次の日。 頗る酷い天気であった。 昨夜から雷が窓ガラスを鳴らし、なんだか自分の心模様を示しているようだとサスケは苦笑した。 ただっ広いこの屋敷に、今まではずっと一人であった。 それが今日から、二人になる。 と、皆は思っているだろう。 もちろんそんなつもり、サスケには毛頭ない。 明日になれば、また一人の生活が待っているだろう。 次の結婚相手が決まるまで。 里とは、利害が一致しただけだった。 サスケは一族の復興を。 里はうちはという一族の強い遺伝子を。 望んだものは同じでもその意図は違う。 だから、里のやり方に乗った。 本来ならこんな馬鹿げた婚姻は引き受けるべきではない。 そんなこと百も承知だ。 だから。 (なんで、ほいほい引き受けるんだ) こんな馬鹿げた道、サクラまで道連れにするわけにはいかないのだ。 長年連れたってきた仲間。 それ以上の感情があったのかどうかは、答えに辿り着く前に探るのはやめた。 いずれにせよ、足手纏いにしかならぬ感情であれば、ないほうがましだ。 一向に止む気配のない雨音と重なって、どたばだと騒がしい足音が確実にこちらに近づくのが分かった。 それが誰のものか、予想はつく。 サスケは袴の紐をもう一度締めなおした。 「サスケ!サクラちゃんすんげー綺麗だってばよ!」 不作法にも襖が開け広げられ、興奮したナルトが、鼻息を荒げた。 あまりの勢いに、履きなれない足袋が滑って、転びそうになったナルトをサスケは一瞥した。 「もう少し大人しくできないのか、お前は」 「逆になんでお前はそんなに落ち着いてるんだよ」 唇を尖らせてナルトは文句を垂れる。 「お前ら長年の付き合いでもある俺にすら一言もなかったって冷てぇな」 足元の石ころを蹴飛ばす仕草をし、大げさに不貞腐れて見せる。 サスケが眉を寄せた。 「お前、この結婚がどんなもんなのか、」 「わかってるっての!」 サスケの台詞は皆まで聞かず、ナルトが遮った。 そうして、いつもの顔でにししと困ったように笑う。 「どんな意味の結婚であれ、サクラちゃん泣かせたら俺が許さねぇからな」 本人同士が。 はたまた周りが。 何をどう思う婚姻にしろ、サスケとサクラは夫婦となる。 サクラを守れるのはサスケだけだと、形上はそういうこととなるのだ。 サスケは一度目を閉ざした。 そうして微かに首を振る。 「俺はサクラと結婚しねぇよ」 はっきりとそう言い切った。 ナルトの眼が訝しげにサスケを捉えた。 「サクラは俺と結婚しても幸せにはなれない。そんなこと、火を見るより明らかだろう」 「何言ってんだ。それじゃあ一族復興はどうするんだってばよ」 「しかるべき家柄の女と結婚する。サクラはただのくノ一だろ。うちはを継ぐなんて、おこがましいんだ」 吐き捨てるようなサスケの言葉に、ナルトの全身の血が頭に上った。 何と呼んでいいかわからない感情がナルトを駆け巡る。 サクラを愚弄する発言か、もしくはサスケが自分自身を悲観するかのような発言か。 思考が追いつくよりも早く、ナルトはサスケの胸倉を掴んで掛かった。 「てめぇ、何言ってんのか自分でわかってんのか!」 「わかってねぇのはお前のほうだろう」 サスケは少し声を荒げただけで、あくまで冷静に、ナルトの手を振り払った。 そして、乱れた衣襟を正す。 「あいつを子を産む為だけにこの屋敷に一生閉じ込めろってのか?妾も取らねぇで、どうやって里が望むだけの子孫を残せるってんだ」 後半は最早溜息だった。 女一人が一生に産む子の数など知れている。 里側とてそんなこと、百も承知だろう。 妾は取らないとのサクラの条件をあっさりと飲んだ里には、わけがある。 若い間はサクラをうちはの妻として子を産ませ続ける。 そうして彼女が年負うごとに役立たず呼ばわりをして、最終的にはまた若い娘を後妻にでも取らせる魂胆か、妾を取る案を提供するのだろう。 サクラの運命等、ここまで容易く想像できるのだ。 それは誰がうちはの嫁に入ろうとて同じことであろう。 そこまでの想像を、果たしてサクラはしているのだろうか。 「サクラにはそんな生き方似合わねぇ」 似合ってなどいて欲しくなかった。 呟いたと思っていた声は、なんとも哀しい声だった。 「――…お前が、何を考え過ぎてんのかは知らねぇけどよ」 目を伏せたナルトが先ほどの勢いを収束させて、口籠る。 「お前が思ってるサクラちゃんの運命を、サクラちゃんに辿らせないようにするのもお前の役目なんじゃねぇのか」 「そんな甘いもんじゃない」 サスケは目を閉じたまま頭を振った。 「お前にはわからねぇよ。いや、わからないほうがいい」 押し殺すサスケの言い方に、ナルトはそれ以上何も言えなかった。 とりあえずどうするつもりなのかまでは聞き出せぬまま、互いに沈黙を作る。 サスケは、ナルトがこの部屋に来た本来の理由を推測し、手早に身支度を整えると、部屋を後にした。 それに慌てたナルトが続く。 二人が向かった先は、結納の手筈が整った大広間。 今までサスケが一人で持て余していた屋敷は立派に飾られて、最早自宅にいる気分がしなかった。 設けられた、箇所に腰を落ち着ける。 さっきまで騒がしかったナルトは滑稽なほど静かになった。 慣れないであろう正座をし、作った拳をまるで押さえつけるようにして、じっと畳を睨みつけている。 羨ましいなと、この時ばかりは純粋にサスケは思った。 此処まで己の感情に素直で、そうして正義が貫ける。 自分にはないところであり、欲しいところであった。 でも、 (俺にはあってはならないところだ) そう言い聞かせた。 程無くして、いのに手を引かれたサクラが襖の向こうに姿を現した。 息を飲むほど上等な白無垢は綱手から贈られたものであった。 金色の刺繍で千羽鶴が彩られている。 綿帽子の影から時折除くサクラの薄紅の髪色は鮮やかによく映える。 綺麗だとそれ以上に何と表現したらよいのだろう。 真っ赤な紅を引いたサクラが、ゆっくりとサスケの隣に腰掛けた。 相手は他でもないサクラだというのに、なんだか緊張してしまう。 白無垢の裾をそっと抑えるサクラの細い指先に思わず目をやった。 穢れの知らないこの手を、何故自分がものにできようか。 運命の連鎖に連れ込んで、籠の鳥同然に扱われて、やがて空さえも跳べなくなってしまう。 そんなサクラの未来を予想するものなど、今この場にどれほどいるのだろう。 阻止すべきは自分。 護れるのは、一人しかいなかった。 |