サクラさんは、本当に好きな人が甘いもの嫌いだから、誰にもチョコはあげないらしい。
そんな噂が男たちの希望を物の見事にぶち抜いた。
バレンタインデー前日のことである。





やっぱりあの女は嫌いだ。つくづくそんな事を思って、サスケは眉を寄せながら湯気が立ち上るコーヒーを喉に落とした。
休憩室はストーブが一つ、赤い火を滾らせて、雪降る夜を暖めようとがんばっていた。その暖房機の前では男たちが六人、各々散った恋心を温めようと身を寄せ合っている光景に、本日何度目であろう、サスケは忌々しげに舌打ちをした。

「いい加減うぜぇな、お前ら」

さして美味しくもないインスタントコーヒーの苦さに、背中を丸める彼らの辛気臭さが相乗効果を織りなして、先程からサスケの機嫌は悪かった。

「隊長はいいですよ、女に興味がない上に、気になる子が出来たら一発で落とせそうですもんね」
「興味ない人にチョコあげるのなんか勿体無いとまで言われた俺らの気持ちなんか分かるわけもないでしょうね」

それ以前に好きな女にチョコが欲しいと強請るお前らの気持ちがわからないと、それは言わないでおいた。
あいつもあいつだ。こんなにばっさり切り捨てることもなかろうに。おかげで完全に皺寄せが来た。
そうでいなくとも夜勤の警備任務は皆気が立っているのだ。こんなことで、任務に支障が出たらどうするつもりだ。

「にしても、サクラさんの好きなやつ誰なんだろう」
「馬鹿お前、そんなの隊長に決まってんじゃねぇか」

一人がそう言うと、また、彼らから死人のような目で睨まれた挙句、六人全員に大きなため息をつかれる、先程からこの一連の流れ。

「でも、あれだってよ。ナルト隊長には毎年渡してるらしいぜ」
「え、じゃあ本命はナルトさんか!」
「違うだろう。サクラさんの好きなやつは甘いもの嫌いなんだろう」
「ああ、そうか。じゃあもうやっぱりサスケ隊長だろう」
「もう俺生まれ変わったらサスケさんになりてぇ!」

思春期の男子のような会話を繰り広げる彼らを後ろから見ながら、サスケはそれ以上深入りするのはやめた。男の嫉妬は醜い上にタチが悪い。

「せいぜい交代までに切り替えておけよ」

こんな気の休まらないところに居てられるか。コーヒーを飲み終えた紙コップを握りつぶして、部屋を後にしようとしたサスケに、一人が声を掛けた。

「サスケ隊長、何処にいくんすか」
「仮眠室だ。お前らといると毒されそうだ」
「あれ、仮眠室ならさっきナルトさんが行きましたけど」

部屋を出て行きかけたサスケの足がぴたりと立ち止まる。
割と新しいこの施設の悪いところは、そこだ。仮眠室にベッドが一つしかない謎。
あのバカの姿が先程から見えないと思ったら、ちゃっかり仮眠室を貸し切りとはいい度胸だ。
馬鹿面こいてすやすやと奴が寝ている姿を想像すると妙に腹立たしい。
サスケは苛立ちながら、休憩室の扉をバタンと閉めて出て行った。
今日は頗る御機嫌斜めな隊長だ。

「…俺たちも仮眠取るか」

あまり彼の神経を逆なでしないほうがよさそうだ。一人の提案に、残された全員が頷いて大人しく従った。




節電と大きく朱色の筆で書かれた半紙が等間隔で廊下の壁を埋め尽くす。
もちろんの事ながら、それは実施されているようで室内でありながら身震いするほど冷え切っていた。
仮眠室が満員だとすると、使える部屋はあと一つだけ。運がいいのか悪いのか今日の当直がサクラであることを知っていたサスケは、医務室へと向かっていた。先程大嫌いだと心の中で罵ったばかりの彼女を思い浮かべて、多少バツが悪くなったが、サクラ以外の医者は病人の為のベッドを貸してくれることはない。
調子のいいこと、との幻聴に耳を塞いでサスケは医務室の扉を開けた。

「あら、何。今度は隊長さん」

机を埋めつくす書類の山の隙間から顔を出し、夜中の訪問者をサクラは皮肉った。

「ベッド貸してくれ」
「仮眠室があるでしょう」

にっこりと笑みを蓄えて、サクラは牽制する。

「ナルトが使ってる」
「仲良く添い寝すればいいじゃない」

ああ言えばこう言われる。彼女もまた、虫の居所が悪いようだ。

「サクラ、俺に当たるな」

宥めるように名を呼ぶと、彼女は口を結んだ。ひとつ息を吸って、大きくため息をついた。

「そうね。ごめんなさい」

回転椅子から腰を上げると、サクラは奥の物置から毛布をとってきて、サスケに渡す。

「急患が来たら、譲ってね」

微かに頷いて、サスケは彼女の机と反対の壁に沿ったベッドにごろんと身を任せる。多少薬品くさい毛布を首まで掛けて、蹲った。
横を見やると、白衣を纏った彼女の背中が目に入った。淡紅色の髪は後頭部で纏めているが、そこから零れた束が彼女の疲労感を表しているようで。

「忙しそうだな」

思わず声を掛けると、驚いた顔をしてサクラが身を捻った。

「中忍の医療忍者の指導もしてるからね。昼間はそれに手を取られるから自分の仕事は夜に残るの」

そう言えば聞いたことがあった。サクラの指導がめちゃくちゃ厳しいと中忍が零す愚痴を。彼女の指導は実践向きだ。このくらいが出来ればいいだろうという許容はない。現場に赴けば、ぶつかる絶望に、負けない人材を育てるプロだ。
一切手を抜かない中忍指導、其れを終えると今度は溜まった仕事の処理か。
目まぐるしい毎日だろう、それは苛立ちもする。

「さっき、俺の班とナルトの班の奴らが訪ねて来ただろう」
「ええ、くっそ忙しい時にね。つい意地悪言っちゃったわ」

肩を竦めてサクラは戯けた。

「最近私、モテ期なの。モテるって駄目ね。ちやほやされるとすぐ調子に乗っちゃうの」

そんな冗談もいつから上手になったのだろう。医療忍者として里随一の実力になったサクラは、人に注目されることが増えた。
まるでそれに比例するかのように、憧れの存在として男どもからの人気も上がって行った。
いつだったか、あと数年前だったら確実に天狗になってたわと笑い飛ばしていた彼女が記憶に鮮明に残っている。
サクラは気が付けば大人になっていた。サスケの後ろを追い回すことなどもうない。変に猫撫で声で甘えてくることもなくなった。
あんなにも自分を好きだと言っていた唇で、そんなことあったかしらと嘯く余裕さえ見せつける。
だからこいつを嫌いだと思ったのだ。

「あ、そうだ。忘れないうちに今渡しておくわね」

サクラは握っていたペンを置いて、何かを思い出したかのように、デスクの下から紙袋を引っ張り出した。中をごそごそと弄ったかと思うと、可愛くラッピングされたカップケーキを取り出した。

「トマトで作ってみたの。甘さ控えめにしたら、意外と美味しかったのよ」

当然のように手渡すものだから、当然のようにサスケも受け取ってしまう。何のことかと考えて、先程のやりとりが過った。合点がいく。時刻だけでいうのであれば、今日がそのバレンタインデーだ。

「本命が甘いもの嫌いだから、誰にも渡さないんじゃなかったのか」

思わず口を突いて出た言葉の卑屈っぽさに、サスケは口噤んだ。まるで子供が構って貰えなくて拗ねているかのように。声に出して漸く、己の稚拙さを思い知る。
今日は駄目だ。眠くて頭が回らない。
これ以上余計なことを言う前に、鼻をならしたサスケは彼女に背を向け毛布に潜り込んだ。

「そんなこと私一言も言ってないんだけど」

サクラは一瞬だけ、目を丸くし驚いた表情をみせたものの、けろっといつもの調子で笑い飛ばすだけだった。
やはり上手だ。叶うわけもない。

「でも、その本命って誰のことかしらね」

この人は誰を勘違いして、誰に嫉妬しているのだろうか。
きっと本人すら気付いていない胸の内に、サクラは自分の存在を確かめて、人知れず安心するのだった。
女は歳を重ねると、嘘と笑顔だけが上手になる。
サスケを追いかけることはもうやめた。 追いかけなくてももう、彼に届いてしまったからだ。

「興味ねぇよ」

不貞腐れてサスケ言い放つ。
お前の本命が誰とか知るか、からかうのも大概にしろ。
雑言は心の中で留めておいた。

「ねぇサスケくん」

その呼びかけには、目を閉ざして寝たふりをしてやり過ごすことにした。貴重な仮眠時間、彼女の気まぐれに付き合っている暇はない。

「好きよ」

必死に寝ている彼を起こさぬよう、サクラは囁いた。サスケの肩が少しだけ揺れたことについ笑そうになる。
我ながら狡い言葉だ。けれどもそれが真実なのだから仕方が無い。
くるりとサクラは机に向き直って、残りの書類に目を通す。
決して甘くなんかないこの空気が何よりサクラは嬉しかった。



ねぇ、もういい加減観念してよ。
私の心が貴方以外に向くことはないみたいだから。




無自覚の罪
(なぁ、隊長明らかに機嫌良くなったよな)
(ただの寝不足だったんじゃねぇか)



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