補習生でお馴染みのこいつは、補習生とは思えないほど完璧な答案用紙を完成させた。
その紙にサスケの走らせる赤ペンが線を描くことを許さない。
丸をたくさんこさえた答案用紙は満足げに笑っているようにも見えた。
最終問題まできっちり丸を与えてサスケが顔を上げた。
突き刺さんばかりの視線で彼女はサスケの口が言葉を発するのを待っている。

「合格だ」

観念して、言わずとも一目瞭然であることをサスケが呟くと、サクラはぱあと顔を輝かせた。

「本当?やったわ」

こいつには一度補習という言葉の意味を辞書で引かせたほうがいいのかも知れないとサスケは本気で思う。
何を勘違いしているのかサスケが担当する数学のテストだけいつも無回答0点を叩き出す彼女は、決して素行のよい生徒とは呼べなかった。
学園一やんちゃなうずまきナルトとよく連み、授業もまともに出た試しはない。(数学は別だ。皆勤である)
丈の短すぎるスカートも耳に光るピアスも本人は地毛だと言い張っている髪色も、校内では目立ちすぎたが、もっと目立つことは彼女のオール5の成績だ。
定期試験成績優秀者リストに記載されるサクラの名前は一位の座を揺らいだことはない。
但し、数学は除くといった訳で、彼女の場合、出席日数と試験結果が反比例する。
教師陣もそのため春野サクラには、ある意味うずまきナルト以上に手を焼いていた。

「お前は出来るのに、なんでいつも数学だけ手を抜くんだ」

黄昏が包む教室にはもう二人以外の姿はなかった。
溜息交じりに、素朴な疑問をサスケが投げると、サクラは一度瞬いたものの、すぐにけらけらと笑い声をあげる。

「だって補習受けると、学校休みの日だってサスケ君に会えるでしょう」

サクラの屈託ないその笑顔は、とてもじゃないがレディースの総長という噂さえある女だとは信じがたい。
教師を君付けにするなとサクラの頭を小突いてから、サスケは西日の差し込む教室のカーテンを締めた。
それだけで部屋に闇が招かれる。

「早く帰れよ」

こっちは休日を潰してまで補習ごっこに付き合ったのだ。
とっととお暇して、安い発泡酒でもかっくらいたいものだ。
すると、

「先生、まさか約束忘れたの」

膨れっ面をした彼女はじろっとサスケに睨みをきかす。
仄暗い此処ではいつも鮮やかに光る翡翠も色を失った。
約束なぞ交わした覚えがなくて、サスケは肩を竦める。

「何のだ」
「本当に忘れたの」

念を押されたが心当たりは皆無だ。

「だから何だ」

呆れたように返すと、小さな声でもごもごとサクラは口ごもった。

「補習時間内に合格したらデートしてくれるって言ったじゃない」

言われて、サスケは教室の時計に目をやった。
丁度文字盤は夕方の五時を差している。

学内規定の補習時間とは朝十時から夕方五時までである。
補習と言っても教科ごとに様々で、英語や国語などであれば時間をフルに使って授業形式で行うようだが、生憎サスケはそんな真面目な教師ではない。
きっと補習に来る生徒の誰よりも、早く帰りたいと思っているのは自分自身だと知っていたし、手間の込んだことは面倒臭いと感じるのも性分であった。
だから数学の場合、プリント一枚を生徒に渡し、教科書や問題集を見ながらでもよいという条件付きで解かせ、八割点が取れたら合格という制度をとっていた。
何よりこれにすると、補習なんてとっとと終わらせたい生徒は朝十時丁度にテストを始め、昼までには合格をもらって帰るのが当たり前だった。
しかし。
常識が通じないのがこの女である。
朝から夕方まで補習時間フルで使う彼女は補習時間が過ぎても教室に居座るのが常だった。
細い指でシャーペンをくるくる回し、此処がわからないとわざとらしくサスケに問題の解き方を請うのだ。
俺にはお前のほうがわからないなと何度言葉が喉まで出かかったことか。
そんな前回の補習中の出来事だった。
先生は普段料理とか作ったりするの、と何気なくサクラが尋ねてきた。
本当は何気ある質問であったのかもしれないが、其処まで深読みをしなかったサスケは真実通り否を答えると、サクラは顔を挙げて目を丸くした。

「嘘、絶対毎日自炊してるんだと思った」
「何を根拠にだ」

頬杖をつきながら、サスケは呆れた溜息を付いた。
最近の女子高生の脳内妄想は料理下手な人間に毎日料理をさせることさえ出来るのか。

「じゃあいつも外食ってこと」
「まぁな。大体安く済むラーメンが多いかな」
「先生、ラーメンなんて食べるんだ」

また希少動物を見るかのようにサクラの目はくるくると動いた。
優雅にフレンチとかだと思ってたとまた理解不能な妄想をサクラは披露する。
毎日フレンチなんて、社長クラスの連中しかなせない技だ。
教師の安月給なめんな。

「行きつけのラーメン屋とかあるの」
「ああ」
「本当!連れてって」

少女の顔が一瞬で輝きに満ちる。
恐らく今季一番の笑顔。
ラーメンで食いつく女子高生ってどんなだ。

「そんなに好きか」

ラーメン。

「うん、大好きよ」

頬を赤らめながらサクラは断言した。

「だから何でも知りたいの」

サクラのその言葉が、サスケに向けられているものだとは露知らず。

「そんなに連れてって欲しいなら補習は補習の時間内に終わらすんだな」

採点用の赤ペンを指にはさんでくるくる回しながらサスケは溜息を洩らした。
サクラの翡翠の瞳が時計を見やる。
補習時間はとうに過ぎていた。

「言うの遅すぎるわ」

眉を寄せ、不満げに頬を膨らませたサクラに、

「次から気をつけろ」

そんなことを言った気はする。
が。

それから数カ月後、お馴染の補習終了後の今。
橙色の教室で思考を廻らすこと数十秒、サスケがサクラに向き直った。

「デートってラーメン屋連れてくって話か」
「忘れてたの」

信じられない、と驚いたような顔をして、サクラは目を丸くした。

「補習を補習時間内に終わらしたら連れて行ってくれるって言ったのサスケくんよ」

確かに、そう言った。
言ったがまさか約束という名前が付いているなんて知らなかったし、彼女の中に根強く残っているとも思わなかった。
寧ろ、ぽろっと口から出たことが約束として確立されるのならば、テストで満点を取れたらという条件を用意するのだった。
まぁこいつにとってみればその条件でさえも、難なくクリアするであろうことは目に見えているのだが。

「まさか嘘だったっていうの。私がんばったのよ」

何も答えずいたサスケにサクラが上目遣いで自分の努力を訴えた。
頑張ったとは出来ない人間が自分の能力以上のことをやってのけた時に使う言葉だ。
出来る人間が自分の能力以下のことをこなしても頑張ったとは言わない。
と、思ったが、こいつの目はどうもいけない。
愛嬌たっぷりに動く瞳にサスケは根負けする。
本日何度目かの溜息をついて、彼女の頭をくしゃっと撫でてやった。

「早く帰る準備しろ。バイク取ってくる」

言いながらサスケが教室を出る。
嬉々としたサクラの歓声が背中越しに聞こえてきた。
つくづく甘いと思う、こいつには。
どうにかならないものかと頭を悩ますサクラの補習ごっこでさえ、楽しんでいる自分に気付くのはもっと先のお話。



口約束は命取り

(バイクならレディース総長のお前のほうが上手く乗りこなすんじゃないか)
(…先生、噂なんて信じないで。私、免許さえ持ってないわ)



END.

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