと、黄色く日焼けしたカーテンを引いた。魔法が解けたスターダストは只の埃に戻ってサクラの器官に入り込む。
昼間だから真っ暗とまではいかないが、昼間にしては薄暗い空間が出来上がった。

「何?」

サクラは眉を寄せ、喉に覚えた違和感を咳で払拭した。

「お前と話しておきたいことがある。誰にも見られないのならそれに越したことがない」

サクラとは目を合わせる事をせず、サスケは窓枠に腰を掛けると、腕を組んだ。その右手は神経麻痺が残っているとは思えないほど、彼は自分の腕を器用に動かす。
サクラが火の国一の大名との婚姻関係をを結んだことで傾きかけた里は少しずつ立て直しつつあった。多額の資金援助で経済は回復に向かったが、戦に出た大半の忍が、復興に希望を見せた故郷の土を踏むことは二度となかった。
サスケが帰還したのは、戦の痛手が癒えきっていない、三年前だった。誰がその生還を信じていたというのだろうか。怪我を追い、直ぐに戻ってくることは出来なかったと、彼は言った。その時始めて、サクラはこの婚姻を結んで良かったと思えたのだった。
サスケはそれから彼自身が秘めた回復力で、僅か半年で暗部に復帰した。傷を負った腕の神経が戻る事はなかったけれど、それを補ってなお余りある実力は今やこの里になくてはならない戦力だった。
サクラはサスケが里に戻ってから、会話を交わすことはなかった。かつて同じ班で苦楽を共にしたことが嘘のように、疎遠になり過ぎた。結婚したことも、取り立てて言うことでもないと思っていたし、ナルトと違って聞き分けのいい彼から執拗にその理由を尋ねられることもなかった。
だから彼とこうして二人きりになるのは、会話の仕方を忘れるほど懐かしい。昔は、この人の目に映る自分がいつも可愛くいたかった。それでも今は、彼にとって憐れに映ることを望んだ。

「お前の亭主、歓楽街の女に入れ込んでるようだな」

予想もしなかった会話の始まりに、きっと鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていただろう。

「そうなの?この前は病院の看護師だったのに」

あの人に関しての質問であるならば、私は貴方の力になってあげらないと、本気で落胆する自分がいる。他人事だと思われるだろうか。でも他人事だとサクラは思っていた。

「お前はいいのか」
「執着されることに比べれば、願っても見ないことよ」

結婚して間も無い時はそれなりにサクラに妻としての振る舞いを求めることもあったのだが、やがて男もそれを期待することは無くなった。外に女を作り、妾に子どもを産ませるあの男からサクラへの興味が薄れたことはサクラにとって喜ばしいことだった。
男が望む時だけ大人しく抱かれる。それでも間違っても子を宿すことだけはないように、こっそりと避妊薬を服用する。そして子に恵まれないふりをした。
自分のしていることを冷酷だと罵ることもあった。そうだとも、この世に縁を残したくない。来世ではどうか自由が待っているように。好きな人と結ばれる世界であるように。
サスケの何かを探るかのような漆黒の瞳がサクラを見据えた。光の閉ざされたこの空間で、彼の瞳は只黒かった。吸い込まれてしまいそうな色に思わずサクラは息を飲み込んだ。形の良いサスケの唇が僅かに開いて、音を紡ぐ。

「お前の亭主は、どうやら木ノ葉を他国に売ろうと動いているようだ」

入れ込んでる女は暗部の偵察だと彼は続けた。
サクラは暫し瞬くと、一度サスケから視線を逸らした。そうして瞼を閉ざす。こんな時、回転の早い自分の頭が嫌になる。どういうことかと惚けることは出来そうにない。
長年接触のなかった彼がわざわざ人目のつかない所で、恐らく厳重機密事項を他でもないターゲットの妻に漏らした理由。
里を危険に脅かす者、その末路は嫌という程よく分かっている。かつて彼の家族が同じ罰を受けることになったからだ。

「いつなの」

そこまで確かな情報を手に入れたのであれば、暗部が直ぐに動くことをサクラは知っていた。凛とした声の真剣さが静かに空気を震わせた。

「今夜だ」

主語のないサクラの台詞にも、あの時のように何が、とは返さない。何に対する質問なのか知っているからだ。久しく言葉を交わしていなくとも、彼とはそんな横着な会話が出来る。
互いに心は分かりあっている、それを知っただけで、十分だ。

「なら今夜は、あの人を何処にも行かさなきゃいいのね」

サクラは肩を竦めた。
男に嫁いだあの日から、いつでも死んでいいと思って生きてきた。それがサスケの手で叶えられるのなら、願ってもいない幸福だ。
サスケはゆっくりと組んだ腕を下ろすと、一歩サクラに近付いた。
今私が何を考えているのか知りたそうなその顔は相変わらずの無表情で。ちっとも愛想なんてないこの人の何処に私は惹かれたのだろう。いつの間にか忘れてしまった。それほど彼を好きな理由などどうでもよくて、理由が無くても彼を好きで居られる自分を少し誇らしくも思った。

「正直に答えろ」
「何?」

サクラは小首を傾げて見せた。

「お前は何の為に人生を捨てたんだ」

ああやはり。この人は気付いていたのだ。サクラの婚姻に隠された取引の全貌を。
そこで一つ訂正をするならば、人生を捨てたのではない。人生を売ったのだ。私の価値はこんな金にしかならないのかと思うほどの端金で。
少し考えるふりをして、サクラは宙を睨む。昔からブレない真相は彼が知るべきではない。

「里の為かしら」

嘘とも本気とも捉えられそうな言葉尻に、サスケは表情を変えることはなかった。

「お前が里を救いたかったのは誰の為だ」

サクラは思わず唇を噛み締めた。口を引き結んで、今度こそはぐらかすことは出来なくなる。
そこまで分かっていて、質問するのは狡い。サクラの口が本心を導いたとして、何が変わると思うのだろう。薄っぺらい紙に永遠を誓った時、いつか元に戻れることを願ったわけじゃない。そんな甘い覚悟なら、私は今此処で生きる意味を見つけるための本を読み耽ることはない。
サクラは息を吐いて、笑った。

私に真相を強要するのであれば、時間を巻き戻す魔法を習得してからにして。そして貴方が私を抱いた夜に戻して欲しい。あの幸せの中で今度こそ死んでしまうから。
それが出来ないのなら、女の嘘は暴こうとしないで。碌なものしか隠れていないの。

「もし、」

切り出した仮定はあくまで仮定に過ぎない。

「サスケくんの為だって答えたら、何が変わるの」

何も変わらないでしょうと続けるつもりだった。遮ったのは、やっぱりサスケだった。

「言えよ」

目を見開いて、動かないサクラの手首をサスケは左手で掴んだ。力を入れてしまえば折れてしまいそうなほど脆いこの腕が里を、自分を守っていたのだと知ったら、胸がぎゅうと締め付けられた。

「言えよ、俺の為だったって。そうすれば俺はお前を救える」

サスケは冗談を言わない。言えない。そのことを一番よく知ってる筈のサクラが、これは冗談だと思った。いや、思いたかった。

「お前はこれから、病院で使われていた麻酔薬の成分から麻薬物質が検出されて、取り調べを受けることになる」
「そんなの、」
「再検査の結果こっちのミスだったと分かる迄に要する期間は二日。その間、お前は俺の監視下に置かれることになる」

そうすれば今夜彼女は家に帰ることは出来なくなる。それが目的だった。
サクラがあの男を愛していたのではないのであれば、あの男の計画に加担していたのでないのなら、もっと言えば、あの男に嫁いだのが自分の意思でないのなら、いくらだって救い出せるのだ。
サクラだけは巻き込まれないよう、考え抜いて出した答えがそれだった。
サスケが伝えようとしていること、その計画も魂胆も意味も想いも全てが入り乱れて、ぐちゃぐちゃになる。こんな混沌とした感情は、手に負えない。
もう出てきていいかしら?
鍵をされた私が待ち遠しそうにそんなことを聞いた。

「俺なら、簡単に諦めるとでも思ってたか」

サクラはハッとして顔をあげる。彼は怒っているような泣き出しそうな曖昧な表情で微かに笑った。
やめてよ。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。

「俺が暗部に戻ったのも、あの男に目をつけていたのも、何の為だと思ってんだ」

何度も納得しようとした。これはサクラの人生だ。サスケにとって正しい選択でも、他の誰かにとってみれば間違いだった選択だってあるように、サスケにとって間違った答えでも、サクラにとってみれば正しい答えなのだと。
理解あるふりをして、目を逸らそうした。
出来なかったのは、いつかのアカデミーの授業で女の幸せは結婚相手によって決まるのよと嬉々として講義していたサクラの笑っている顔を結婚して以来、見たことがなかったからだ。
煩わしいほど明るいサクラがどこを探してもいなくなってしまった。

己の手首を握って離さないサスケにサクラは恐る恐る反対の手を重ねる。
この手をふりほどいてしまえば、今度こそ私は死んでしまえる。
くだらない人生から解放されるのだ。

「ーーありがとう…」

理解するよりも早く、サクラの頬を涙が伝う。共に生きたいと彼の熱が思わせてくれたことに、もう自分を騙せなかった。
小さく肩を震わして泣く彼女の肩を、サスケは抱きすくめた。
ずっとこの手に触れたくて、やっと手に入ったかと思えばあっけなく溢れたこいつを、今度こそ手放してなるものか。
お前が此処から逃げるのならいくらでも何度でも連れ戻してやる。

例えエゴだと分かっていても、それがこいつを諦める道理にはならなかったのだ。

もう二度と、死にたいと思いながら生きるな。
共に生きる道を、望めば手に入る幸せを、与えてくれたのは他でもないサクラだった。






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