世界は自分が思っているよりもっとずっと簡単に出来てるのだ。 アダムとイブがいた遥か昔から、人類は男と女の二つにしか区分されない。 人間の生まれ持った性は善か悪か。 敵か味方か。 強か弱か。 そんなものだ、世の中の仕組みなど。 こういう関係に縺れたのだって、実に単純明快。 只、彼が男で私が女だったのだ。 それ以外に思い当たる理由など皆無である。 初めて彼と肌を重ねた日のことは今でも忘れない。 サスケが何を思っていたのかは知らないが、たとえ一瞬でも、それが間違いだとわかってはいたけれど、彼の欲に触れ、彼によって齎される熱がサクラを快楽の地獄へと追い込んだ。 サスケとの情事はそれからも回数を重ねるごとに、まるで中毒になりそうな愛がサクラをつかんで離さない。 間違った道だとわかりつつも、その深みに嵌ってしまう自分が憎らしいと思うほど。 サスケの吸いこまれそうなほど黒い瞳を覗き込んで、サクラは丁寧に診察をする。 手にしていたペンライトを繰り返し瞳に翳し、瞳孔が微かに動くことを知った。 まだ機能はしているようだ。 が、だいぶ弱くなっていることも確かだ。 日常生活には支障はないだろうが、瞳術を使ってニ、三日はほぼ失明状態に近いほどに光を失う。 サクラがサスケの瞳に手を翳した。 ぼうと青白い光が、眼球の性能を回復させる。 「はい、これで終わり。良くもならないけど悪くもなってないみたいね」 診察に邪魔になるため束ねていた髪をさらりとほどいて、サクラが手なれた様子でカルテに暗号のような文字を刻んでいく。 サスケは露骨に大きくため息を漏らす。 確かに任務帰りのサスケをとっ捕まえて、往診にやってきたのはサクラであったが、義務化されている定期健診を三回サボってサクラにここまでさせたのはサスケ自身である。 面倒くさいといわんばかりの表情の彼にさすがのサクラも口を尖らせた。 「お疲れのところ急に押しかけたのは謝るわ。でもこっちだって暇じゃないんだから定期健診くらいちゃんと受けてほしいものよ」 「受けても受けなくても良くならないんじゃ同じだろうが。俺だってお前と一緒で暇じゃねぇ」 その語尾に皮肉を感じられたのは気のせいだろうか。 言い返してやろうかと思ったものの、ここは大人になれと自分自身に言い聞かせてサクラは気を落ち着かせるために鼻からゆっくりと息を吐く。 「同じじゃないわ。検査も治療もなにもしなかったらサスケくん、もうとっくに眼見えなくなってるのよ。自分のためにも治療は受けなきゃ」 サクラの心配性は相変わらず。 これだけは一生治らない。 サスケはそれ以上は何も言わず、腰かけていたベッドから立ち上がった。 ちょうど風呂上りにサクラが往診に来たものだから髪だってまだ半乾きだ。 首にかけていたタオルでがしがしと頭を拭きながら、サスケは冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出した。 プルタブを手前に倒すと、ぷしゅっと軽快な音がする。 思わずサクラがごくりと喉を鳴らした。 「どうせ泊ってくんだろ。飲んでけばいいじゃねぇか」 しつこくもまだ彼に恋心を抱いてるサクラにとって、当たり前に発せられたその台詞はまるで恋人同士のようで嬉しかった。 しかし本当に恋人なら、こんなセリフなんかでは嬉しく思ったりしないのだろう。 一瞬舞い上がった自分を理性でクールダウンさせ、診察の為に使用した医療機器を専用のバッグに仕舞いながらサクラは冷静に首を振った。 「ううん、今日は帰るわ。明日、朝一でナルトの修行に付き合うことになってるの」 すると、ビールを飲む手を止めて、サスケが眉を寄せる。 「ナルトの?何であいつの修行にお前がいるんだ」 「そんなこと私に言われても」 思いっきり気に食わなさそうな口調だった。 「ただ頼まれたから。断る理由もないわけだし」 なぜかはわからなかったが、多少の怒気をサスケから感じて、サクラは戸惑ってしまう。 なんだか急に悪いことをした気になって、いいわけ口調になった。 「どうかした?」 恐る恐る尋ねてみる。 いつもの無表情に少しだけ険しさを増した顔でサスケはサクラを見る。 「お前、少しは警戒心持て。ナルトだって子どもじゃない」 そう言われて、彼が何を意図しているかわからないサクラではない。 心底不快そうにため息をつかれ、まるで聞き分けのない子供を諭すかのようなサスケの言い方にサクラは面を食らった。 サスケが自分とナルトとの間に男と女の関係を疑っているということは意外ではあったものの、快楽以上の気持ちなんてないくせに自分と男女の関係になってしまったサスケの棚上げ具合に理不尽ながらも多少の憤りを感じる。 「別にいいでしょう。ナルトとどうなろうとサスケ君には関係ないし」 どこに放てばいいのかわからない複雑な想いを丸め込め、ただ黙って彼に頭をうなだれるのも癪だったので、サクラはふいと顔を背けた。 考えれば考えるほど虚しさは止まらない。 「お前今なんつった」 ますますサスケは不機嫌に眉を寄せた。 所詮自分と彼は身体だけの関係。 サスケの嫉妬が、ただそこだけに向いていたのだとしたら、非常に悲しくなってくる。 サクラは怯まず強い口調で言い返す。 「サスケくんには関係ないって言ったの」 瞬間。 サクラの身体が加えられた圧力で後ろに倒れた。 スプリングの反発がサクラに衝撃を与える。 腕を力強く拘束され、自由がきかない。 押し倒されたのだと認識したのは、一際整った彼の顔が至近距離にみたからだった。 「彼氏相手に浮気宣言たぁ、いい度胸だな」 サスケは口の端に笑いを堪えるような、怒りを堪えるようななんとも言えない表情を浮かべた。 サクラの目が大きく見開かれた。 この状況でもサクラはサスケの言葉を取り残さない。 完全に面を喰らった顔で、サスケを見つめ返す。 「え、ちょ、待っ、サスケくん…」 彼氏と聞こえた気がしたが、気のせいだろうか。 サスケは相変わらず険しい顔のまま、サクラを拘束する手を緩めない。 「先に喧嘩ふっかけたの、お前」 言いながらサスケはサクラの首元に顔を埋めた。 「ち、違」 鎖骨をなぞる彼の唇に、熱を齎される。 「何が」 そっけない返答は返した唇で、サスケは彼女の首筋から鎖骨をなぞり、乳房の付け根まで赤い斑点を残していく。 こそばゆい感覚に、サクラの全身の力が抜けた。 彼にされるがままの状態で、どうしても確認したいことをサクラは声を絞りだすかのように言葉にする。 「サ、サスケく、今…」 「何だよ」 「彼氏って言った」 質問の意味がわからなくて、サスケが一度顔を上げた。 潤んだ瞳のまま、サクラが問う。 「サスケくん、私の彼氏だったの」 暫しの沈黙後。 「ほぉ」 今までに見たことのないような、サスケのひきつった顔が視界にうつった。 怒りを通り越して、最早笑顔だった。 ただし眼は完全に瞳孔が開いていた。 「お前は彼氏じゃねぇ男にこういうことされて受け入れてたのか、今まで」 ドスの聞いた声音。 慌ててサクラはぶんぶんと首を振った。 「それは、サスケくんだからよ。私はずっと好きだって言ってたじゃない」 好きだから、拒否できなかった。 この人に抱かれたいと思ってしまったから。 「私、サスケくんにとってただの都合いい女なんだと思ってた」 所詮自分なんて、それだけの存在なのだと卑下していたのはサクラの嬉しい勘違いだったのか。 サスケは少し溜め息をついた。 確かに、この関係に名前など付けた記憶はないが、彼女を抱けば抱くほど追い詰めていたのは心外だ。 「少なくとも俺は幼なじみの女にその場の勢いで手出すほど飢えちゃいねぇよ」 やけに真剣に言われたその言葉をどう捉えていいのだろう。 「サスケくん、それって」 彼の唇がとうとうサクラのそれを塞いだ。 言葉を紡ぐにはあまりに不自由だ。 部屋に齎された沈黙が今日ばかりはやけに恥ずかしくて、嬉しくて、鼓動が激しく脈打つのをサクラは目を閉ざして感じていた。 脆い何かに触れるかのように優しく、彼の手がサクラを愛撫する。 この手に大事にされているのだと自惚れることは許されるだろうか。 それは、無口な彼が持つ、随一の愛情表現。 END. |