傾きかける太陽が怖いのと女は呟いた。
今夜から任務に出掛けるのだと言った彼女は、その日、面倒くさいことまでして珍しくサスケに逢いに来た。
どってことない、ただ、他愛ない会話を数秒交わしただけ。
朝から雲が空を満たす一日だった。
彼女が任務へ赴いた時間帯、とうとう激しい雷雨が木ノ葉を襲う。
格子から伺える変わり映えのしない景色をサスケはじっと眺めていた。
暗がりの中、気弱に笑った見なれないサクラの顔だけが脳裏に張り付いて離れてくれない。










春野サクラ率いる隊はほぼ全滅だった。
数十名いた隊員のうち満身創痍で里に帰還したものは僅か五名。
後のものの亡骸は、目も当てられぬほど無残な状態で荒野に散らばっていたことは援軍からの報告書で知った。
ナルトは気が狂いそうになりながらも、幾重に綴られた殉死者リストを隅々まで目を通す。
どうかあってくれるなと願い、心で繰り返す彼女の名前は報告書の最終頁にさえ載っていなかった。
また初頁に戻り、何度も繰り返し読む。
が、やはり其処にサクラの名はない。
これは一縷の希望かもしれぬ。
ナルトはすぐさま捜索隊を編成し、彼女の行方を探った。
火影として正しい判断をしたと胸を張って言える自信はない。
けれども、一人の忍としてサクラを、はたまた彼女の屍をこの里に還してやりたいと願うばかりであった。
願うことしかできぬ自分が不甲斐なかった。
春野サクラの捜索を始めて三日目の夜。
牢に拘束されてから数年間、大人しかった男からの文がナルトの元へ届けられることとなる。



***
木ノ葉のはずれに構えられた獄は、只一人の為に作られたものであった。
一つの山全体を牢として、その周辺を結界で囲まなくてはならぬほど、恐れられた極悪人。
里を抜け、里を滅ぼそうとしたその人物の名は、きっと誰もが知っている。

「本当にサクラちゃんと居場所がわかるっていうのか」

ナルトは仄暗いその牢で、文を寄越した人物と数年ぶりの対面を果たした。
最も、此処へ来ることは原則食事を運ぶもの以外誰であっても許されていない。
強固な封印術と、頑丈な鉄柵をもってしてこの檻はサスケの前で監獄として成り立っている。

「火影がわざわざ大層なこったな。此処に近づいた者は数年の禁固刑じゃねぇのか」
「正規の手続きを踏めば問題はねぇ。それよりサクラちゃんは今どこに居るんだってばよ」

蒼々としたナルトの瞳が暗がりの中のサスケを捉えようと揺れる。
影が静かに首を振った。

「正確には、わからない。ただ、」

サスケが一拍置いた。

「俺を捜索隊に加えろ、ナルト」

はっきりと彼の口が模る。

「お前なら分かるだろう、今の木ノ葉に俺以上の能力を持った奴はいない」

ナルトが口を噤んだ。
確かにその通りだ。
サクラの捜索隊を編成した時も、彼の存在を考えなかったわけではない。
チャクラの流れを読める瞳術を持つ忍など、サスケ以外にありえなかった。
しかし、昔犯した大罪で彼は今重罪人としてこの獄に囚われているのだ。
一日でも早い釈放の為、ナルトが火影として、各国の会談に応じているのはサスケとて知っていた。
だからこそ、大人しく身を潜めていることが何よりナルトの為だとも思っていたし、自分の罪の重さを考えるとこのまま監獄で朽ち果てて行く覚悟さえ出来ていた。
此処で火影の独断として例え一日でもサスケを釈放したことが他国に知れ渡ると木ノ葉の信頼にも欠ける。
最悪ナルトは火影の座を辞さねばならぬことになるかも知れない。
それでも。

「俺がこれを口実に脱獄する疑いをお前が持ってるのなら、その時の為の封印術だって何だって受けてやる。お前が大丈夫だと思えるようにして構わない」

消えないのだ。
あの日見たサクラの笑顔が。
生存の確率は低いかもしれない。
そうだとも、只黙って時の流れを待つにはサクラという命は重すぎた。

「見返りは何だ」

やがてナルトが、低い声で問うた。

「サクラの無事だ」

緋色の目が闇に浮く。
もしかすると自分はすでにこの男の瞳術に嵌っているのかもしれない。
しかし、ナルトには真摯な目が嘘を述べているとはどうしても思えなかった。

「それは俺からの条件だってばよ」

小さくナルトは笑いを零した。
また迷う。
火影としての判断と、忍としての判断と。
けれど今の自分には、どちらが正解でどちらが間違いなのだろうと考えあぐねる暇はない。

「うちはサスケ、お前に五日間の釈放を許可する。その代わり、春野サクラの行方を突き止めることが条件だ」

言うや否や、ナルトの手が印を組む。
牢の封印が溶けるように解けた。
待ち望んだ陽の光がサスケの身体を突き刺す。
西からの日差しはやがて地平線に吸い込まれて、夜の帳が降りるのだろうが、サスケは心地よいとは思えなかった。
太陽を何より愛した彼女が太陽を怖いと言ったあの日から。





うちはサスケを獄から出したということは、一日を待たずして同盟国に知れ渡った。
次から次へと来る抗議の書類は火影の机に山積みになっていた。
流石のナルトも目を通すことを今は拒んだ。
里人からの信頼も恐らく失われることになりかねない事態であることは、ナルトとて重々承知であった。
しかし、例え周りからどれほどの下劣な言葉を浴びせられても、良い判断だったとカカシが呟いた一言がナルトにとっては何よりの救いだった。
サスケを捜索隊を加え、二日が過ぎた頃だった。
彼女が生きている望みなど一体誰が持っていただろう。
サスケに抱えられて、春野サクラは帰還した。
傷だらけで冷たく冷え切った身体は奇跡的にも微弱ながらまだ脈を打っていた。





**
近づいたら禁固刑であるはずの牢がある山の存在は、木ノ葉の者であれば恐らく皆が知っていることだとは思うが、その山の中にある監獄の所在まで知る者は木ノ葉の忍でも一握りしかいない。
数年もの間、誰も訪れなかった牢。
そんな排他的空間に異変が生じればそれを感知することは容易い。
その異変はここ最近ずっと続いている。
静寂とした空気に不釣り合いな鼻歌がまた今日も彼女の訪問を知らせた。

「こんにちは、起きてる?」

その台詞はまるで動物園の獣に話しかけているようだった。

「……」

サスケは答えることをしなかった。
もっともこの女相手に無言でやり過ごせるなど思っていない。
しかしそれでも沈黙が意図することに気付いてほしかったのだ。

「サスケくん」

容赦なく、サクラの口は彼の名を呼ぶ。

「お前、もう此処には来るなって言わなかったか」

呼ばれた本人が溜息と共にそう言葉を吐き出しても、サクラは全く気にしない。

「火影様に今は好きなところへ行けって言われてるの。そうしたら何かを思い出すきっかけになるかもしれないからって」

(ナルトか)

サスケは旧友を思い描いて、その顔が恐らく引き攣った笑顔であることを想像した。
あの日、瀕死の彼女を抱えた感覚はまだサスケの腕に残っていた。
どうか死なないでくれと柄にもなく祈ってしまったことも、まだ鮮明に。
なんとか一命を取り留めたサクラは、暫く昏睡状態に陥っていたとナルトから聞いた。
最悪このまま目覚めることはないかもしれないということも。
やがて里の誰もが望んだサクラの覚醒は、思わぬ衝撃を齎した。
脳の記憶媒体への損傷は、彼女の記憶を蝕んでしまったのだ。
元に戻るとも、戻らないとも、誰もが分からなかった。

「ほら、見て。また血取られちゃった」

無邪気に頬を膨らませて、サクラは己の腕に残る注射針の後を指差す。
検査の為だ、仕方ないだろうとサスケが宥めると、でもすっごく痛いのよとサクラは眉を寄せた。
自分が誰であるかさえ分からなかった彼女は、最初こそ世の中を拒絶したような眼をしていたが、最近はよく笑うようになった。
里の者がみんな良くしてくれるお陰だと彼女は言ったが、それだけではないとサスケは思う。
サクラの天真爛漫は才能なのだ。
その彼女から笑顔を奪うことなど何処の誰にも出来やしない。
だからこそ。

「サクラ」

珍しく自分を呼ぶサスケに心臓が思わずどきりとした。
甘ったるい熱が全身を満たす。
サスケの腕が、牢の中からすっと伸びた。

「あ、駄目よ」

それに気づいてサクラが声を張ったが、虚しくもそれは彼に届かない。
予想通り、檻に施された結界術のせいで、激しい電撃音と共にその手は弾かれた。
しかし、サスケの手はサクラに触れようとすることを止めなかった。
何かを訴えるかのようなその手を、サクラは咄嗟に掴んだ。
先程と同じ衝撃がサクラの手を弾こうとするが、構いやしなかった。
思いのほか暖かい彼の手は、縋るようにサクラの指に絡んだ。

「お前は何も、思い出すな」

切ない声音はサクラの心を激しく揺さぶる。
誰かにそんな願われ方をしたのは初めてだ。
此処へ来ると、いつだってもどかしい。
この男の持つ空気感が、仕草が、声が全てが、サクラを刺激した。
逢いたくても逢えなかった寂寥を今、爆発させてるかのようで。
サスケは何も語らなかったけれど、自分のことを、恐らく大事にしようとしてくれていたことだけは深い深い意識の中に残っている。

「私は、貴方にとってそんなに嫌な人だった?」

サクラは思わず困ったような笑みを見せた。

「ああ」

瞼を閉ざして、サスケは頷く。

「どうしようもない奴だった」

どんなに拒んでも、傷つけてもこんなに愚かな己を救おうとした滑稽な女だった。
大犯罪者である俺に愛を告げた、とてつもなく狂った奴だった。
そんな過去なんて思い出すな。
俺の所業を思い出すな。
何度も何度も傷つけた俺のことなど、未来永劫に葬り去ればいい。
お願いだから、お願いだから。
子どものように繰り返し願う。
涙が頬を流れるとも知らずに。

「泣かないで」

宥めるサクラの瞳からもぽろりと滴が零れ落ちた。
ほら、そういうところが、どうしようもないってんだ。

「今の私はあなたが好きよ」

違うんだ。
聞きたかったのはそんな言葉じゃない。
愚かなお前はそうやってまた俺の為に涙を流す。
サスケは我知らず、サクラを掴んだままの手に力を込めた。
この手は今すぐにでも離すべきなのだろう、否、触れるべきではなかったのかもしれない。
そうだとも、もし彼女に記憶が戻ればもう二度と触れることの出来ない手だ。
哀しくもそんな手に、今だけは時を赦して欲しかった。



END.

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