幸せの在処を模索して、それでもやっぱり彼のいない世界にそれは望めないのだと悟ってしまう。
かといって、彼のいる世界にある幸せなど、所詮紛い物でしかないのだろうとも思う。
私の幸せは恐らく、この世のどこを探しても存在しない。
そう割り切ってしまえば、漆黒の世界にも身を染めることに不思議と抵抗はなかった。
長年伸ばした髪を短く切ってしまったのは少し残念な気がしたが、その程度だ。
血を握る手が醜く濡れそぼっていても、この血がやがてあの人のものとなる未来は遠くないのだろうとさえ落胆できる余裕もあった。
怖くはない。
只私より先に彼が死ぬか、彼より先に私が死ぬか、それだけのこと。

だから、間違ってもこの魂が救われることなどあってはならなかったのだ。




***

胸を穿った激しい衝撃と共に、己の終焉を悟った。
それは、忘れたはずのかの人の、よりにもよって笑顔がサクラの脳裏に蘇ったからである。
今際の際とはこのことだろう。
質が悪いとサクラは苦笑した。
何故即死でなかったのだ。
おかけで、考える必要のなかった色んな後悔や未練が次々と湧き上がる。
夥しい血が地面に染みゆくのをまるで人事のようにサクラは眺めていた。
闇夜に浮かぶ血は哀しいまで黒い。
サクラは震える指先で徐にその生暖かさに触れた。
黒が連想させるかの人。
(サスケくん)

そっと丁寧にその名を呼んでみる。
なけなしの意地で、口にするのは止めた。

その時。
鈍感になった五感が、恐らく最期であろう物音を拾った。
覚悟を決め、サクラは目を閉ざす。
その物音が敵か味方かわからなかった。
もしかすると腹を空かせた獣かもしれない。
誰であろうと構いやしなかった。
それでも己の運命は変わらないのだから。

「死ぬのか」

不意に呼びかけられた声が動きを止めかけたサクラの心臓を一度大きく跳ね上げた。
幻聴か。
サスケのものによく似た声だ。
まさかとは思ったものの、閉じた目をこじ開けて、その人物を確かめたサクラは泣きそうな顔で微笑した。

「どうかしてる…」

掠れた声で呟いて首を振るった。
信じられないといったように。

「同感だ」

サスケは肩を竦めると、やおらサクラに近付いた。
糸の切れた操り人形のように力なく垂れたこの女は今のうちに殺しておくべき相手だ。
いずれ彼女が脅威になるであろうことは一目瞭然だった。

サスケは、弱りきったサクラの傍までやってきて、しゃがみこんだ。
留まる気配のない血。
思わず眉を寄せた。

「殺してくれるの」

優しいのねと、サクラは微笑むと、色を失いかけ瞳でサスケを見やる。
命の限界を悟った台詞だったが、皮肉にも聞こえた。
助からないだろうことは本人が一番よくわかっている。
サクラの問いには答えることなく、サスケはそっと手を伸ばした。
そのまま彼女の傷口に翳す。
すると体内をまるで逆流するかのようにチャクラが動き始めた。
それが意味するもの。
医療に携わっているからわかる、彼が出した意外な答えにサクラは消えゆきそうな声で呟いた。

「どうして…」
「ただの応急処置だ。あとのことは俺にできねぇ」

昔よりも少し低くなった彼の声が大きく響く。

こんな形の再会を望んだわけじゃなかった。
ましてや、彼に救われる命など。

「その手が私を助けてどうするの」

これから私はどうすればいい。
初めから憎むことなどできるはずもなかった相手に命を救われて、それでも憎む努力をしながら中途半端な覚悟でサスケを殺すために生き続けなければならないのだろうか。
ならばいっそ、殺してほしかった。
それが出来なくても、せめて見殺しにして欲しかった。
口惜しいのか嬉しいのか、哀しいのか憤りかわからない。
不安定な感情が渦巻いて、サクラの瞳から雫がぽろりと落ちた。
彼女の頬を伝う涙をサスケは冷静にただ眺めていた。
最もだと思う。
サクラを突き放したこの手で、今更何を救えたというのだろう。
否、自分は彼女を助けてなどいない。
優しさなんかでもなく、偽善ですらない。
正しさでいうなら、彼女の望んだ通り、殺せばよかった。
そういう運命を作ったのは他ならぬ己なのだから。
ほぼ無意識にサスケの手が今度はサクラの頬に触れた。
顎を傾け、斜めを向かせる。
そのまま、奪うように激しく、それでも愛しむように丁寧に、サスケはサクラの唇に己のそれを重ねた。
深く深く舌を絡ませると、鉄の味がした。
初めこそサクラは抗う様子を見せたものの、やがて彼の口付けに思考を狂わされ、震える腕を彼の首に絡ませた。
サスケはサクラの身体を支えるように抱きしめた。
我ながら狡い男だと思う。
今更になってサクラを欲するなんて。

これが今宵限りだと互いに悟った。
恐らくは夢。

醒めてくれるなと願う、儚い悪夢だった。



END.




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